そもそもご当地ラーメンとは何ぞやという話ですが、すべてのラーメンその始まりは“ご当地”だったはずなのです。それが人気を呼び全国に店が展開するようになると“全国区”となります。私の定義では、札幌ラーメン、博多ラーメンは全国区です。家系や二郎系も、もはや全国区といえるでしょう。またジャンルではなく「蒙古タンメン中本」や「天下一品」などは店自体として全国区であると思います。今回は私の中でのご当地ラーメンをご紹介します。

 

  柏市南柏 「らーめん あさひ」

旭川製麺の麺を使った「旭川ラーメン」であることを謳っています。少し濁った醤油スープにチャーシュー、メンマ、ネギのシンプルな具。固めに茹でられたちぢれの細麺。50歳くらいの店主が一人で作っていますが、オシャレな丼といいこだわりの強さが感じられます。味も美味しく好印象の店でした。

 

  流山市南流山 「喜多方ラーメン 坂内」

あっさり醤油スープに中太平打ち縮れ麺。普通のラーメンでもチャーシューは5枚。これぞ喜多方ラーメンです。ワンタンもビロビロでとても美味しくいただきました。普通のレンゲに加えて具を食べるためのレンゲも付いてきます。「喜多方ラーメンもどこにも店がある。全国区ではないのか」というご意見もあろうかと思います。しかし私にとって喜多方ラーメンのイメージは、存在感はあるのにあまり自己主張はしてこない、東北らしい奥ゆかしさを感じるのです。

 

  柏市柏公設市場 「中華そば れもん」

以前は「白河屋」という店名でした。福島白河ラーメンの店です。同じエリアの「流星」や「夢館」がガラガラなのに、この店は行列ができていてびっくり。スープは少し甘みと酸味を感じました。中太縮れの平麺に、チャーシュー、なると、ホーレンソー、メンマ。個人的にはチャーシューが少し弱いと感じました。

 

  柏市花野井 「佐野ラーメン 麵屋翔稀」

昔は「美春」という札幌ラーメンの店でした。15時近いのにお客がたくさんいてびっくり。佐野ラーメン独特の平打ち縮れ麺。スープはあっさりして優しい味。ワンタンのレベルも高く、とにかくとても美味しくいただきました。

 

  三郷市上彦名 「魁力屋」

京都北白川発祥のラーメンとのことです。細かい背脂の浮いた醤油ラーメンです。細麺は良いのですが、固めんで頼んだのにとても柔らかい麺で出て来てがっかり。味も全体として私にはイマイチでした。

 

  三郷市彦成 「昇華」

中華料理店なのに麺メニューのトップに鹿児島ラーメンと書いてあります。小さな丼にあっさり豚骨スープ、細麺にチャーシューとモヤシ。九州ラーメンにうるさい私としては、あっさり豚骨だから鹿児島ラーメンと言われると、首をかしげざるを得ないところはあります。

 

東京都で思い出に残った店…2

 

1998年2月12日 「銀座支那麺 はしご」 中央八丁堀 ダーローダンダンメン 1,000円

だんだんめんは辛味ラーメンでした。醤油味のすっきりスープなので、いわゆる担々麵ではありません。チャーシュー3枚と青梗菜、ネギ。今回はチャーシューが美味しく感じられました。

 

1998年5月23日  「らーめん弁慶」 葛飾堀切 メンマラーメン大 800円

立食の店です。注文してお金を払うと箸がもらえます。豚骨醬油のこってりスープに細かい背脂が浮いています。麺は太麺のストレート。大盛にしたらすごい量でした。チャーシューは薄いバラ肉。モヤシは大量です。味はさほどしつこくありません。女性客も結構来ています。ネギの切り方がひどかったことが思い出されます。

 

1998年6月9日  「味のぶんちゃんラーメン」 江東深川            ラーメン 550円

夜飲んだ後に入店。トラックの屋台ラーメンです。無口で頑固そうな親父さんが作るラーメンは、濃い醤油色で少し脂の浮いたスープに中太ストレート麺。チャーシュー、メンマ、もやし、海苔、ネギのシンプルな具。これぞ屋台ラーメンです。

 

1998年8月14日 「ホープ軒」 渋谷千駄ヶ谷 ラーメン大 800円

1階は立食。2階はカウンター席の店ですが、まずは第一印象として堀切の「弁慶」にとても良く似ていると思いました。どちらが本家なのかは分かりません。細かい背脂の浮いた豚骨醬油スープに中太ストレート麺。麺の量はとても多くモヤシがてんこ盛りなところも「弁慶」にそっくりです。なによりも、入れ放題で置いてあるネギの切り方がとても雑で下手なところもそっくりなのです。

