(画像提供: Kisten packen für den Umzug nach Tokio)

 

2022年12月25日(日)の記事「聖ミカエル教会でのクリスマスミサ終了」でお伝えしたように聖ミカエル教会に2021年6月に北ドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州にあるエッセン市(Essen)郊外のゲルゼンキルヒェン(Gelsenkirchen)からやってきた現在44歳のミルコ・クイント神父(Mirco Quint)さまが新しく主任司祭として着任されました。

 

 

 

基本的にカトリック教会の司祭たちは結婚することが禁じられており、その分、子育てをしなくても良いので教区から支給される月給はかなり低くやっと生活できる程度の金額ですし、個人の資産というものがなく全ては修道会の所有となります。札束 

 

 

 

 

それでは、ちょっとミルコ・クイント神父(Mirco Quint)さまのご出身のゲルゼンキルヒェン(Gelsenkirchen)という小さな村についてご紹介したいと思います。私が1992年から2006年まで暮らしていたノルトライン・ヴェストファーレン州のビーレフェルト市(Bielefeld)からエッセン市(Essen)まで列車で片道1時間半ほどです。あの頃は毎週木曜日だったか?忘れてしまいましたが・・・、デュッセルドルフ市の日本クラブまでコントラクト・ブリッジをしに行っていましたので、そのデュッセルドルフ駅の2つ前がエッセン市(Essen)があるエッセン駅です。そのエッセン市(Essen)中心から自動車で片道30分くらい走った場所がゲルゼンキルヒェン(Gelsenkirchen)です。

 

 

まあ~、チョーつまらない小さな村です。ショボーン 

 

私がまだ北ドイツで暮らしていた頃は、北ドイツでもカトリック教会が主流のノルトライン・ヴェストファーレン州ですから、コンビ二店はないし、土曜日には全てのデパートを含む商店は午後2時で閉店してしまうし、日曜日には全てのデパートを含む商店はお休みでした。そんな時はイスラム教徒のトルコ人が経営するカフェで暇潰しするか、結婚したことのない私ですから一人で教会のミサに参加した後はライン川まで行きゆっくり歩いて荷物を積んだ大きな筏を見てボーっとしていましたね。

 

 

上矢印 2006年3月にドイツを去る前に私がデジカメで撮影したものです。ボン市のライン川縁で ドイツ

 

 

それでは、現在、聖ミカエル教会で主任司祭をされているミルコ・クイント神父(Mirco Quint)さまがどういった方なのかを少しご紹介したいと思います。

 

2021年4月23日に「Pressestelle Bistum Essen(エッセン教区の広報室)」から投稿された記事「Kisten packen für den Umzug nach Tokio (東京へ引っ越す前の荷造り)」にミルコ・クイント神父(Mirco Quint)さまのことが書かれてありましたのでご紹介致します。

 

(画像提供: Kisten packen für den Umzug nach Tokio)

 

<記事の本文和訳始め>

 

全ての荷造りした箱が詰め込まれ、移動用のトラックがクロスター通りの司祭館の前に駐車されています。しかし、今回のミルコ・クイント神父の旅は、ルール教区の新しい小教会に向かう為の移動ではないのです。これは、43 歳のカトリック司祭のアパートの空き部屋にある巨大な木製の箱、大量の白いパッド入りホイル、「ベッド」や「マットレス」などの英語表記によって各々の箱に内容物について示されています。ドイツ語の知識のない日本人の運送業者の人たちは、箱の外側に書かれている品目の種類によって判断し引っ越し作業をしますから。ゲルゼンキルヒェンの旧市街で聖アウグスティヌス教会の司祭を 3 年間務めた後、クイント神父は今後数週間のうちに東京に引っ越します。北ドイツのヴァッテンシャイト村(ド田舎)で生まれた彼は、大都会である東京へ行きドイツ語を話すカトリック信者の司牧を少なくとも5年間続ける予定です。

 

彼らのほとんどは家族と一緒に「外国人居住者」であり、東京のドイツ人カトリック教会の共同体に属している彼らは、つまり、ティッセン・クルップ、DHL、エボニックなどの企業に代わって日本にしばらく住んでいるドイツのスペシャリストだとのことです。クイント神父によると、現在日本には約 6,500 人のドイツ系カトリック信者がおり、そのほとんどが東京に住んでいます。さらに、オーストリア人、スイス人、そしておそらく他の国からの信者もいるでしょう。

 

<記事の本文和訳終わり> 

 

