「論露に不二」 坂東市矢作
この店を初めて訪れたのはもう1年も前のことになります。以前「濃厚タンメン専門店」という大きな看板が立てられていたことは記憶していました。看板が無くなり店は撤去したと思っていたのです。ところが全く看板が無いのに駐車場にはたくさんの車が停まっているのを偶然見てしまいました。思わず私は車を停め、店を出てきた人に何のお店か尋ねました。するとラーメン店だというではありませんか。すでに14時15分。しかし思い切って入店してみました。事前に食券を買うシステムです。親切な店員さんから教えてもらいながら食券を買います。限定メニューの「魚と水」は売り切れだったので「松茸と水」を買いました。麺が130gと少ないので替玉を薦められ、青唐辛子の替玉にしました。替玉といっても、博多ラーメンの替玉のような麺のお替りではありません。まったく違う種類の汁なし麺なのです。メインの汁麺の方は量も少なく価格も高いように思われますが、替玉は低価格に設定されており、2種類の麺が食べられると思えばトータルではリーズナブルな価格といえます。殺風景な外観と異なり店内は広々として天井が高く内装も高級感にあふれています。BGMにジャズが流れています。今回は2食のラーメンを同時に頼むように言われました。なんと14時30分が閉店時刻だというのです。私はギリギリに入店した最後の客でした。店を出る際に聞いたら、オープンしてすでに2年だそうです。女性客がとても多いことはうなづけます。店名は古典が由来のようですが出典は聞きそびれました。
あっさりとした和風の透明なスープに細麺のストレート。具はキノコとチキンと玉ねぎ。
前回は閉店時刻ギリギリだったので、今回は11時の開店後すぐに訪問しました。11時10分なのに店内はもう満席でした。「魚と水」は今日はやらない日だそうです。
少し塩味の強い鶏白湯のスープに細麺ストレート。具は「松茸と水」とほぼ同じです。
固めに茹でられた細い平打ち麺の混ぜそばです。とても気に入りました。
東京都で思い出に残った店…3
2006年1月10日 「麺屋梵天」 渋谷宮昌坂 ワンタンメン 830円 野菜大
麺大盛、野菜大盛が無料です。背脂入りこってり醬油スープに極太縮れ麺。野菜たっぷりは良心的です。つけ麵を頼む客がほとんどでした。
2006年2月8日 「らーめん粋家」 JR秋葉原駅 粋家ラーメン 600円
粋家とは「スイカ」のことと思われます。JRが運営しているラーメンなのでしょう。まったく期待しないで入店したのですが、まずはスープ熱々に感心し、思っていたよりおいしくて驚きました。透明なすっきりした醤油スープに中細縮れ麺。白菜が入っているところが大阪の神座や天理ラーメンを思わせます。東京のラーメンとは一線を画したいのでしょう。
2006年11月7日 「博多ラーメン 由○」 中央茅場町 ワンタンメン 830円
八重洲にあった「福のれん」が店名を変え都内あちこちに進出を始めました。ここのワンタンは私の大好きな福岡のワンタンなのです。価格は高いと思いながらも来てしまいます。
2006年11月14日 「支那そば 八島」 中央八丁堀 肉入りワンタンメン 800円
4年前の開店時に一度訪問しています。中国人の女性が一人でやっていましたがとても対応が悪く散々待たされた上にラーメンの味も今一つでした。たまたま再入店したら同じ人がやっていましたが、かなり段取りが良くなっていました。コクのある醤油スープに中太縮れ麺。チャーシューもワンタンも良い出来です。出てくるのは遅いのですが、丁寧な仕事ぶりです。
2007年1月22日 「らーめん三芳」 中央新川 さいとんミソラーメン大 600円
さいとんという名称は昔銀座の東芝ビルにあった「直久」を思い出させます。普通の醤油ラーメンは300円、大盛も100円増しです。さいとんとは肉野菜炒めのことです。濃い目の味噌スープに中太ストレート麺。さいとん大盛だと麺も野菜の量もたっぷりで満足感があります。しかも安いのです。
2007年2月19日 「Fei」 中央茅場町 タンタンメン・ジャンボ餃子 1.000円