 

1998年9月2日  「福のれん」 中央八重洲   メンマラーメン 750円 替玉 130円

醬油ダレの効いた茶濁の豚骨スープに極細の平打ち麺。長浜ラーメンではなく古来博多ラーメンです。名前から察すると「赤のれん」の系統かもしれません。美味しくいただきましたが、やはり価格は高いと感じました。博多なら無料で食べ放題の辛子高菜が小鉢に入って100円するのです。

 

1998年10月15日 「大勝軒」 豊島東池袋 チャーシューメン 930円

★ラーメン・ブログ 阿伏兎  思い出のラーメン店⑦でご紹介しました。

 

1998年10月22日 「谷やんラーメン」 江東門前仲町 特製ラーメン大 700円

元は屋台だったような雰囲気のある店です。メニューはラーメンとチャーシューメンの並と大のみ。かなり濃い味の醤油スープに透明なラードの膜が張っています。私は細かいラードが浮いているより、完全に溶けてスープの上で膜を張っている方が好きなのです。札幌の「すみれ」や埼玉の「もちもちの木」のように、ラードの膜のため湯気が上がってこないラーメンは特に高く評価しています。麺はコシのある中太縮れ麺。脂身の多いチャーシューにメンマ、ネギ、煮卵の具。味の濃さ、量の多さ、価格の安さ。元力士と思われる体系の店主が作るラーメンは、金のない若者にガッツリ食べてほしいという思いが伝わってきます。40歳を過ぎた私には少し重く感じられました。20代の頃に出会いたかった店です。

 

1998年12月15日 「泰興楼」 中央八重洲 肉細切そば 800円 餃子 720円

濃い醤油スープにチンジャオロースーの乗った私のお気に入りメニューです。麺類では担々麵を頼むお客が多いようですが、共通するのは餃子を副菜として頼む客がほとんどということです。餃子は4個で720円。高いと思われるかもしれませんが、この店の餃子の大きさは半端ではありません。しかもとても美味しいのです。

 

1999年2月23日 「大元麺店」 港芝浦 ワンタンメン・メンマ 920円

13時近いのに店内は満席です。パーコーメンが売りのようです。すっきりした澄んだ醤油スープはあっさりしていますが深みがあります。麺は太麺で卵つなぎの縮れ麺、量も十分です。チャーシューは懐かしい味がしました。

 

1999年11月11日 「元楽」 台東区蔵前 元ちゃーしゅーめん大 950円

ラーメンと豚飯の専門店。醤油味の元ラーメンと塩味の楽ラーメンがあり、通常のラーメンは580円です。柔らかい背脂がたっぷり浮いた真っ黒な醤油スープは見た目通り濃くてこってりしかも甘めです。中太縮れの札幌風の麺に、チャーシュー、ネギ、メンマ。ニンニクを入れると特に美味でした。

 

1999年11月18日 「晴弘」 江東門前仲町   わんたんそば大・メンマ 1,050円

「支那そばの店」と銘打っています。細かい背脂のたっぷり浮いた色の薄いあっさり醤油スープに

縮れの強い極細麺。この麺が最高でした。具も麺の量も十分です。

 

2000年1月6日  「大黒家」 江東木場 ネギラーメン中・海苔増し 900円

開店時刻の11:30にはもう満席です。スープも麺も具も典型的な家系ながらいずれも上質です。都内に数ある家系の中でも美味しい店だと思います。スープが少なめなのが少し残念でした。

 

2000年1月18日 「はつね」 杉並西荻窪 ワンタンメン大 800円

カウンター席のみの小さな店。70歳近い店主と奥様の二人でやっています。注文を受けてからワンタンを作っています。あっさり醤油スープに中細縮れ麺。チャーシュー、ちくわ、海苔、メンマ、ネギ。優しい味のラーメンに加え、店全体の雰囲気が昭和なのです。素晴らしいと思いました。

 

2000年1月18日 「ひごもんず」 杉並西荻窪 角煮ラーメン 800円

スープも麺も、茎ワカメや生キャベツの具も、典型的な熊本ラーメンです。久々の美味しい豚骨スープでした。私の中では東京一の熊本ラーメンです。新宿の「桂花」より味は上です。

 

