AKEBI 柏市柏
14時過ぎに、たまたま店の前を通りかかったらいつも見かける行列ができていません。これはラッキーです。思わず入店してしまいました。入り口は横開きの鉄製の扉です。とても重く開けるのに苦労しました。先客は何組かいて全員女性。女性にあの鉄の扉はきついだろうな
と思いました。店内はカウンターのみですが、とてもオシャレです。少し薄暗い店内と凝った照明。ラーメン店というよりどちらかというとバーの雰囲気です。出されたラーメンの美しさに又びっくりです。チャーシュー4枚、メンマ、なると、ホーレンソー、ネギ。具の構成はシンブル。魚介ダシの旨味が効いた醤油スープ。少ししょっぱめですが化学調味料は全く感じません。もちもちした中太縮れ麺。とても美味しくいただきました。価格も良心的で人気があるのもうなずけます。気がつくと私が最後の客。昼は14時半で終了とのことでした。
中華そば 榮田 柏市千代田
「大勝」に行こうと思い歩いていたら行列を発見。ここにラーメン屋があるとは今まで気づきませんでした。行列が5人だったので勇気を出して並ぶことにしました。店員さんにお薦めを聞くと、特製中華そばが一番人気、チャーシューが4枚のっているとのことです。チャーシューへのこだわりはさほどない私ですが、初めての店なのでとりあえず一番人気を選び食券を買うことにします。あっさりですがコクのある醤油スープには細かい背脂がたくさん浮いています。麺は中細ストレート。固めに茹でられていて高評価です。チャーシューは2種類。ローストビーフ状のレア感のあるものと、バラ肉をしっかり固めて煮込んだものです。2種類のチャーシューが2枚づつ、計4枚です。このチャーシューが絶品でした。チャーシュー好きにはたまらないと思います。海苔が2枚のっているのは何故でしょう。今まで知らなかった店に初めて入り、しかもとても美味しくいただきました。今日はヒットです。
麺処 にし尾 柏市東
まだ午前10時過ぎでした。噂には聞いていた店ですが場所が良く分からず、せっかく柏に来
たのだから場所の確認だけはしておこうと思ったのです。10時半に店に到着。なんとまだシャッターは閉まっているのに、すでに先客が二人並んでいたのです。開店は11時のはずです。これほどの人気店だと、今日食べておかないといつ入店できるか分からない。そう判断した私は並ぶことにしました。その後私の後にどんどん人が並び始め、開店の11時には私の後に10人以上の行列ができていました。11時にシャッターが開けられ入店となります。広い店内なのに、U時型のカウンター席のみ、10人分しか席はありません。席同士の間隔も通常よりかなり広めになっていて、他の客とのストレス無くゆっくり食べてほしいという店のコンセプトが感じられます。食券を買う時、一番上のメニューを選ぶのは初めて訪れた店での私のルールです。券売機の前でも私の後ろにずらっと人が並んでいます。迷わず一番上のメニューを選びました。ところが席に着き席上のメニュー表を見ると、「手もみ麺は極太のため茹で時間がかかります」と書いてあるのです。そして2番目に記載されている鳥ラーメンは「細麺ストレート」と書かれています。私は失敗したと思いました。私は細麺が好きで太麺はほとんど食べません。極太麺は特に苦手で、事前に分かっていれば店自体が選択肢に入らないのです。家系や二郎系の店に行かないのもその理由からです。ガッカリした気持ちでしばらく待ちました。
ところが、麺を一口食べて私の認識は180度変わりました。なんと麺自体が美味しいのです。そして理解しました。これはすすって食べる麺ではない、噛みしめて味わう麺なのだと。スープは少し甘めです。そして少しぬるいのです。これも麺をしっかり味わってほしいという店の工夫なのでしょう。熱々ではダメなのです。具材にも妥協はありません。チャーシューは3枚。特に感心したのは自家製と思われる濃い色の細いメンマです。久々に「まいりました」という気持ちにさせられました。店を出るとき、券売機の前そして店の外に30人ほどの行列がありました。並ぶのは苦手な私ですが、また来なければなりません。次回は細麺ストレートの鶏ラーメンにトライです。
