【師からの言葉(その4)】 | 梅の里自然農園便り

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「自然農」の田畑の様子と、「自然農」の世界を中心にお伝えしていきたいと思っています

「勇惣さんは基本的に中庸を生きようとされておられるように見えますね。

ただ、常に中庸であることが望ましい在り方とは言えない場合もあるか

とは思っています。」

これは天理での『傷寒論』の漢方学習会の最終日の後にいただいた言葉です。

2005年のことでした。


前回触れたように、僕の漢方の学習会への参加は、母が脳梗塞で寝たきりになり、

在宅介護をしていた2年間中断しました。

当初毎月川口さんのご自宅で行われていた学習会は、2001年ごろから

天理の都賀詰め所での1泊2日の隔月の学習会に発展しており、

数年間『傷寒論』を読み解くことが中心の学びになっていましたが、

その終盤2年間に僕は参加できなかったというわけです。

 

そして、2年間の介護の甲斐もなく母は僕の45歳の誕生日に旅立って

しまいましたが、それで僕は漢方の学習会参加も再開することにしました。

再開後ほどなくして都賀詰め所での『傷寒論』の学習会も最後になると聞き、

その回も、都合をつけて参加することにしました。

 

その回の学習会で、川口さんは最後に十分な時間を取られて、

参加者お一人お一人にお言葉をかけられたのです。

たぶん100名以上の参加者がおられたと思うので、2時間ぐらいは

かけられたように思います。

で、僕に対してもどんな言葉をかけていただけるだろうと期待しつつ

待っていたのですが、とうとう最後まで僕に対してのお言葉はありませんでした。


正直それは結構ショックなことでした。

でも、それでめげていては、せっかく師のもとで学びを続けている甲斐がないので、

学習会が終わった後、川口さんに直接尋ねに行きました。

「川口さんに僕はどう映っていますか?」

という問いに、抜かしてしまってちょっと申し訳なかったなという表情を見せながら、

師からは先の言葉をいただいたのでした。


『中庸でない方がいい場合がある』←『それは、どういうことなんだろう?』

という想いも湧きましたが、それ以上問いを続けることは出来ずに、

「また次回もよろしくお願いします。」とあいさつをして会場を後にしました。

そして、『僕にとって、中庸でないことが望ましい在り方になることって

どんな場合だろう?』

それ以降、折につけて考えるようになりました。

そして、一つの決断に至ることになったのです。(続く)

P.S.
川口さんが学びに使われていたのは、大塚 敬節 著『臨床応用 傷寒論解説』です。


四半世紀の間に、川口さんの学習会で何回か繰り返し学ばれてきた『傷寒論』

ですが、昨年になって、過去の学習会の内容を凝縮された著書が出版されました。


傷寒論の各章に対してとても丁寧な解説がされていることに加えて、

漢方(古法)の基本的なことに関しても分かりやすく解説してくださっています。

学習会で行われた質問に対しても丁寧に答えられている部分も多く、

独学で傷寒論を学ばれる人にとっては、とても役に立つ書籍になっている感じです。

僕ももう一度『傷寒論』の世界を学びなおしてみようと、毎日少しずつ

読み進めていっているところです。