2000年2月22日 「光麺」 豊島池袋 熟成光麺大・全部乗せ 1,110円

午前中から行列ができていて20分並んで待ちました。鰻の寝床のようなカウンターだけの店。カウンター内に男性5人、店内に女性1人でやっているようです。熟成ラーメンは豚骨醬油スープでした。トロミがあり、何となく「天下一品」を思わせます。中太ストレート麺も京都風に感じました。上品なラーメンショップ風というべきでしょうか。

 

2001年1月12日  「健慎」 足立北千住 オロチョンラーメン 手打ち麺 850円

細麺と手打ち麺が選べます。オロチョンは辛めの味噌ラーメンということなのであえて手打ち麺を選んでみました。辛すぎないあっさりコクのあるスープは正解でした。チャーシューの大きさと店主の手際の良さには感心しました。客の大半が食べていた真っ黒なチャーハンは大いに気になりましたが、今度にしようと判断したのです。それが失敗でした。その後閉店してしまい、あのプラックチャーハンを食べる機会は二度となかったのです。返す返すも残念です。

 

2001年1月31日 「肉の万世」 中央区日本橋 パーコーメン 750円

何年かぶりに入店。あっさり醤油スープに中太ストレート麺。しかしこの店の主役はやはりパーコーです。中華風豚肉のから揚げというべきでしょうか。たまにとても食べたくなるのです。

 

2001年12月7日 「にぼしラーメン 時代屋」 渋谷 にぼししょうゆラーメン大 800円

カウンターだけの店。煮干しのダシが効き背脂がスープのコクを出しています。何よりも平打ち麺が気に入りました。

 

2001年12月17日 「支那そば 田々」 港新橋 ワンタンメン大 1,000円

カウンターだけの店。無化調を謳っています。あっさり醤油のスープに縮れの強い細麺。ワンタンも美味でした。価格は高めですが良心的です。無化調を承知の客しか来ない店と思われます。

 

2002年5月28日 「FUKUROH 梟」 中央銀座 醤油ラーメン大メンマ・太麺 800円

カウンターだけの店。スープは醬油と塩が選べます。麵は太麺と細麺が選べます。スープは豚骨・鶏ガラ・魚介がバランスよくブレンドされています。具も悪くありません。ただ麺に少し違和感がありました。使っているカンスイの種類と量の問題なのか、少しだけ麺に重曹臭さを感じたのです。価格はこの地域としては良心的です。

 

2002年7月10日 「たけちゃんにぼしらーめん」 調布深大寺 平麺大・メンマ 800円

濃いそばつゆのような色のスープ。店名通り煮干しが効いています。脂っこさはありませんがコクが深く見事なスープです。チャーシューやメンマなど具も水準以上です。麺も平打ち麺で悪くはなかったのですが、個人的な好みとしては細麺の方がスープに合うように感じました。

 

2003年1月5日 「柳麺 ぶしょう屋」 豊島池袋 醤油・葱ラーメン 700円

カウンターだけの店。魚介ダシの効いたスープは焦がし葱が浮いていて少しクセがあります。麺は太めの平打ち麺。麺としての美味しさを感じました。コシと柔らかさのバランスが良く触感が素晴らしいのです。この店は麺の店です。

 

2003年1月20日 「こうかいぼう」 江東深川 水豚餃子入りラーメン 1.050円

最近出来た人気店と聞いて入店。スープは流行りの魚介系こってり。麺は極太でした。水餃子は普通です。これはこれでありです。人気があるのもわかります。ただ私の好みではないだけです。

 

2003年2月3日  「名代らーめん げんこつ家」 港三田         豪快塩ラーメン大 1,000円

カウンターだけの店。女性客の多さに驚きました。スープはこってりした塩。麺は太めですがモチモチ感があり美味しく感じました。価格は高めですが麺の美味しい店です。

 

2003年2月18日 「元祖一条流がんこラーメン」 江東千田 スペシャルラーメン大 1,100円

入れる背脂の量が、こってり・中間・あっさりの中から選べます。基本スープはあっさりのようです。麺は中細縮れ麺。これだけで十分美味しいです。スペシャルはチャーシュー、煮卵、海苔入り。チャーシューは崩れて溶けるほどの柔らかさです。初めて入店して思わずスペシャルを頼んだのですが失敗でした。この店のラーメンはスープと麺のコンビネーションを楽しむべきなのです。次回は具少なめにするつもりです。

 