“それでも、アメリカ人は「トランプ」を選んだ”
私は幼い頃から、アメリカという国とその文化に強いあこがれを抱いていました。その多くはドラマや映画、音楽などのエンターテイメントに接することで影響を受けたものです。私の世代の多くがそうであったように、まずは物質的な豊かさに引き付けられました。広い家に大きな車、立派な家具。ナイフやフォークを使った食事、そして夫婦や家族間のおしゃれな会話。
「奥様は魔女(地域によっては変身サマンサ)」は、私にとってあこがれの空間を描いた作品でした。サマンサを演じたエリザベス・モンゴメリーは、一時期私の理想の女性だった程です。
その後20数年経ち、私は再びアメリカのドラマにはまることになります。それは「新スタートレック(StarTrek : The Next Generation) 略称 TNG」というSFドラマでした。
スタートレックは1966年に「宇宙大作戦(StarTrek : The Original Series) 略称 TOS」の
放映が開始されましたが、当時小学生だった私には内容が少し難しく、継続して観た記憶がありません。TNGがスタートレックとのほぼ最初の出会いでした。そしてその世界観に魅了されたのです。それは一言でいえば「多様性の尊重」です。未知の宇宙空間の探索と新しい生命体との出会いがテーマなのです。ヒューマノイドとは異なる形態の生命体と出会うことも多く、まずは相手を理解する努力をすることから始めなければなりません。いきなり戦うわけではないのです。勝手な思い込みや決めつけで相手を評価し判断することは禁じられます。
時に組織の指示に反発し個人的な葛藤を感じながらも、ピカード艦長とエンタープライズのクルーは自らの使命を果たそうと懸命になるのです。ドラマに描かれる世界と現実のアメリカは違います。
現実のアメリカ社会は未だに人種差別が横行し、銃による殺人事件が頻発しています。
意地悪な見方をすれば、ドラマの主題は無邪気で能天気ともいえるほどの理想主義なのです。ただこの理想主義に私は強く惹かれました。
理想主義と言って大げさならば,良心的であろうとする、寛容であろうとする姿勢。理解できなくとも受け入れる。考え方や価値観が異なるものに対しては、理解できなくともその存在は認め受け入れる努力をするのです。これは「スタートレック・ワールド」の創設者であるジーン・ロッデンベリーの思想なのでしょう。後から知ったことですがTOSでも、黒人女性の通信士官やアジア系のパイロットなどがキャスティングされていて、当時としては画期的な出来事だったようです。
TNGにはその時代と世界を共有する二つの派生作品があります。ひとつは「ディープスペースナイン(StarTrek : Deep Space Nine)略称 DS9 」。もうひとつは「スタートレック:ヴォイジャー(StarTrek : Voyager) 略称 VOY」です。
DS9の主人公は、黒人男性司令官のベンジャミン・シスコ。VOYの主人公は女性艦長のキャサリン・ジェインウェイです。黒人や女性を主人公にしても、視聴者は離れませんでした。TNGを含めたこの3作品には、現実のアメリカの問題点を取り上げたドラマもいくつかありました。その中から今回は、特に私の印象に残った作品をご紹介したいと思います。
スタートレックディープスペースナイン(DS9) シーズン6
第135話 「夢、遥かなる地にて “Far Beyond the Stars” 」
いつもは異星人のメイクをしている登場人物たちが、いわばスッピンで1950年代のアメリカ市民を演じています。シリーズ全般に登場するクリンゴン人のウォーフというキャラクターがいます。戦闘的な種族ですが、人間に育てられた経緯があり、惑星連邦唯一のクリンゴン士官なのです。彼は常に自己の内部から湧き上がってくる暴力性や狂暴性と戦いながら日々を過ごしています。しかしいざ戦闘となると、種族の特性を存分に活かし命をかけて戦います。決め台詞は「今日は死ぬには良い日だ」です。それなりに難しい役柄です。そのウォーフを演じているマイケル・ドーンは、今作ではプレイボーイの野球選手で登場します。素顔のマイケル・ドーンは優しい目をしたなかなかのイケメンでした。
