狂えない壊せない許せない。


すべてを壊して、燃やしてしまおう。


少しは楽になれるかもしれない。


どうせ朝はやってくる。



・・・影響を受けやすい年頃です・・・



最近、信頼関係について考えさせられる事が多いです。


「幸福とは、幸福をさがす事である」

ならば、「愛とは、愛について考える」

ことでしょうか。


「信頼とは、逃げないこと」


いつも悩んでると思われがちなのかもしれないし、
逆に何も考えてないと思ってる方も多いでしょうが、

興味本位で色々ひっくり返したりしているサルみたいなものです。



偉い人たちはみんな言う。

知らない承知してない聞いてない。



みんな誰かのせいにして言う。

社会が悪い時代が変わってしまった。


変わらないものがあります。

変わらないとも言われます。



恋は落ちるもので、愛は育むもの。


と、
熱帯夜が言いました。


もり、かけ、まわし、あと、のせ、ふり・・・


そば屋のメニューではありません。

塩の振り方です。

名称はほぼオリジナル・・・

もりは、画像の通り、盛り塩です。
これは梅農家では一般的に使うと思います。

ふりは、数センチ上から、一粒ずつのせるように。

あとは企業秘密ですが、どれほど効果があるかは、不明です。

とにかく毎日上から塩を振って、ポンプで循環してしまえば一緒だよと言われたらその通りかもしれません・・・


ただ毎日、石庭を作りつづけるだけです。



「わかった」というのは、「わかったつもりになった」ということと同義なのでしょうか。



堂々巡りをして、やっぱり最初のやり方が良かったと、元に戻る事もあります。


ぐるぐると同じ事ばかり言っていますが、

「わかった」というのはそこで立ち止まることで、

「わからない」というのは立ち止まらないことだと思います。


人の心も、梅の気持ちも、全くわかりません。

一週間ほど前に、ラジオで、曲も聞いてないのに、
一目惚れ?

思わずメモりました。


虚言者が夜明けを告げる。僕たちが、いつまでも黙っていると思うな。

真夜中の言葉は青い毒になり、鈍る世界にヒヤリと刺さる。

そんなことどうだっていい、この歌を君が好きだと言ってくれたら。



パーソナリティーの小堀さんが、「寺山修司の世界だね」って言ったら、

「寺山修司大好きなんです」って。


わからないことばっかりの世の中で、大切なもの、きっとあるんだ。



あの梅はちょっと育ちすぎてて、サイズが合わない。
この梅は梅干にはいいけど、明日になったら柔らかくなってしまう。
その梅はまだまだ未熟で、いくら梅酒用でもえぐみがでてしまう。

どの梅も、梅には違いないのですが・・・

畑の中を歩き回り、サイズ、熟度、傷や病気がないものを選って手で取るのですが、

いざ選別する時になると、微妙に色がつきすぎてたり、色はちょうど良くてもまだ細長く、熟してるとはいえなかったり。


昨年もブログに書いたのですが、あくまで自己基準であって、
落ちる寸前、あるいは落ちた直後のものでこれは柔らかすぎるだろうという梅が、
お客さんからみたら最高の梅だったり、

未熟のまま穫って、数日冷蔵庫で寝かした梅が逆に喜ばれたり。


写真は畑で選んで手取りして、ある程度未熟や色がつきすぎたものを抜いたあとに撮ったものなのですが、あれもダメ、これもダメと、気に入らないものを抜いていったら、ほとんど無くなってしまう・・・・

実際、選別しながら、途中で注文分が足りそうになると、余っても仕方ないのでサイズ不揃いとか、細かい所もチェックしだして、いざ箱詰めの時に「300g足りない・・」という失敗を繰り返す毎日です。


はっきり言って、みんな個性が強すぎじゃないの?



未だに、どうやって熟度をそろえたら良いかが、全くわかりません。

見た目、大きさ、熟度、

傷をつけたくないため機械にかけないから大きさがバラバラなのも、言い訳にすぎません。


願わくば、それぞれの梅が、最適な行き先、流通、加工方法でそれなりに個性を発揮して欲しいと。


ついこないだまで、あんなに青かったはずなのに。。。