2003年6月4日  「らーめん まる玉」 墨田両国 青葱ラーメン・替玉 850円

あっさり塩スープに細い縮れ麺。替玉がある、というより大盛にしたくないのでしょう。レベルの高さを感じます。

 

2004年1月22日 「花○らあめん」 中央銀座 ラーメン中・海苔増 850円

家系なのでしょう。銀座でも威勢のいい掛け声が飛び交っています。マイルドな家系です。悪くありません。

 

2004年1月27日 「ラーメン ヨシベー」 墨田錦糸町 ヨシベーラーメン・メンマ 800円

スープは醬油と塩、麺は太麺と細麺が選べます。醤油スープと太麺を選びました。豚骨醬油に魚介の旨味が効いています。麺はモチモチ感があり、チャーシューも美味しくスープも飲み干してしまいました。麺大盛はないそうです。次回は塩スープと細麺にトライです。

 

2004年2月13日 「掃部介(かもんのすけ)」 中央入船 チャーシューメン大 850円

カウンターだけの店。オーソドックスな醤油スープにやや太めのつるつるしこしこの麺。野沢菜が乗っているのは珍しいと思います。なかなかの美味。しかし麺の量は少ないと感じました。

 

2004年2月17日 「らーめん三吉」 中央銀座ナイン ラーメン・半チャーハン 600円

ラーメンは300円。チャーハンは600円なので半チャーハンは300円となります。オーソドックスな醤油スープに細い縮れ麺。具はチャーシュー、ネギ、メンマのみ。モチモチした麺が美味しくこれで300円は見事というしかありません。しかも場所は銀座なのです。

 

2004年4月6日  「旨麺こむぎや」 墨田石原 醤油ラーメン・キムチ・半ライス 650円

豚骨醬油スープにデュラムセモリナ麺のような黄色い半透明のコシのある麺が良く合います。チャーシューもメンマも水準以上。なかなかの名店です。半ライスはサービスでしかもキムチが食べ放題なのです。良い店を見つけました。

 

2004年6月28日 「六角家」 大田大鳥居 ラーメン中 700円 海苔 100円 キャベチヤ 100円

横浜白楽の本店と同じメニュー、同じ味です。キャベチャが気に入りました。私は六角家ではニンニクではなくショウガを入れて食べるのです。

 

2004年12月20日 「汐留らーめん」 港汐留  ワンタンメン 950円 メンマ 150円

11:30にはもう行列ができています。動物系と魚介系がブレンドされた醤油スープには焦がし葱が浮かんでいます。少し旭川風を思わせる独特のスープです。麺は中太ストレート。チャーシューは柔らかくメンマも味も良く、ホーレンソーや海苔が乗るところなどは家系を思わせます。麺の大盛は無く価格も高めです。優れた職人が作ったレシピをバイトが忠実に守って作っている店なのだと感じました。どんな作り方をしても美味しければそれで良いのです。

 

2005年2月25日 「博多天神」 港新橋 メンマラーメン600円

福岡の人に言わせると「パリ・ロンドン」のような店名となります。博多と天神では全くエリアが違います。しかし都内では、価格といい雰囲気といい一番福岡のラーメン店の雰囲気があるのがこの店です。替玉無料券が店内に置いてあり、見せるだけで替玉一杯無料です。極辛ですが辛子高菜も入れ放題です。こってり豚骨スープに博多風の極細ストレート麺。とても良い店です。

 

2005年4月13日 「桜吹雪が風に舞う」 新宿三丁目 こってりきんぴか 700円

一応北海道ラーメンの括りに入るのでしょうか。マイルドな豚骨スープに札幌風のコシのある中太縮れ麺。ネギが多めです。価格も良心的で美味しいと感じました。

 

2005年4月22日 「ぽっぽっ屋」 中央兜町 醤油ラーメン・ミニカレー 1.000円

カウンターだけの店。男性客がほとんどと思われました。脂多め、野菜多めなどが無料で選べます。細かい背脂が浮かんだ濃い目の醤油スープに極太縮れ麺。野菜多めで頼みました。ラーメン単体だと680円。良心的です。豚バラ肉主体のカレーはさほど辛さはなく普通の味です。

 

2005年12月8日 「翔竜」 足立北千住 トンコツ塩ラーメン 750円 メンマ 150円

麺の替玉があり、明太子ご飯もメニューにあります。辛子高菜も置かれており、博多風ではあります。マイルドな豚骨スープに札幌風の中太縮れ麺。ラーメンは博多ラーメンではありません。しかし美味しいのです。美味しければよいのです。

 