鉛筆 ※ 個人的にここまで読んでヘンだな~と思ったことはないでしょうか? これ、一般的かどうか分からないのですが、大抵の場合、日本人であればベッドなどの大型家具は「現地で新しく買えばいいや~!」って思いますよね? もしかすると、これはドイツ人や日本人がどうのこうのという問題ではなくてクイント神父さまの個人的な拘りかも知れないです。

 

しかし、私も経験がありますが、北ドイツ人ってのはかなり神経質で引っ越す際にキッチンに設置する台所を解体して次の住む場所へ持っていくんです。その理由について不動産店にお聞きしたら、「ドイツ人は潔癖症なので他人が使用した台所は嫌いなんですよ!」とのお答えでした。ヨーロッパには色々な宗教や人種があり、特にユダヤ教徒なんかはキッチンには肉類用と魚用のシンクが2つあったりしますしね、そうなったら各々が好きなようにキッチンをアレンジするしかない訳です。

 

因みに、その解体できる台所の殆どがイケア製のもので、学生であればアパートに家族がきて組み立てるそうなのです。イケア製の台所を組み立てることができるお父さんってスゴイですよね。そして、また中古の台所が10万円ほどで取引され、よく新聞の売ります買います欄に出ていたりします。でも、私の場合、そんな家族がおりませんでしたので一生懸命に探して台所があるアパートを見つけました。

 

(画像提供: Kisten packen für den Umzug nach Tokio)

 

<記事の本文和訳始め>

 

世界最大の大都市にある小さなコミュニティ

 

ミルコ・クイント神父は長年海外に行きたいと思っていました。 「私がド田舎の生活にうんざりしているからではない」と彼は強調し、ルール教区に言及しました。しかし、視野を広げるために、もちろん、何よりもまず地理的および文化的なものですが、司祭としてはもちろん、常に教会的なものも同様です。そして、彼は東京で多くのことを学びたいと思っています。

 

<記事の本文和訳終わり>

 

鉛筆 ※ これは私の個人的な意見ですが、全く日本語が読めないし話せないのに日本のことを学ぶというのは少々無理があるような気がします。今まで私が日本で暮らす外国人と関わってからの感想ですが、日本語が話せない外国人は日本についてステレオタイプのイメージしか持っておらず、日本語のニュースとか観ずに衛星放送で自国の情報しか得ようとしない為、日本の悪い面を知らず「日本は平和だから大丈夫!」とかある意味では日本人以上に不注意で平和ボケなんですよね。

 

(画像提供: Kisten packen für den Umzug nach Tokio)

 

<記事の本文和訳始め>

 

カトリック教会としては日本では少数派であって、大都市の東京には約4,200万人が住んでいます。しかし、日本人のキリスト教徒はわずか日本人口の1%で、カトリック教徒はほぼその半数です。秘書や他のスタッフなしで全てのことを一人で行う必要があります。「実際には、全ての仕事は今までとそれほど変わりはないですが、規模的には小さいですね。」とクイント神父は言います。ドイツにいた頃と同じように、祈りのグループ、巡礼、エキュメニカルな女性の朝食会がある教会生活を知った時に彼は言いました。しかし、信者の年齢構成は、ドイツの地元の会衆とは大きく異なる可能性があります。そこには多くの若い家族がいて、その子供たちはしばしば横浜のドイツ人学校に通い、クイント神父は宗教の教師として横浜のドイツ人学校で教えることになります。学校での聖体拝領と確認の準備も伝統的です。

 

多くのドイツ系の若い家族がコミュニティに属しています

 

クイント神父に加えて、コミュニティにはもう 1 人の 80 歳のドイツ人のイエズス会に属する司祭がいます。そのハム神父とクイント神父の両方は、日本のドイツ人カトリック教会における司牧的ケアを目的としています。これまで、イエズス会のハム神父は、ドイツから上智大学内のイエズス会本部(SJ. HOUSE イエズス会修道院)に派遣された外国人司祭たちと共に日本での司牧活動をしてきました。 「ドイツ人カトリック教会が東京に設立されてから 59 年が経った今、私は特定の修道会に属することなく専門的な仕事をするためだけに東京に来た最初の司祭です。」とクイントは嬉しそうに言いました。

 

<記事の本文和訳終わり>

 

鉛筆 ※ ここでもまた、非キリスト者の方が読まれても理解できない部分が出てきたと思います。

 

