「自由という責め苦」  | 梅崎幸吉のブログ

「自由という責め苦」 

「自由という責め苦」 



さて、かくも数奇なる流刑地にての戯れ言にも似たる物語を誰が聞こうか。



ああ、死屍累々たるこの土地に誰一人訪れるものとてない……

この荒涼たる空間こそあらゆる魂の凝縮された意識空間でもあるのだが、この土地に個人の魂が一歩でも踏み込んだ瞬間に失神する。

自我を喪失した屍のみが横たわり土壌と化したこの豊饒なる世界。  

自己探求者の終焉の地。この永劫の自由という極限の拷問と至福と絶えず変転変容する    

一切の万物の意識、意識、意識……


おお、畏れを知らぬのどかなる探求者や求道者共等よ!早く来い! 

この名状し難い、究極の責め苦を味わわせてくれる。 


ああ、さては世界のからくりや秘密を知ったと豪語、錯覚しているお目出たい宗教家、神秘家、哲学者共よ、早々に来い!

世を絶した苦痛というものを体験させてくれよう。 

おれはかかる愚者の如き夢想のみで存在しているのだ。

忌々しいことだが、このおれに答える者は未だ無い。響くのはおれ自身のいびつなこだまばかり……

世の覚醒者と称する皮相な連中はこの実体を知らぬ。

故に周囲をも巻き込もうと悲愴なる形相と柔和なる飴と鞭で民衆を調教しようとする。

おのれの無知を知らぬ厚顔無恥蒙昧なる自称悟りし者等。 
 

ああ、だが、このおれもかつてはそうであった……


まさに、無知な者ほど畏れを知らぬものはない。獣の眠りとは洒落にもならぬ。

真の自由の実体を体験せぬうちには誰もが自由を希求する。

だが、これこそ体験しなければ理解し難い。何というわれわれの運命であるか。

かの、おぞましいオイデプスの神話は事実である。ありとあるどんな荒唐無稽とされる神話は全き事実に基づいて作成されている。

さらには地獄も天国も煉獄も、又各民族に伝承されている如何なる神話もすべてが事実に基づいているのだ。

時空などというものは此の世の幻想にすぎぬ、夢にすぎぬ。

これすら自らが実体験しない限り絵空事にすぎず、これら想像するだに身の毛もよだつことも単なる情報であれば二流のホラーやオカルト映画と何等変わるまい。

    
それにしても、それにしてもだ、どのみちすべての個人が通過しなければならぬものであればそれを速めても問題はあるまいと、おれは考えた。

そうだ、このおれの手元には十字架や手足に打ち込む楔は無数に用意してある。

  
……此の世を隙間無く十字架で埋め尽くしてくれよう。    

こんな愚鈍かつ悲惨な夢想しか出来ないとは、これが自由を得た代償であるとは……

ああ、これは責め苦に耐える為の埒もないおれの夢想にすぎぬ、不可能なる妄想にすぎぬ……