                  「恥ずかしながら ブログ再開しました」

若くて健康な方には関心の無いことでしょう。しかし自分の健康が不安になる世代、病気しながら生きていく私のような世代には、血液検査の数値は極めて重要となります。今回のお話の前に、私の健康に深くかかわり、特に気にしていた検査項目と正常数値をご紹介します。

γ-GTP…( 肝機能の指標値 正常値 50IU/Ⅰ以下)

尿酸値…( 痛風の指標値 正常値 7.0mg/dl)

AFP…( 肝臓がん判断の腫瘍マーカー 正常値 10.0ng以下)

PIVKA-Ⅱ…( 肝臓がん判断の腫瘍マーカー 正常値 40AU/ml以下)

H(ヘモグロビン)a1c…( 糖尿病判定基準値 正常値 4.6~6.2%)

 

私のブログを読んでいただいている方はお分かりのように、私はメモ魔、記録魔の傾向があります。入社して以来毎年の健康診断時の血液検査結果はずっと取ってありました。それを外食の記録と同じ様にエクセルにまとめていたのです。それぞれの項目の値に当時は関心を持っていませんでした。医師から強い指摘があったり自覚症状がある時以外はほとんど気にすることはなかったのです。若い頃は誰しもがそうなのだと思います。歳をとるといくつかの病気になり、病気しながら生きる、病気と共に生きる人生となります。そして値の変化に一喜一憂するようになります。今となっては昔からの検査結果をデータとして残しておいてよかったと思います。年齢による数値変化の経緯が分かるからです。今から10年前、2014年に痛風が発症し東京の専門病院で治療を受け始めました。治療といっても3ヶ月に一度血液検査を受け投薬を受けるだけです。会社を辞めてからは、東京まで通う電車賃がもったいないので、地元の総合病院で、やはり3ヶ月に一度血液検査を受け痛風と高血圧の投薬治療を受けていました。しかし特に自覚症状もないため、食事に気を使うこともなく、ふつうにタバコを吸い毎晩酒を飲む生活を続けていたのです。そして2021年の3月、レントゲンに怪しい影が映り、念のためと受けたCT-スキャンで疑惑がさらに深まり、「がんセンター東病院」で正式に検査となりました。そして肺と肝臓にガンが発見されたのです。

それまで私は、自分だけはガンにかからないと勝手に思い込んでいました。何の根拠もないのにです。そんな私に、ガンの宣告は唐突でとてもショックな出来事でした。しかもガンは肺と肝臓の二か所で見つかり、当初の診断では転移が予想されていて、それなりに深刻な状況だったのです。生まれて初めて死を意識しました。このまま死んだら、一人の年金生活者が病気で亡くなったというだけです。それは少し寂しい、何か爪痕を残しておきたいと考えた私は、考えた末ブログを始めることにしました。最大の理由は私が死んでもSNS上で書いたものが残るという点です。自分の人生で人に誇れるところは何もなく人より優れているところもありません。他人と比較して個性的なところを強いて探せば、ラーメンが好きで今まで食べたラーメンについて、点数をつけコメントを書き残していたというところだけです。ラーメンをテーマにすることは必然でした。しかし記録のほとんどは昔のものなので、これから新しい店を知りたいという方には何の役にも立ちません。しかしそれでもいいと思いました。今は閉店してしまったり大昔に訪れた店の訪問記録を、写真もなく文章で紹介するだけですが、「私もあの店行ったことがある。懐かしい」と思ってもらえるだけで十分ではないか、同世代か少し上の世代の一部の人に少しでも共感してもらえればよい。新しいラーメン店の情報を求める若い方やいわゆるラーメンフリークの方たちには何の参考にもなりません。それでもやってみようと思いました。ブログを始めたもうひとつの理由は、家族が「お父さんってどんな人だったの?」と聞かれた時、ブログを読んでもらえば私がどんな人間だったか多少なりとも分かってもらえる。そう思ったのです。しかし、ブログをやろうと思いついてから実際にアップできるまでには時間を要しました。それまでSNSを見たことはあっても投稿したりコメントしたことはありませんでした。ガイド本を買っても理解できず、結局は2022年の正月に弟一家が遊びに来た時、姪っ子の一人に手取り足取り教わりやっとこさ投稿できたのです。

