不吉な前兆? | 気ままおやじの独り言

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日々、気ままに暮らしていますが ちょっと気付いた事や感じた事などを書いています。拙い文章ですが読んでいただけたら嬉しいです。

日本には古くからいろいろな怖い迷信がある。

 

・無数のカラスが空高くギャア ギャア鳴いてると良くない事が起きる

 

・夜笛を吹くと泥棒が来る

 

・夜爪を切るな

 

・霊柩車が通ると取り憑かれる

 

・北枕はうなされる

 

・蛇の抜け殻を持つと金持ちになる

 

・落ちてる櫛を拾ってはいけない

 

・数字の4,9は縁起が悪い

 

 

 

他にもまだまだ沢山の迷信や言い伝えがある。

 

迷信と言うのは 良い事よりも悪い事の前ぶれ的な方が多い気がする。

 

では何故 迷信が生まれたのか? 

 

悪い言い伝えや良い言い伝えは何故 信じられてきたのか?

 

昔は今の様に科学は発達していなくて 人々にとっては いきなり起こる

 

自然災害や不幸な事は凄い恐怖に感じた事だろうと思う。

 

なので それらの事象を神の祟りとか霊の仕業と信じられていて

 

神を冒涜してはいけない、そういう行いはやっては駄目だと真剣に

 

思っていて それらが少しでも何かに縋ろうとする

 

人々の不安な心の表れかなと思う。 

 

そうだよね 今なら気象科学が発達してて台風が何処に何時頃来るかとか

 

鮮明に分かるので 事前に備えも出来るけど ある日急に豪雨や

 

暴風が吹き荒れたら 神様が怒ったと信じたくなるのも当然でしょう。

 

家族が原因不明の病気になったり 大怪我したりしたら

 

きっと罰当たりな事をしたからだと 無理やり結び付けたんだろうと察する。

 

まあ そういう所から信仰心が芽生えたり 諺などにして教えたり諭したり

 

してきたのかなと思う。

 

迷信や諺は悪い事ばかりではなく 善い事も沢山ある。

 

・彩雲を見ると吉兆の前ぶれ

 

・「人」を掌に3回書くと落ち着く

 

・福耳は金持ちになる

 

・笑う門には福来る

 

・袖振り合うも他生の縁

 

・親しき中にも礼儀あり

 

・腹八分は医者いらず

 

 

 

それらは人々が貧しい暮らしの中で幸せになる事を望んで ちょっとした事でも

 

ささやかな幸せを求めて作り上げた話かなとも思う。

 

又それとは別に生きて行く暮らしの中で 経験や知識の中から 

 

生み出された 決して作り話ではない根拠に基づいた教えを

 

教訓や諺として 語り継がれて来たのだろうと思う。

 

 

 

さて本題に移る訳だが 先月1月末の土曜日に義父の17回忌の

 

法要を行った時の事である。

 

僧侶と共に勤行のおつとめを行っていた時 僧侶が

 

「では皆様もご一緒に 念仏を唱えてください」の言葉で

 

手に通そうとした私の数珠が いきなり切れて玉がバラバラと

 

畳に落ちたのだった。

 

「ええええ 数珠が切れたよ」と言うと

 

みんな一斉に私の方を向いて 何か言ってる。

 

おそらく不吉なとか思ったんだろうと思う。

 

しかし私は違った。

 

「おおお こりゃ良い事があるばい」とみんなに聞こえるように言う。

 

すると義弟も 「そうそう良い事が起きる前ぶればい」と言った。

 

どっちかと言うと私は迷信は信じない方である。

 

いざ我が身に降りかかれば 少しは考えるかも知れないが、、、

 

この数珠が切れたのも 単なる糸の劣化で当たり前の結果だと思うのである。

 

修理するか新しい数珠を買えばいいだけの事。

 

何でも不吉な事とか結び付けたらキリがない。

 

この時お坊さんは知ってるだろうけど何も言わなかった。

 

どう思ったかは分からないが 一言でも言ってくれれば良かったのにね。

 

 

 

私もそうは言っても ちょっと気になったのでネットで検索してみた。

 

すると私が言う様に 修理や買い替えを書いてあった。

 

まあ古い数珠の処分は お寺様にお願いしたら良いとの事。

 

そして不吉よりも 寧ろ善い事の兆候であると書いてあったので良かった。

 

※自分自身がレベルアップした

 

※仏さまが悪縁を断ち切ってくれた

 

そうである。

 

これも迷信だろうけど 私は良い事だけは信じるよ。

 

早速 心配していた妻に伝えると安心していた。

 

あの時 お坊さんも ちゃんと教えてくれれば良かったのにと思う。

 

 

 

このように何でもネガティブに考えたら気持ちも落ち込むので

 

何でも前向きに捉えるようにしています。