はじめにー伊賀越えとは、本能寺の変の直後、大阪堺にわずかな側近といた徳川家康が、命からがら岡崎まで逃げ帰ったという故事であるー



数日前から、正月に大雪が降るという予報は出ていたので、油断といえば油断です。
まだ明日にかけて関東でも大雪が降るそうなので、昨年関東の大雪を体験した僕にとっては、ただ、「自然の前に、人は身を委ねるしかない時がある」それだけの話ですが、鈴鹿の関にて閉じ込められてる今、眠れないので書きます。


ずいぶん久しぶりに、京都綾部で新年を迎える事になりました。
年なんて越せるか!って思ってた自分には思いもかけずに頂けたおせちと、朝昼合わせて5杯のお雑煮でした。

昼前には、本当に降るのか?という快晴でしたが、本当に一瞬にして雪国になりました。

あとひとつ峠を越えたら京都市内、という所で、ずっと行きたかった、たかばしラーメンを見つけ、無理矢理入りました。この時点で夕方5時。店内のエピソードはまたいつか(^^;;


もうここまでくれば大丈夫だろうと、妹に運転手を代わってもらい、峠越えを諦め、高速でとりあえず市内まで行けたらという希望的観測でした。
jarticの情報、Googleマップ、カーナビの情報、あてにならないとは思いませんが、後で気付いたのは警察や道路整備局も把握出来ないほど混乱していたんだなと、そんな状態でした。

ちょうど高速が通行止めになり、大渋滞の老ノ坂へ。


僕が目を覚ました時には、京都市内。時間は9時半。


普段一時間半の道程に7時間かかってました。
その時のjartic情報では、新名神も名神も通行止め。とんでもない渋滞の中で、一号線をこのまま走っても、一日で鈴鹿の関を越えられる気がしません。



そこで!思いついた京都から天理まで下って名阪国道で帰る、「伊賀越え」


とにかく、東海道からと、熊野からの合流地点の関宿、行きは土山から、帰りは伊賀を越えて、なんて、ちょっとテンションが上がっていたのかもしれません。しかも実際の伊賀越えルートとは、全く違うことはもはやどうでも良くなってました。


京都から奈良、天理、伊賀までは、驚くほど順調に走りました。伊賀を越えてから、突然の渋滞。もはやiPhoneの電源は無くなり、頼みの交通情報ラジオからは、10キロの渋滞です。と言う声が流れ続けるだけ。カーナビの情報は通行止めになってるので信用できません。



今までの道程を考えると、ゴールまではあとわずかなのに…


地図上に、並走する国道、旧大和街道を見つけた時、大渋滞の名阪国道を横目に、スイスイと抜け道を走る時、内心、
(伊賀越え、してやったり)

みたいな冒険心でいっぱいだったのは否定できません(-_-)



一旦名阪に合流しかかったのですが、まだ旧道は続いてる、という理由で旧道に入ると、長い上り坂、完全にツルツルのアイスバーン、しかも大渋滞。

一体この先はどうなってるのか?その時は妹の運転だったので、車をおり、調べに行ったのです。

だんだんとみんな諦めてUターンし始めて、それでも誰も先がどうなってるのかわからない。という状況でした。

前の車がほとんど引き返しても、「行けるとこまで行ってくれ」と、車を追いかけながらアイスバーンを走って追いかけました。

後続車もついてきます(-_-)

対向車は全く無くなりました。

遠くに黄色い点滅、道路整備車のようです。ようやく人に話が聞け、事故車の立ち往生で、無理だと。

ここなら引き返せるという場所に立ち往生してチェーン装着していたミニバン。
ちょっとだけ前に行ってくれとクレームを言いに行ったはずが、車を押したり、道の氷をジャッキで削ったりと、結局中高生の三人の男の子たち、お父さんの代わりにチェーン装着し「せめてお名前だけでも」と感謝されました。が、実は急かして車を動かさなくても装着できるタイプのチェーンだったのに、バックさせてタイヤにひかれ、歪んだり噛み込んでしまったチェーンを直しただけだったのです(-_-)

チェーン装着が終わる頃には、後続車はいつの間にか全て引き返しており、自分の車を切り替えしたいだけのただのクレーマーですね…

引き返しながら、一旦停車して、他に抜け道は無いかと懲りずに(!)探してると、何処から来たのか、何台かの車が、後ろからやって来ます。

思わずまた車を降り、聞いて見ました。すると、

「何台も玉突きしてたり、とにかくあちこちで事故が起きてて、道も細く、すれ違えなくて大変なことになってる」と。
こちらもお返しに奈良方面の状況を伝え別れました。
それでも念を押したかったのか、たまたま数台後にJAFのレッカー車(もちろん一台目をレッカーしてるとこ)を見つけ、聞くと、

「絶対、無理!!!」

と言われようやく名阪国道へ引き返しました。その後すれ違う車全てに、同じ言葉をかけながら!