このカトリック教会の組織的な形態が国によってことなるということを私も今まで知らなかったのですが、ドイツのカトリック教会では司祭にも2種類あり、また別の記事でご説明したいと思います。基本的にはカトリック教会の司祭たちは修道会に所属しながらルールを守りつつ集団生活をしています。しかし、今回のクイント神父の場合は特定の修道会に属さずに、そして、彼が住む場所も上智大学のSJ. HOUSE イエズス会修道院ではなく自由が丘にあるアパートで一人暮らしをされています。今から35年前に受洗した古いカトリック信者の私にとってみれば、クイント神父さまから名刺を頂いた際に「はぁ~?どうしてそうなるの?」って感じでしたが、ドイツではそういった自由の身(修道院長の上からの指示なしで)のカトリック司祭もいるらしくその社会的な活動はかなり広範囲に渡るようです。

 

因みに、今までは上智大学内のSJ. HOUSE イエズス会修道院で暮らし上智大学の神学部でお仕事されていたハム神父聖ミカエル教会の主任司祭をされていらっしゃいましたが、もうじき石神井のロヨラ・ハウス(イエズス会の老人ホーム、上智大学の神学部内の建物の中)に入られることと思いますので、ここら辺でバトンタッチですかね。カトリック教会では修道会に属していると修道会本部からの命令で動いていますから、ドイツ大使館から神戸で新しいドイツ人教会を設立するようにと言われても何もできません。一般的にヨーロッパでは世俗であるドイツ大使館は社会階級的には、バチカンや修道会の下の階級となりますから、ドイツ大使館から修道会に命令することができないんです。その神戸で新しいドイツ人教会を設立するには、どちらかというと比較的にランクの低い世俗の聖職者を日本に連れてくる必要があった訳です。だから、これにはある良い意味では「修道会に属さない小回りが利く遣いっぱしり的な」存在であって、また別の政治的な意味合いもあるのだと思います。

 

(画像提供: Kisten packen für den Umzug nach Tokio)

 

 

<記事の本文和訳始め>

 

在日ドイツ人の共同体の規模は比較的小さいですが、クイント司祭はその活動範囲が十分に広範であることを期待しています。教会の礼拝や教理教育に加えて、ゲーテ インスティテュート、在外商工会議所など、海外のコミュニティでネットワークを構築することも重要な仕事です。また、ドイツの司祭を重要なパートナーと見なしている大使館との絶え間ない連絡も必要です。例えば、クイント神父は、日本の刑務所に収容されているドイツ人囚人が司祭たちとの接触を求めていることを既に知っています。 「私は恐らく、常にドイツ語圏の大使のような存在であり続けるでしょう」とクイント神父はおっしゃっています。これは文化的な面についても当てはまります、「日本では、ドイツ文化、特に私たちの音楽が非常に高く評価されています。逆に、ドイツ人は日本の文化についてもできる限り多く学びたいと考えており、日本語の基礎をできるだけ早く学びたいと考えています。」そして、東京以外では、日本の地方都市へ行けば英語だけでは不十分だからです。クイント司祭は日本全体を担当しています。例えば、関西地方の大阪・神戸エリアの場合です。そこでは、ドイツ総領事館が、ドイツ系の外国人の為のドイツ人カトリック教会の設立を推進しています。「それこそが私が司祭になった理由です。日本全土の開拓の仕事がしたいです。」と期待に胸を膨らませるクイント。

 

<記事の本文和訳終わり>

 

鉛筆 ※ またまた、「あれ~?」という部分が出てきましたが、几帳面で曲がったことが嫌いと言われているドイツ人が何故に刑務所に収容されているんでしょうね?これって、入国管理局の牢屋ということなのでしょうか?最近は入国管理局員がヤクザのようだというニュースをしばしば聞くようになりましたが、真面目なドイツ人(スイス人、オーストリア人含む)も不法滞在するんですかね?こういったことは知る人ぞ知るなのだと思いますが、もしもそれが本当であれば驚きです。

 

ドイツ人(スイス人、オーストリア人)なんて日本へ出稼ぎに来る必要もないし、移民する必要もないのに・・・。何なんでしょうね? ショボーン

 

(画像提供: Kisten packen für den Umzug nach Tokio)

 

 

<記事の本文和訳始め>

 

コロナで日本への出発が遅れる

 

コロナ禍の中、クイント神父の来日も外交が求められるようになった。公けには、現在のところ特別な措置はありません。現在、クイントはその諸々の条件の免除を望んでいます。 「ここゲルゼンキルヒェンでの私の最後の勤務日は 4 月 30 日です。」彼の都合がよければ、数日後に日本に向けて出発したいと考えています。それまで、彼は司祭観のゲストルームに滞在し、その間、彼の家具を全て船便で発送する準備をし、それが日本へ到着するまでに約6週間かかります。

 

<記事の本文和訳終わり>