担々麵は、胡麻とピーナツが多めの甘いスープに中太縮れ麺。辛いものが苦手な私でもラー油をたっぷり足してちょうど良いぐらいです。担々麵単品だと800円。ジャンボ餃子が2個付いてきますが、八重洲の「泰興楼」の餃子にそっくりなのです。「泰興楼」のアンテナショップかもしれません。
2007年2月26日 「火の国ラーメンてっぺん」 中央人形町 チャーシューメン大 850円
細かい揚げニンニクが入った白い豚骨スープにストレート麺。固めのチャーシューも熊本風です。
2007年3月12日 「中国屋台十八番」 中央新川 とくにらそば 770円
昼時にはいつも外まで人が並んでいて、行列の間にオーダーを済ませておきます。ランチメニューは麺類が中心です。あっさり醤油ラーメンの上にたっぷりのニラ玉が乗っています。味が良く価格も内容も良心的です。
2007年9月19日 「ラーメン七志」 渋谷宮昌坂 七志ラーメン・クキワカメ 800円
ニンニクチップの浮いたとんこスープ、明らかに熊本ラーメンを意識したスープです。しかし麺は中太の縮れ麺。これがとにかく美味しいのです。
2008年2月8日 「博雅」 中央八重洲 広東麺 800円
店員はほとんど中国人、客も中国人が多いようで、店内は中国語が飛び交っています。しかし味付けは日本人向けです。たっぷりの具があんかけで醬油ラーメンの上に乗せられていて、食べごたえは十分です。
2008年4月1日 「しゅうまい屋」 台東上野 黒濃ラーメン大 750円 メンマ 200円
営業の帰りにたまたま見かけて入店。名前通り真っ黒な色の味の濃い魚介系スープ。脂はほとんどありません。麺は中太縮れ麺。これがなかなか美味しくびっくりでした。
2008年11月19日 「らーめん亜寿加」 渋谷 醤油排骨麺 900円
この店は排骨をパーコーではなくパイクーと呼びます。排骨担々麵が一番人気のようです。すっきりした醤油スープに中太ストレート麺。パイクーもとても美味しく、ランチには小飯が付きます。全体としてとても完成度が高い麺です。
2008年11月19日 「唐そば」 渋谷 ラーメン 700円
北九州の黒崎から移転し息子さんが渋谷で開業したことは知っていましたが、なかなか訪れる機会がありませんでした。メニューを見るとラーメンとその大盛に加えてつけめんがありました。あっさり豚骨スープに中太ストレート麺。薄いチャーシューにモヤシとキクラゲ入り。黒崎で食べてからもう10年以上たっていましたが、再現度が高く美味しくいただきました。オシャレな店内にきびきびした店員さんも魅力ですが、平気で客の背中にぶつかってラーメンを運んでいるおばちゃんたち
がいた黒崎も懐かしく思います。
2008年12月9日 「太陽のトマト麺」 中央兜町 太陽のラーメン 730円 替玉 100円
11月にオープンしたお店。鶏白湯ラーメンの店がトマト麵の店になっていて、行列ができていたので試しに並んでみました。ほとんどが女性客です。イタリアのトマトを使っているのが売りのようです。出てくるまでかなり待ちました。最初は酸っぱく感じたトマトスープは飲み進めていくうちにどんどん美味しく感じます。博多風の細麺ストレートとも相性が良いです。今まで味わったことが無い味でした。
2009年2月26日 「IBUKI」 千代田半蔵門 つけめん中 800円 メンマ 200円
つけ麵好きの同僚に食べて意見を聞かせてくれと言われ入店。中盛でもかなりの麺の量。苦手の極太麺でしたが平打ちでモチモチ感があり許せる範囲です。つけ汁はあっさりながら魚介ダシが効いて美味しいつけ汁です。メンマは高いだけで量も少なく期待外れ。しかし私が今まで食べたつけ麵の中では上位に入ります。同僚にもそのように伝えました。
2009年5月29日 「むつみ屋」 港南青山 青山ラーメン 850円 野菜盛 300円
北海道ラーメンの店。聞くと酒粕を使ったオリジナルの味噌ラーメンとのことで、青山ラーメンをオーダー。野菜盛も価格高めですが味噌スープと良く合い、ニンニク入れると私好みの味になります。麺もコシと弾力があり高評価となりました。
2009年7月14日 「コーワ」 足立北千住駅 もやしラーメン 430円