この作品はベンジャミン・シスコ役を演じているエイベリー・ブルックスが自ら監督を務めています。
辺境の宇宙基地DS9の司令官ベンジャミン・シスコは黒人で大佐です。ベンジャミンはある時気づいたら1950年代のニューヨークにいるベニー・ラッセルになっていました。ベニーは15年も小説を書き続けているのに、全く成功の兆しも見えない売れないSF作家です。彼の出入りしているSF雑誌を出す小さな出版社が物語の主な舞台です。本編では表情の見えない流動体生物のオドーが今作では編集長、フェレンギ人のクアークは作家です。どちらも素顔です。物語では当時の女性や黒人の差別の状況がかなりリアルに描かれています。読者に女性や黒人が作者であることは気づかれてはなりません。黒人がスーツを着ているだけで、「どこで盗んできた?」と刑事に問い詰められる時代なのです。そんな中ベニーはあるイラストにインスパイアされて本格的に小説を書き始めます。黒人で大佐のベンジャミン・シスコが司令官の宇宙基地DS9の物語です。ベニーは作品の出来に成功の予感を感じ心が舞い立ちます。出版社に行くと、他の作家たちはベニーの作品を絶賛します。しかし編集長はこのままでは雑誌に載せられない、と言うのです。理由は主人公が黒人で、しかも大佐で司令官だからです。
編集長のオドーは言います。
「大衆が受け入れないんだよ、信憑性がない」
作家のクアークが口をはさみます。
「火星人には信憑性があるのか」
編集長は、雑誌に載せたければ主人公を白人にして書き直せ、とベニーに告げます。ベニーにとっては主人公が黒人で大佐であることが物語の最大成立要因なのです。当然拒絶します。その後編集長はベニーに、別の短編を書いてくれば表紙に取り上げると妥協的な提案もしてくれるのですが、逆にベニーはDS9の続編を6作も書いてくるのです。
刑事に乱暴され大怪我をしたベニーは久しぶりに出版社を訪れます。今月号が印刷され届く日でした。現れた編集長は皆に告げます。「今月号はない。販売中止だ。全部廃棄処分にした」。ベニーは自分の描いた作品のせいでそうなったのか、主人公が黒人だからなのか、と編集長を問い詰めます。
編集長は、社主の方針だと苦しげに答えるだけです。ベニーは興奮し、ついに今まで抑えてきた、たまりにたまっていた思いを口にするのです。
「私だって、私だって、同じ人間なんだよ…」
ベニーのスピーチは感動的です。ぜひドラマを観て直接感じていただきたいと思います。
ベニーは昏倒し救急車で運ばれます。ベニーを導き書くことを強く勧めた街の宣教師(のような存在に思えました)は、「お前は夢見る者であり、夢そのものだ」とベニーに告げます。
気が付いた時ベニーは宇宙艦隊の制服を着ています。ベンジャミン・シスコに戻ったのです。
私がこのドラマで本当にリアルだと思ったのは、差別的な態度をとる刑事たちではなく、出版社の作家たちの態度です。編集長を含め皆ベニーには好意的です。作家としての力量も認めています。差別的な言動もありません。しかし意識の根底に「かりに400年後の未来であっても、黒人が大佐になり司令官になることなどありえない」という認識があるのです。黒人と白人とは別の生き物で、黒人は白人と並び立つことも追い抜くこともない、ということが社会の常識だったということです。特に差別的ではない普通の市民が当たり前にそう認識していたということなのです。
このドラマはジャンルとしては、いわゆる“夢落ち”ということになります。TNGの「超時空惑星カターン」もそうでしたが、“夢落ち”には名作とされる作品も多いのです。
