2024年1月9日(火)、いつもであれば亀有コントラクト・ブリッジ会の日ではありますが、今日はまだお正月休みということで亀有コントラクト・ブリッジ会もお休みでした。そんなこともあり、今回はアコル式ブリッジ(ACOL system)についてお伝えしたいと思います。

 

上差し 私が1999年から2002年まで暮らしていたロンドンにあるファーム・ストリート教会(Farm Street Church)のブリッジ会に所属していた頃に頂いたブリッジ手帳がこちらになります。このブリッジ手帳は、私の新潟県にある実家に保管されていますが、珍しいモノかも知れないと思い撮影してきました。

 

そのファーム・ストリート教会(Farm Street Church)では毎月の第3日曜日が日本人カトリック信者の為の日本語ミサが行われていました。そして、毎週火曜日の午後6時から信徒会館で定期的にブリッジ会が開催され、毎月の参加費が20ポンドで、毎回各々の参加者が手作りの料理を持ち寄り(ポットラック式)参加者の方々と共に食事をしてからプレイが始まりました。私としては1997年にドイツにいた頃にデュッセルドルフ日本人会でブリッジを習い始めて以来下手の横好きながらプレイを続けていたこともありましたが、一番の目的は何といってもイギリス人のブリッジプレーヤーの方々と仲良くなってイギリス英語を学びたいという目的もあり参加していました。因みに、その20ポンドの参加費はアフリカの教会(Jesuit Refugee Service)に全額寄付されました。

 

 

上差し お正月に新潟県の実家の本棚にあったこのブリッジ手帳ですが、改めて「THE ACOL SYSTEM OF CONTRACT BRIDGE」とあるのに気付きました。そして、私が当時住んでいた場所の居場所の手作りスタンプが押されています、「21 CHISLEHURST AV. FINCHLEY LONDON N21-OHU」と。

 

 

下差し 今更ながら気になったので「ACOL SYSTEM(アコル式)」とは何なのかネットで調べてみました。最近はとても便利な世の中になり何でもネットで調べることができすますもんね、私がドイツやイギリスにいた頃にはまだネットが普及し始めたばかりの時でしたので情報量が少なかったです。

 

 

下差し YOUTUBE動画でも「ACOL SYSTEM(アコル式)」について検索してみたのですが、「ACOL SYSTEM(アコル式)」だと1NTは12~14点で言えるみたいなのです。私たち亀有コントラクト・ブリッジ会では15点~17点なんですがね。

 

 

下差し 一応、WIKIには「ACOL SYSTEM(アコル式)」についての英語で書かれた説明はありました。とにかく、基本的に「ACOL SYSTEM(アコル式)」は英国と英国の属国(ダウンアンダーの諸国など)で使用されている方法だそうです。恐らく、日本で使用されているのはアメリカ式だと思うんですがね。

 

 
<WIKI - ACOL SYSTEM和訳始め>

 

ACOLは、ブリッジの入札システムで、The Official Encyclopedia of Bridgeによれば、「英国のトーナメントで標準であり、世界の他の地域でも広く使用されている」そうです。 これは 4 枚のカードのメジャーと、最も一般的にはウィークNTでビッドする方法を取り入れています。

 

ACOLという名称は、1930年代初頭に誕生した北部ロンドンNW6地区にあるACOL BRIDGE CLUBに因んで付けられました。 このブリッジクラブはケント州にあるACOL村から取って名付けられACOL ROADに設立されました。 テレンス・リース(John Terence Reese)によれば、このシステムの主な考案者はモーリス・ハリソン・グレイ、ジャック・マルクス、S.J. スキッド・サイモンであった。 マルクスは1952年12月のコントラクト ブリッジ ジャーナルに、「... ACOL式というのはスキッド ・サイモンと私によって20年前の改良すべき部分をつなぎ合わせたものです。」と書いています。別の記述ではマルクスとサイモンは...

 

徐々に互いがゲームの面白さに魅了されていきます。 果てしなくゆっくりとした散歩の中で... 彼らは静かな通りをぐるぐる歩き回り魅惑的なゲームの改良点について際限なく話し合ったのでした。 そのの会話から練りに練り上げられた方法が現在の私たちが知っており、今日プレイされているようなアコル式という方法が生まれました。

 

  — Guy Ramsay、Aces All (1955)、Museum Press Limited、ロンドン、p. 170.