駅に下る階段の途中にあります。うどんやそば中心ですが定食もありとにかく安いのです。懐かしさで20年ぶりくらいに入店しました。北千住は通勤の乗換駅でした。入社したての独身の頃はよく通ったものです。業務用醤油スープに中細縮れ麺。価格を考えれば化学調味料はやむを得ません。店内は20年前と同じでした。
2009年11月10日 「龍門」 台東上野 白湯麺 650円
中国語しか聞こえない中国人の客が大半で店員も中国人と思われる店。想像と違い、ラー油入りの辛いラーメンでした。オーダーミスかとも思いましたが、野菜たっぷりで麵も多く、美味しくしかも安いのです。
2010年6月16日 「沢田屋」 江東木場 タンメン・半チャーハン 800円
麺類にプラス200円で半チャーハンが付きます。タンメンは野菜たっぷり、あっさり塩スープ。量も十分です。良心的街中華でした。
2010年6月28日 「久留米ラーメン金丸」 中央銀座 ワンタンメン 900円
少しマイルドですが本格的な豚骨スープの久留米ラーメンです。ワンタンも上出来。東京だとどうしても価格は高くなります。
2010年9月17日 「くじら軒」 中央八重洲地下街 ラーメン あっさり 700円
あの有名な「くじら軒」が東京駅で食べられる、しかも行列なしで、と聞き訪問してみました。濃い醤油とあっさり醤油の2種類の支那そばが選べます。あっさりを選びました。スープはそれなりにコクはあり細麺ストレート麺、具も悪くありません。量は少なめでとにかく上品です。ところが横浜在住の同僚は「本店の味とは全然違う」と言うのです。本店に行くチャンスが無い私は比べようがありません。
2010年9月29日 「博多風龍」 渋谷渋谷センター街 キクラゲラーメン 600円
「博多天神」と店の造りやメニューがとても似ています。どちらが本家かは分かりませんが、おそらく枝分かれしたのでしょう。「博多天神」よりスープは少し薄くてマイルドです。またこの店は替玉2玉まで無料となっています。若者をターゲットにしているのでしょう。
2010年10月5日 「ラーメン新橋店」 港新橋 肉入り大・野菜 800円
店の外側にはラーメン屋を思わせる装飾や表示は一切ありません。ドアの窓からのぞくとどうやらラーメン屋のようでしかも客がぎっしり入っているのです。以前から気になっていたのですが今回勇気を出して入ってみました。野菜やニンニクなどトッピングが無料です。ひょっとして。そしてラーメンが出て来て確信しました。背脂がびっしり浮いたスープに太麺。これは「ラーメン二郎」です。客が多いはずです。50歳を過ぎてから、健康を考え「ラーメン二郎系」はなるべく避けるようにしていたのですが、やはり美味しく完食してしまいました。
2010年10月15日 「元祖札幌や」 千代田帝劇ビル地下 ネギモヤシミソラーメン 660円
「元祖札幌や」はチェーン店のようで実は独立店と認識しています。甘めの白味噌ベースの味噌ラーメンが売りなのですが、店によって微妙に味が違うからです。この帝劇ビル地下の店は、私にとってはようやく見つけ出した店です。味・量・価格の全てが満足すべきレベルです。
2010年11月1日 「広州市場」 目黒五反田 広州ワンタンメン塩大 860円
仕事で五反田に来ていて偶然見つけ、行列に並び入店しました。ワンタンメンが売りのようです。あっさりだがコクのある塩スープにコシのある中細縮れ麺。私の好みにピッタリです。チャーシュー、煮卵、メンマに加え大きくてプリプリのワンタンが8個も乗っているのです。今まで私は福岡のビロビロのワンタンが最高と思っていましたが、この店のワンタンは私の認識を大きく変えました。皮が薄く柔らかく身がぎっしりと詰まったワンタンがこれほど美味しいとは。過去の私のワンタンに対する不見識を恥じるばかりです。麺のお供ではありません。ワンタンが主役の麺料理と言ってよいでしょう。食べながら幸せを感じました。
2010年11月8日 「麺やまらぁ」 中央人形町 塩らぁ大 750円