その後もパトカーを見つけ情報提供と通行止めに立っといてくれと要望に?行ったり、
名阪国道を登って行く明らかなコンビニ買い出し部隊の若者を見つけ追いかけて詳しく先の状況を聞きたくなったり…


例えば、この先は無理だから!とか、

声掛けとか情報交換が、もっとできたらなと。

ものすごい路面状況なのですれ違う車に声掛けなんて出来ないのも元日のドライバー構成もあるでしょうが、
ネットやラジオではカバー出来ない、リアルタイムの情報をどうやったら伝えあえますかね?

SNSで立ち往生ナウ➕位置情報、してる場合じゃない時も、あると思います。
なんて事を考えた、2015年のはじめの日でした。


今年の目標というか、まず守るべき事は、
身だしなみをしっかりする。
整理整頓。

です。

一体どんだけ諦めが悪いねん、という話でもあります。
ヘイトスピーチ問題。橋下市長と在特会の桜井氏の公開面談の動画やその後の報道を見ました。
ネット上ではもちろん、TVにおいても、在特会の知名度を上げただけという意味を含めて、橋下氏が批判されている感じでした。

思想信条や、表現の自由というものがあり、どんな意見でも言うのは法的に問題は無いということです。
迷惑行為や業務妨害以外では、なかなか判断が出来ないと。
例えば米軍に対して「出て行け」というのと在日に「朝鮮半島に帰れ」というのはそういう意味では同じ事です。

一つの意見です。

橋下氏の主張はこうです。
「民族や国籍をひとくくりにして、評価するのはやめなさい。大阪では」


ありがちな例え話をします。

出会った異性の外面を見て気に入り、そして内面を知り心から好きになったとします。
結婚しようと出自を調べたら、在日3世だったら、どうしますか?

あるいは被差別部落出身だったら。
隠していたわけではなく本人も知らなかったら。
あるいは自分自身がそうであったら。

どうしても我慢が出来ないという人もいるかもしれません。

本気で好きになった人が、不治の病にかかったら。
例えば障がい者であったら。
心の闇を抱えていたら。
あるいは自分自身がそうであったら。
自分の子供がそうであったら。


ヘイトスピーチとは、自分たちの弱さを認める事ですか。
あるいは相手の事を、認める事ですか。

少なくとも吠えるなら、上に向って吠えなさいという、底辺からの主張でした。
昔話なので、長いです・・・

先日、名古屋にて昼食中に、突然ベルトのバックルが破損!

ズボンを押さえながら何処かベルト売ってる所はないかとウロウロ…

流石にラフ過ぎる格好で百貨店へ行くのは気がひけて、LOFTならあるだろうとプリンセス通りを南へ。

元ダイエーの裏にあった、昔広告屋の営業でお世話になった店がまだ営業してるのにびっくりしました。狭い路地だったのが、向かいのビルが駐車場になってました。

もう20年近く前の話ですが…

LOFTのopen前に、焼肉屋の営業でナディアパークのオフィスビルに飛び込みに行ったのも18年前の話…
これは当時の店長が、ミーハーだったのが理由ですが。


そんなこんなで、モンベルにてベルト購入。結局左側にしました。


ちょっと前から、外へ出るたびにカバンを物色していたのですが、勢いでとうとう買ってしまいました。

ベルト、カバン、財布、身につけるものを自分で買った事がほとんど無いという僕が、まさかの一度に二つも購入!


農業を始めるにあたり、広島のワークマンにて、ナイロンのベルトを買ったものの、数年で錆び付いて壊れてからは、従兄弟のお下がりできっと息子用にともらったベルトをずっと使ってました。

財布に至っては、17才位から数年前まで、ずっと同じ財布。
数年前にもらった財布も最近小銭が時々こぼれるようになって来たので、前の財布に戻そうかと思っています。

同じく17才位にザックを買ったのは今まだ現役ですが、ザック以外の山用品はいつも借りてました。


時々腕に、皮が剥がれて(合皮)黒い後が手につくようになって来たカバンは、就職活動をするにあたって、兄にもらったものでした。何年前かも思い出せません。



....ちょうどクローズアップ現代で、30代の管理職が大幅に不足している話をやってました。

バブル崩壊、就職氷河期を経て、守りの経営を続けて来たツケが顕在化したという内容でした。

一応僕も兄にもらった革靴とカバンを持って、就職活動もしたことがあったり・・・

3社ほど説明会に出て、受けたのは結局1社(汗)


人間万事塞翁が馬と言う事で、そんなに転職を繰り返したつもりは無いですが、今に至ると。


やり直したい、という気持ちで書いているのではありません。
1社しか受けなかったのも、今さら何をみたいな話です。

もし聞かれたら、言おうと思っていましたが。


「何十社も受けておきながら、御社が第一志望です、なんてうまく言えないので」

・・ちなみに落ちたその会社の業種は、とても言えません。。



そんな古いカバンをそろそろ捨てて、そのうちに新しい靴も手に入れて(?)