アメリカのSFドラマは手抜きがありません。良質な脚本と俳優たちの演技力により素晴らしいドラマが生まれています。そしてスタートレックをはじめとするこれらのドラマには、作り手、クリエイターたちの理想主義が感じられるのです。現実の世界がどうあれ、社会や人間はこうあるべきではないか。ジーン・ロッデンベリーは1991年に亡くなりましたが、彼の思想は後継者たちに受け継がれているのだと思います。
私は、社会的マイノリティとされる人々すべてを理解し共感を覚えているのかと問われると、はなはだ自信はありません。しかし仮に理解できない人たちであっても、その存在を認め受け入れるべきと思っています。それが「多様性の尊重」なのだと思うからです。
まずは受け入れ温かく見守る姿勢が大事なのです。無理に好きになったり友達になる必要はないと思いますが、思い込みや決めつけでいきなり彼らを排除するべきではありません。
ドナルド・トランプ氏が大統領になり、公共の場で平然と多様性を否定する発言をするようになりました。世界中がどうなろうと自分たちだけが豊かで幸せであればよいという態度、厚顔無恥とはまさにこのことです。いたずらをもくろむいじめっ子のような態度で、常識のない差別的なことを思い付きで口にする人間が現職のアメリカ大統領なのです。私はアメリカ人ではありません。しかしトランプがアメリカの大統領であることがたまらなく恥ずかしく、そして悲しいのです。1期目よりも2期目の今の方がその思いは強くなっています。トランプの発言や態度は今や世界的な悪影響を及ぼしています。
「アメリカの大統領があんなレベルで良いなら我々だってもっと本音を出していい」という態度をとる政治的な指導者が増えてきたような気がします。
日本でも同様です。世の中には、ある意味では正しい、そういう見方もできるだろう。一理あるという理解をされる事柄があります。
しかし表立って口にすべきではない事柄、ここでは口にしてはならないというタブーは存在します。日頃から思っていたとしても、ここでは話題にしない。公的発言として言葉にしない。
特に政治家にとっては常識です。ところが先日の参議院選挙で、「核武装が最も安上がり」と発言した候補者が高得票で当選しました。核兵器を保有しているから北朝鮮はトランプとも堂々と渡り合える。国防のコストを考えると核兵器を保有する方が安上がりだ、ということのようです。コスト計算上はそれが現実なのかもしれません。しかし唯一の被爆国であり、いまだに広島・長崎の被爆者が苦しんでいることを思えば、日本で言っていいことではないでしょう。それが選挙活動中の政治家の意見として発信されたのです。何を思いどう考えるかは本人の自由です。問題なのはそれを言葉にするかどうかです。
欧米、特にドイツで「ヒトラーは良いこともした」と発言したら、周囲の反応はどうなるか想像したことがあるのでしょうか。これはユダヤ人の多い欧米では特にタブーな発言です。
「核武装は最も安上がり」も同じことです。歴史の不勉強に加えて、聞く人がどう受け取るか想像する能力の欠如。良識が無いとはまさにこういうことなのです。政治的なリーダーの資質として問われるべきでしょう。心配なのはこうした悪影響が今後どんどん増えて行きそうな予感がすることです。
表題は、加藤陽子先生の名著“それでも、日本人は「戦争」を選んだ”から拝借しました。加藤先生の本の内容と今回のブログが特に連携しているというわけではありません。“それでも…選んだ”という題名が、本来選ばれるべきではなかった、なのに選んでしまった、というニュアンスを強く感じ、私の気持ちにぴったりはまっただけなのです。
あんな人間が大統領に選ばれるのか、アメリカはそんな国ではなかったはずだ、という思いが捨てきれません。私にとって、アメリカの大統領はその本性にかかわらず、良識を品位ある言葉と態度で語る人なのです。「何を感傷的なことを言っているんだ。世界はそんな状況ではない。建設的な意見でない」というお叱りをいただくことは当然です。私の個人的な感傷にすぎません。それでも私はトランプがアメリカの大統領であることが恥ずかしく、悲しいのです。アメリカ人でもないのに。