ランチタイムは麺大盛はサービスとのことでした。ドロリとした鶏白湯スープに中太ストレート麺。具はチャーシュー、メンマにミニトマトまで入っています。なかなか美味しくいただきました。どこかで味わったことのあるスープです。思い起こすと、まだ鶏白湯スープがブームになるかなり前、西宮の「ほうれんそう」という店が鶏白湯スープのラーメンを出していたのです。このスープは「ほうれんそう」のスープによく似ています。
2010年11月15日 「満天らーめん」 中央水天宮 満天野菜ラーメン大 800円
★ラーメン・ブログ 阿伏兎 思い出のラーメン店 ⑩でご紹介しました。
2010年11月16日 「麺喰屋 澤」 中央蛎殻町 醤油ラーメン 730円 メンマ 100円
カウンターだけのおしゃれな店。BGMはジャズが流れています。麺大盛はサービスとのことです。ドロリとした和風スープに中太ストレートのもちもち麺。メンマも自家製。美味しくいただきました。
2010年12月15日 「蒙古タンメン中本」 台東御徒町 蒙古タンメン 770円
どちらかというと辛みが苦手な私はずっと避けてきました。しかし同行していた同僚が「どうしても行きたい」と言い張るので仕方なく入ったのです。メニューはいろいろありましたが、店員さんが「蒙古タンメンが平均的な辛さです」というので、それを頼みました。ニンニクたっぷりのトロミのある激辛スープのタンメンに太めの麺、その上に激辛の麻婆豆腐が乗っています。全体的に量は少なめですが、一口食べてびっくり。すさまじい辛さなのです。これで平均なのか、恐るべしです。辛さだけでなく旨味も強く、大汗をかきながらもスープは飲み干してしまいました。人気があるのは分かりました。ですが私はもう行かないと思います。
「棋は対話なり」
藤井総太七冠が昨年野間出版文芸賞受賞のスピーチで述べた言葉です。盤上での駒や石のやりとりのなかで、戦いだけではない心の交流やコミュニケーションが生まれるということでしょう。私は将棋も囲碁も一応のルールと駒や石の並べ方は知っている、という程度の人間ですが、この言葉を聞いて、ある物語のあるシーンを思い出しました。
印象的で私にとってはとても感動的だったのですが、将棋や囲碁の上級者やプロ棋士の感想やコメントを読んだことはありません。ぜひ伺いたいところです。
主人公の一人は、キメラアントという種族の王です。人類をはるかにしのぐ戦闘能力と知力を持ち、人類のことはエサとしか認識していません。キメラアントは“接触交配”という特殊な産卵形態をとる生物です。簡単に言うと食べた相手の生物的な特徴と記憶を自ら受け継ぎ、遺伝させて子孫に引き継ぐことができるのです。したがってできるだけ多くの人間を食べることによって成長し強くなります。優れた頭脳を持つ人間の脳が特に美味であることを知った王は、優秀な人間をエサとして求めるようになるのです。
東ゴルトー共和国の王宮に現れた王は、王宮お抱えの囲碁、将棋、チェスなどのチャンピオンをいとも簡単に破っていきます。「ルールは違えど一級の打ち手にはその打ち筋に独特の呼吸がある ゆえに“相手の呼吸を乱す”ことが肝要…」と王は言い放ちます。
そして東ゴルトー共和国で生まれた軍儀という盤上競技(三次元性を持った将棋に似たゲーム)の現在のチャンピオンが世界一の実力だと聞かされ、「ふん…そいつに勝てば余が世界一ということか 余戯の締め括りにはふさわしい 呼べ」。呼ばれてきたのは盲目のみすぼらしい少女でした。この少女がもう一人の主人公です。普段は眼を閉じている少女は軍儀を打つ時だけ目を開きます。しかし盤は見えないため相手に使った駒と置いた位置を告げてもらわなければなりません。簡単に終わらせるはずだったにもかかわらず、王はどうしても少女に勝てません。少女が1年前に自ら考案しその後禁じ手にしたある手を王が偶然指した時、少女の手が一瞬止まります。その理由を問われた少女の回答に王は心を乱されます。
少女は盲目のため王の異形の姿が見えません。外見を見ておびえることが無いのです。国の総帥のお抱えだった少女は対局する相手のことを総帥だと思っています。