しそジュースを炭酸水で割り、飲んでいる気分を堪能しながら、という37歳です。。。

決して太ったという話ではありません。。

穂村:そういう決意や大きな志とリンクするには、「恨み」じゃなくて「怒り」の周波数じゃないと太刀打ちできないというか。あと、「恨み」の場合は原因がなければ発生しないけど、こういうタイプの「怒り」は、世界中が幸福にならないと消えないと思います。お金持ちになって、彼氏と上手くいって、人気者になったら消えるような「怒り」は、表現としては弱いですよね。ミュージシャンが、活動のピークで自殺したりするのは、やっぱり魂が本物なんだなって思うんですよ。そういうのを見ると「自信ないな」って思います。「俺、金持ちでモテるようになったら、怒りとかなくなっちゃうかも」って(笑)。

ハルカ:(笑)。

穂村:だから、今日は声をかけていただいてすごく嬉しかった反面、「この人(ハルカ)、すごく純度高そう」と思って、ちょっと来るのが怖かったんです(笑)。年をとると、自分の純度に対して不安になるんですよ。「維持できてるのかな?」って。

(中略)

穂村:さっきの<もしも触れれば跳ね飛ばされる ぎりぎりのところに立っている>っていう言葉は、「次の瞬間死ぬかもしれない」っていう意味でもありますよね。その事実ってみんな知ってるはずなんだけど、意識すると生活できなくなるから、何となく「まあ10年は死なないだろう」とか思って毎日生きてる。でも、人から「10年は死なない」と言われたら、「何を根拠に!」って思いますよね。常にその二重性の狭間で生きてるんです。



ハルカ:わかります。

穂村:多くの人にとってお札はお金に見えますけど、「明日死ぬ」とわかった瞬間に、お札はただの紙に見えると思うんです。つまり、「明日死ぬかもしれない」という感覚で生きてる人にとってお札は単なる紙であり、やっぱり超絶的な詩人や天才的なミュージシャンは、お札が最初から紙に見える人で、そういう人が本当のクリエイターだと思う。安定して札束に見える人は、人を感動させられないし、「死」に対する感受性というのは、表現者にとって決定的な切り札だと思うんです。

ハルカ:やっぱり、今はどうしても「死」より「生」の方向というか、生きるための言葉に共感を持たれることが多いですよね。実際そういうことを歌ってる人のほうが多いし、それに共感して聴く人も多いと思うんですけど、「そうじゃないだろう」というつもりで書いてはいます。

穂村:恋愛すると、「この幸せが終わるのが怖い」という感じが強まるじゃないですか? あれは不思議な作用だと思うんですけど、それを感じたくて恋愛したくなるのかなとも思うんですよね。「この死の感覚が生きることの本質だよな」って、確認したいのかなって。
(後略)



先日、ブログで書いた時には、数曲をサラッと聴いた程度でしたが、聴けば聴くほどすごいなと。
上記の穂村弘さんとの対談も、言葉のぶつかり合いがすごくて、一部だけを抜粋しました。

語ってるのはほとんど穂村さんですが・・


共感とはちょっと違うんです。


矛盾に対しての反抗や未来に対する切なさを、突きつけられる感じですね。



(少し酔ったみたいね、しゃべり過ぎてしまったわ でも、金がすべてじゃないなんて、キレイには言えないわ)尾崎豊ダンスホールより
食べ放題の店にて。

「杉ちゃん、一体どんだけたべるん?普段よっぽど食べてない子みたいやで」

「まだまだ、これからですよ。あと、食べ放題じゃなくても普通に食べるからね」


いつも、「普通です」が口癖ですが、普通が何かわからなかったりもします。


食べる量や早さなら、標準的数値を割り出す事が可能なのでしょう。

年代別、男女別、体格別とか。


ただ、人の感情や行動、嗜好に関しての普通てのは、一切わかりません。


「あなた、濃い味付けが好き?それとも薄い方が好き?」

「いや、あまり比べた事がないけど、そもそも標準て答える人はいるんですか?
ミスター・スタンダードみたいな」


「・・・」

性癖や性格になると、変わってると言われても、比べようが無いですから、

「そんなの世間と比べた事ないし、わかりません」

と答えるしかありません。

そもそも、普通の人なんて、いるのですか?


昨日、「キレキレのファミマ店員加藤さん」の動画を誰かがシェアしてるのを見て、

(こんな動きの人、どこかで見た事がある)というデジャヴを感じましたが・・・・
時々、笑い声が聞こえるのです・・・