 

このシステムに関する最初の本は、ベン・コーヘン(Ben Cohen)とテレンス・リース(John Terence Reese) によって書かれました。 スキッド・サイモンはシステムの背後にある原理を説明し、このシステムはイアン・マクロードによって英国でさらに広められました。 ACOL式は未だに継続的に進化していますが、基本的な原則は入札を可能な限り自然に保つことです。 英国連邦では一般的ですが、北米ではほとんどプレイされません。

 

<WIKI - ACOL SYSTEM和訳終わり>

 

 

 

下差し こちらのテキストが、私がロンドンのファーム・ストリート教会(Farm Street Church)のブリッジ会で頂いたものです。2000年11月3日と日付が手書きされています。その説明書きを読むと、12点~14点で1NTとありますので、やっぱり「ACOL SYSTEM(アコル式)」ですね。

 

 

下差し このテキストを下さったのが、アメリカ人の老婦人パット・ドイルさん(Pat Doyle)でした。タイトルとして「PAT DOYLE'S BRIDGE NOTES」とあります。とても親切に教えて下さり、実はこのパット・ドイルさん(Pat Doyle)はロンドン大学の生物学の教授でした。私がロンドンを去ってからも互いに2回ほどクリスマスカードを交換していましたが、アメリカに戻られた後にお亡くなりになられたようでした。本当にロンドンでは皆さんに仲良くして頂いて、私の海外生活の中で最も充実した納得のいく楽しい経験を沢山させて頂きました。

 

 

 

下差し そもそも、どうして私が1999年から2002年までロンドンに住んでいたかというと、この英国国際教育研究所(IEIL)の日本語講師養成コースに通っていました。それまで北ドイツのビーレフェルト大学でDAF(Deutsch als Fremdsprache - ドイツ語教師養成課)で学んでいましたが、1997年に私の母親が胃ガンで亡くなったタイミングで一時帰国してから再び渡欧しました。その時に日本語についても知りたいと思い母親から受け取った資金を握りしめて英国国際教育研究所(IEIL)に入りました。英国国際教育研究所(IEIL)の学費が1年で100万円で(北陸大学や日本のその他の私立大学と同じですが)、シティバンク銀行に預けたら日本円からポンドに換算して損をして手数料も取られてあっという間になくなってしまったので、その後、当時の1ポンドは200円でしたので生活費は日本の父親から仕送りしてもらっていました。

 

 

下差し これが私のイギリスで取得した運転免許証ですが、居場所が「21 CHISLEHURST AVENUE FINCHLEY LONDON N21 OHU」となっているのがお分かりでしょうか。

 

 

下差し この「21 CHISLEHURST AVENUE FINCHLEY LONDON N21 OHU」というのはオレンジ色で囲ってある地区です。地下鉄ノーザン線(Norhern Line)のフィンチリー・セントラル駅(Finchley Central)から徒歩で15分くらいの場所にあります。その付近にあるセイモア・ロード(Seymour Road)とVictoria Parkの角っこにバス停があり、そこから82番のバスに乗ると乗り換えなしで英国国際教育研究所(IEIL)があるベイカー・ストリート(Baker Street)まで行くことができました。逆に地下鉄ノーザン線(Norhern Line)だと何回も乗り換えするので面倒ですが。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し そして、その英国国際教育研究所(IEIL)があるベイカー・ストリート(Baker Street)からファーム・ストリート教会(Farm Street Church)まで徒歩15分くらいで行くことができました。英国国際教育研究所(IEIL)の授業は午前11時半まででしたので、その後に徒歩でファーム・ストリート教会(Farm Street Church)まで行き毎日お昼のミサに参加していました。

 

そのお昼のミサの後に再びベイカー・ストリート(Baker Street)に戻って小さなカフェでオール・デイ・ブレックファスト(24時間朝食セット - 5ポンド)を食べてからネットカフェへ行き、そこら辺を徘徊した後にセルフリッジ(Selfridges)の地下食品街へ行って紅茶やフランス産ミルクライスプディングを買い、またセルフリッジ(Selfridges)の向かい側にあるマークス&スペンサーの裏道にあるバス停から82番のバスに乗って帰宅していました。確かに、そういえば・・・、毎朝バスに乗って運賃を支払う際にバス停名が分からなかったので運転手に「セルフリッジ(Selfridges)まで」と言っていたのを思い出しました。

 

(画像提供:Google Map)

 

下差し これがファーム・ストリート教会(Farm Street Church)で毎週日曜日に信者に配布されるパンフレットですが、そういうこともあって私が住んでいたフィンチリー地区のカトリック教会に行ったことがなかったんですよね。

 

でも、私が住んでいたフィンチリー地区(Finchley)とそのお隣にあるゴルダース・グリーン地区(Golders Green)で暮らす殆どの住民がユダヤ教徒でしたのでニューヨークでいうとブルックリン区のような場所でした。その場所にあるカトリック教会はかなり遠方にあり近くのバス停からバスでロンドン市街地へ行く方が早かったのでした。