「わからぬ 不愉快だ 呼吸を乱されているのは終始余の方」。王は苛立ちながらもそれを楽しんでいる自分にも気づいています。ただそれがどうしてなのか理由が分からないのです。
よだれを垂らしながら居眠りをする少女を見て、「不細工な…知性・品性の欠片も感じられぬ 何故斯様な者から論理の究極とでも表現すべき美しい棋譜が泉のごとく生み出されるのだ…!?」。王は少女の心を乱すために賭けを持ち掛けます。「そちが負けたら左腕をもらう」。ヒトの呼吸を乱すもの…欲望と恐怖。しかし少女は左腕ではなくいつも自分が賭けているものではダメなのか、と問うのです。それは自分自身の命でした。
(軍儀が強いことしか取り柄の無い私は、勝ち続けてチャンピオンの地位を守るしか収入を得る手段がありません。うちは12人家族でいま私は家族で一番の稼ぎ頭です。しかし負けたら家族で一番の足手まといになってしまいます。負けたらただの人ではすまないのです。家族の迷惑になるのです。ゴミなのです)
「ですからワダすはプロの棋士を目指した日から 軍儀で負けたらば 自ら死ぬと決めております」。坦々とそう答える少女に王は自らの態度を強く恥じることになります。
「命か…どうやら覚悟が足りなかったのは余の方だ 賭けはやめだ くだらぬマネをした」。
「これで許せ」。自分が許せなくなった王は自ら左腕を引きちぎります。片腕のまま対局を続けようとする王に、少女は応じません。「総帥様のおケガが治るまで打ちません」。少女は国の総帥のお抱えでした。相手は常に総帥なのです。声が違っても新しい総帥という認識しかありません。
王は打たないと殺すと告げますが、少女は「打ちません ワダすを殺すならばどうか軍儀で…」。少女の気迫に王は部下を呼び、左腕の治療を命じます。王の部下たちはこの少女が王にとって危険な存在になりかけていることに気づき始めます。
対局を重ねるごとに王は強くなっていきます。しかしそれ以上に少女は進化を続けます。
ある時、王は少女の全身が光に包まれるのを目にします。少女が覚醒した瞬間でした。少女はこれからもっと強くなるのです。王は少女に名を尋ねます。
「コムギと申します」。少女は問います。「総帥様は…総帥様のお名前は何とおっしゃるのですか?」。王は答えられません。自分の名前を知らないのです。一族を統べる者として最大の権力者として生きてきたのです。自分は王以外の何物でもなく、王であること、王と呼ばれることに何の疑問もありませんでした。「余の…名前…余は…何という…?」。
王は部下たちを集め、その一人一人の名前を呼び、自分の名前が何なのかを問います。部下たちはそれぞれ名前を持っています。しかし誰も王の名前を語ろうとしません。
「恐れ乍ら申し上げます 王は王です それ以外の何者でもなく 唯一無二の存在…!!」
王は部下たちにコムギが覚醒した時の光景を伝えます。「コムギと出会って…強さにもいろいろあると学んだ…たとえばここへ来る途中 余は子供を殺した あの子供ももしかしたら ある分野で余を凌駕する才を目覚めさせていたかもしれぬ」。この時、王もまたヒトとして覚醒したのです。部下たちは恐れます。単なるエサであるべき人間に対する行いに後悔や反省があってはならないのです。しかし次の瞬間王に蟻の王としての自覚がよみがえります。「その芽を余は抓んだ たいした意味もなく 抓んだ 余は…命を意味なく抓んだ だとしたら何という強さ…理不尽に現れ他の数多ある脆い強さを奪い 踏み躙り壊す…!! それが余の力 暴力こそこの世で最も強い能力」。王はここにやってきた本来の目的を思い起こすのです。それは国民を集め自分たちのエサとして選別し人肉農場を作ることでした。その偉大な目的を前にしてほんの時間つぶしで始めた軍儀でコムギと出会い、心乱され惑わされてしまったのです。
「コムギ…あの女とて同じこと 高が軍儀…所詮盤上の遊び…もういいではないか 十分 楽しんだ もう用無し…殺るか 今すぐ」。王はコムギを殺すことにします。
しかしコムギのいる部屋に入った王は、野鳥に襲われ大けがをしているコムギを助けてしまいます。「なぜ助けを呼ばぬ!? ここも こっちも血だらけではないか!!」 何という…何と脆い生き物なのだ…!!
「早朝…ですから 御迷惑をお掛けすては…いけないと…」。コムギのこの言葉に王は自分でも予想できない回答をするのです。「…迷惑なことなど何もない 貴様は…大事な客だ」
余は一体…何を言っている? たった今 こいつを殺しに来たのではないのか…?
人にこんなに優しくされた経験のないコムギは大泣きします。それを見て王はつぶやくのです。
「何なのだ!? この生き物は…!! 余は こいつをどうしたいのだ…!?」
王はコムギを尊重すべき一個の人格と認めます。しかし自分自身はどうなのか、王などという権力を象徴するだけの肩書に満足していた今までの自分、自分も個性ある一つの人格としてコムギに認めてもらいたい。
王は苛立ちます。
「余は 何者だ…? 名もなき王 借り物の城 これが余に与えられた天命ならば 退屈と断ずるに些かの躊躇も持たぬ!!!」
王は王宮の2階をコムギと自分だけの場所と決め、部下たちにも立ち入りを禁じます。部下たちの中でも、王に匹敵する知力と戦闘力を持つネフェルピトーは、死んだばかりの生物なら蘇生させる医療能力を持っています。
人間たちの王宮への攻撃により死んでしまったコムギを王は抱き寄せています。王の命を獲りに来た人間たちはその光景を唖然として見つめます。聞いていた話と違う。残虐極まりないはずの蟻の王は、血まみれの少女を最大の優しさと慈愛で抱きしめていたのです。
王はネフェルピトーにコムギの治癒を命じます。そして自分の命を獲りに来た人間たちに戦う場所を代えることを提案します。王と人間の代表が去った後、コムギの治療をするネフェルピトーに、この物語の本来の主人公は戦いを挑みます。しかしネフェルピトーは応じません。まるで母親のように身を挺してコムギを護るのです。
「何でも!! 何でも言うことを聞くから!! だから待ってくれ ボクはどうしてもこの人間を救けなくちゃいけないんだ!!」
「この人間はボクの…ボクの大切な方が大切にしている人間です この人間がいたから王は…王に この人間がいなくなったら王は…王でなくなる それ程の……だから ボクは彼女が…救かればそれでいい 彼女を治した後はキミたちの望む通りにする…だから待ってくれ」
ネフェルピトーの言葉は物語を読む方の解釈によって受け止め方は様々だと思います。
王に対する絶大な忠誠心はもちろんですが、人間の特性と記憶を継承しながら生きるキメラアントの王として、弱きものを助ける慈愛の心が必要なこと、そしてコムギと接することでそれを学んだことを理解しているのです。
王と人間の代表は二人だけで兵器の実験場に赴きます。しかし戦おうとする人間に対し王は話し合いを求めます。
「負けを覚悟の戦いか 理解できぬな…人類という種のためか? ならば余の行為は むしろ“協力”だと言っておく たとえば お前たちの社会には国境という縄張りに似た仕切りがあろう 境の右では子供が飢えて死に 左では何もしないクズが全てを持っている 狂気の沙汰だ 余が壊してやる そして与えよう 平等とはいえぬまでも理不尽な差の無い世界を!! 始めのうちは“力”と“恐怖”を利用することを否定しない だがあくまでそれは秩序維持のためと限定する 余は何のために“力”を使うかを学習した 弱く…しかし生かすべきものを守るためだ 敗者を虐げるためでは決してない」
人間の代表はこの言葉を聞いて戸惑いを覚えます。王の言葉には一理あるのです。しかし人類全体にとっては受け入れることは到底できません。あくまで人間を選別し有能な人間は生かすがそれ以外はエサとする方針に変わりはないからです。
「早めに闘っちまった方がいい 心がぶれる前に」
人間の代表は王に攻撃を加えます。しかし直撃したにもかかわらず王はほとんどダメージを受けません。王は戦おうとはせず言います。「悟れ 其の方が余と交わすことが叶うのは言葉だけだ」。
「…まてよ 言葉…か」 人間の代表は思いついたのです。 「王よ 自分の“名”を知りたくはないか?」
「………なぜ貴様が余の名前を知っている!?」
「部下が おぬしの母親の臨終に立ち会ったのよ 今際の言葉がお主の名だったそうだ」
「闘る気になったかね? ワシに負けを認めさすことができれば 教えてやらんでもないぞ?」
王はその言葉で戦うことを決意します。
「個には必ず特有の呼吸がある 呼吸の流れを掴めさえすれば 幾多ある技の枝から奴がどれを選択するかを探るは十分に可能!! 」。「コムギとの対局が予知のごとき先見を可能にした」
人間の代表は会心の一撃を繰り返しますが王はほとんどダメージを受けません。
人間の代表は右脚を、続いて左腕を失います。
「余は蟻の王として生を受け生命の頂点に立つことを許された。それが種全体の本能に基づく悲願であり種全体が余のためだけに進化する。我は種全体の惜しみない奉仕の末たどり着いた賜物。お主は人間の一個であって王ではなく 余は種の全てを託された王であること それが勝敗を分かつ境」。戦いは完全な人間側の敗北です。
「メルエム それがお主の名だ」 。人間の代表は約束通り王の名前を伝えます。
王を産んだ女王は息を引き取る間際に周囲に息子の名前を伝えていました。
「メルエム…全てを…照らす光…という…意味…です あの子に………伝え…て…」
「蟻の王メルエム お前さんは何にもわかっちゃいねえよ 人間の底すら無い悪意を……」
人間の代表は体内に小型の核爆弾と毒を仕込んでいました。彼の心臓の鼓動が止まると同時にそれらが発動するようセットしておいたのです。
大爆発の後、メルエムはほとんど息の無い状態で部下たちに発見されます。部下たちは自らの身体を差し出し細胞や体液をメルエムに与えます。蘇生したメルエムは「これから……は余をメルエム…と呼ぶがいい」と告げます。しかしメルエムは爆発の衝撃で記憶に障害が起こっています。自分がなぜここにいるのか、宮殿で何をしていたのかさえも思い出せません。無論コムギのことも軍儀のこともです。部下たちはこの機を逃さず、王より先に宮殿に戻りコムギを始末することにします。宮殿には大量の人間たちが集められています。人肉農場を作るための選別を待っているのです。「これは賭けだ!! 宮殿の前に整然と並ぶ数百万の人間の群れを見れば 王はきっと思い出してくださる!! 生物統一こそ唯一無二の目的だと!! あの小娘さえ目に入らなければ 護衛軍として!! 女王の遺志を継ぐ者として!! 消去する!!! 下賤な人間の娘など!!!」。
しかし大群衆を目の前にしてもメルエムは戸惑っています。「何かが…違う 余は…まだ他に何か……これではない何かを…」。そしてメルエムは宮殿の中で壊れた軍儀の駒を発見します。「……そうだ 余は誰かと闘っていた…!! そして余はまだ勝っていない その者に 一度も…!!」
そしてついにメルエムに殺される恐怖を感じた部下から、コムギの名とその居場所が発せられるのです。そしてメルエムはコムギを隠し守っている者に告げます。
「人類の存亡を担っての戦いならばもう終わった お主たちの勝利だ 戦いは終わった ここからはお主一人に語りかける」
「ここへ余が来た理由は複雑ではない 唯一つ コムギという女性に会いたい それだけだ」
「本当に ただそれだけだ 他には何も望まない。おぬしの念に触れて 余の現状と「この先」も理解した それを知った上で尚 今余が望むのは 残された時間をコムギと過ごしたい それだけだ」
そして地下倉庫の箱の中で眠っているコムギを発見します。「起きろコムギ! 打つぞ!!」
「以前 余の名を聞いたな…余の名はメルエムだ」
「ワダすの名前はコムギです」
「知っておるわ…いや そうだな……知らなかった 余は…何が大事なものかを……何も知らなかったようだ」
「以前の余とは一味違うぞ 幾多の敗北を覚悟しておけ」
メルエムはコムギが以前対局した時と全く同じ手を打ってきたことに怒りを覚えます。
この先の手はお互い読めているのです。コムギはわざと負けようとしているのか?
「コムギ…余を愚弄するか…?」
メルエムはとどめを刺そうとします。しかしコムギの次の手は本来は死に至る路を活かす一手でした。メルエムは考えた末に、「ここだ ここしかない」 逆新手を打つのです。
それを知ったコムギは滂沱の涙を流します。
「どうした…? なぜ泣く…?」
「……ワダす ワダすが……こんなに…幸せでいいのでしょうか? ワダすに……ワダすみたいな者に…こんなに素敵な事がいくつも起きていいんでしょうか?」
コムギの言葉を聞いたメルエムは告白を決意します。
「やはり言わねばならぬな 余は毒に侵され長くない」
「メルエム様」
「最後を…コムギ おぬしと打って過ごしたかった」
「だがこの毒は伝染する。余の側に長くいればおぬしにも」
コムギはメルエムの打った“逆新手”をさらに上回る手を返してきました。
そしてコムギは、メルエムのいわば“求婚”の言葉を受け入れるのです
「メルエム様 ワダす…今…とっても幸せです 不束者ですがお供させてください」
そして二人はほぼ同時に悟ります。自分の人生はこの瞬間のためにあったのだと。
「…そうか 余は この瞬間のために生まれてきたのだ」
「ワダすはきっとこの日のために生まれて来ますた…!」
「コムギ…いるか…?」
(もう何も見えない。見えないということがこれほど不安な気持ちにさせるとは。しかしコムギはずっとこの世界で生きてきたのだ)
「はいな いますとも どこにもいきません」
(ご存じのはず。私にはここ以外、棋盤のあるこの場所以外に、どこに行くところがないのです。あなたがいる限り私もここにいます)
「詰みだな…」
(また負けてしまった。しかし少しも不快ではない)
「コムギ…いるか…?」
「はいはい いますとも さあ もう一局 負けた方からですよ!」
「コムギ…」
「はいはい 何ですか?」
「結局…余は…お前に一度も勝てなかったな…」
「何をおっしゃいますやら!! 勝負はこれからですよ!!」
「そうだな…」
「コムギ…いるか…?」
「はいな もちろん メルエム様の番ですよ」
「少しだけ…疲れた…」
(意識が遠ざかってゆく。コムギは本当にそばにいるのか。とても不安だ。コムギを感じていたい。ずっと感じていたい)
「ほんの少し…眠る…から」
「このまま 手を…握っていてくれるか…?」
「…コムギ…? コムギ…? いるか?」
「聞いてますとも わかりますた こうですね?」
メルエムの手を取ったコムギは、それが人間の手ではないことに気づいたはずです。しかしこんな自分を初めて認めてくれた、自分の価値と生きる意味を教えてくれた、そして何よりも幸せを与えてくれた大切で愛おしい存在です。
「すぐ…起きる…から」
「それまで…そばにいて…くれる…か?」
「はなれた事ありませんよ ずっと いっしょです!!」
「コムギ…」
「はいはい 何ですか?」
「…」
「ありがとう」
「こちらこそ」
「最後に…」
「はい…?」
「名前を…呼んでくれないか…?」
「…」
「おやすみなさい…メルエム…」
「ワダすもすぐ いきますから…」
数か月後、手を取り微笑みながら横たわっている二つの躯が発見されます。
異世界を描いた作品で、しかも漫画で、こんなに泣かされたことはかつてありません。
冨樫義博先生 あなたには本当に脱帽です。