ガンのほうはその後転移ではなく個別のガンであることが分かり、それぞれに治療を開始することになりました。

がんセンター東病院」の呼吸器外科の担当医は初めての血液検査のγ-GTPの値を見て「これは肝硬変の患者の数値だ」と言いました。その時のγ-GTPの値は1,000IU/Ⅰを超えていました。しかし1,000IU/Ⅰを超える値は、痛風の病院の検査の頃から毎回のように出ていたのです。3ヶ月に一度血液を調べ投薬を受けていましたが、2017年の時点でγ-GTPは1,000を超えていました。担当医は痛風治療では有名な先生でしたが、「少しお酒を控えめに」しか言いません。関心があるのは尿酸値と血圧だけのように思いました。調べたら痛風病院検査での最高値は1,406 IU/Ⅰでした。呼吸器外科の担当医から「肝臓の方が厄介な状況だ。肺は患部を除去すれば済むので先にやろう」との判断が示され、肺ガンの手術を先行することになったのです。

そして「タバコを止めないと手術はできない」と通告されました。二十歳になる前から40数年吸い続けてきたのです。1日二箱は吸っていました。タバコを止めるのはとても無理だと私は考えていました。今まで生きて来て酒を抜くことはあってもタバコを吸わない日はなかったのです。まずは禁煙外来での治療が始まりました。

禁煙外来の医師は「頑張りましょうね」とひたすら言うのです。底意地の悪い私は「頑張っている人に、頑張りましょうと声をかけるのは良くないのではないですか」と答えました。「では何と言えばいいのですか」と聞くので、「頑張っている人にかける言葉は、無理しないで、でしょう」と告げたのです。すると医師は私にまっすぐ向き直り目を見開いて言いました。「無理してほしいんです。無理して頑張らないとタバコは止められません」。私は反論する言葉がありませんでした。治療法にいくつかの選択肢を示され、私はタバコが不味く感じる薬を飲む方法を選びました。ゴルフ仲間のヘビースモーカーがそれでタバコを止められたと聞いていたからです。処方されたのはチャンピックスという薬でした。とりあえず2週間分処方されました。毎日薬を飲めばいくらでもタバコを吸っても良いと言われ、こんなもので本当に止められるのかとても疑問でした。薬を飲んでも相変わらずタバコはとても美味しく感じていたのです。

薬を飲み始めて6日目の朝のことでした。ベランダでタバコを吸い始めて一幅目はいつも通りとても美味しく、ところがニ幅目を吸ったとたん、とてつもない気持ち悪さが襲ってきたのです。いまだかつて経験したことのない不快感です。信じられない私はもう一度吸ってみました。すると胃から喉にかけて吐きそうになるぐらいの更なる不快感の襲来です。これ以上吸い続けることはできません。結局この日が紙巻きたばこを吸った最後の日となりました。無論すぐに完全禁煙ができるはずもありません。以前に購入して満足できないで放置していた加熱式タバコを手に取りました。すでに電源が切れていて吸っても空気しか出てきませんが気晴らしにはなりました。

酒については、就職してからはほぼ毎日飲んでいました。胆肝外科の担当医からは「酒を止めないのなら治療は出来ない」と言われ、「酒を飲まないと夜眠れないのだ。眠るために酒を飲んできた」と答えると、「眠るために毎晩飲むなどは最悪の酒の飲み方だ。心療内科に行って睡眠導入剤を処方してもらえ」と言われたのです。そこで生まれて初めて心療内科に行き、眠るための薬を処方してもらうことになりました。ところが生まれて初めて飲んだ睡眠導入剤が思いのほか効果があり、酒を飲まなくても眠れるようになったのです。酒自体は好きでしたが、夜眠れるなら毎日飲む必要はありません。

いずれにしてもタバコも酒も止めることは容易ではないと思われましたが、薬のおかげで取り合えずはいったん止めることができたのです。

禁酒禁煙の状態が続き、ストレスはかなりのものでしたが私にはガンの恐怖の方が大きく、タバコにも酒にも手を出さずにいることができました。

禁煙外来の検査で体内のニコチン量がゼロになったことを確認し、患部ごと肺の8分の1を切除する手術を受けました。手術が終わって目が覚めた時の光景に驚きを禁じえませんでした。「これがあのICUか」、テレビのドラマかドキュメンタリーでしか見ることのなかった景色がそこにありました。しかもベッドの上に横たわっているのは私なのです。この年になるまで入院も手術も経験したことのない私には驚異の初体験でした。

 

睡眠導入剤のおかげで酒を飲まなくても眠れるようになり、肝臓ガンの治療開始から完全に酒を抜きました。すると1,000を超えていたγ-GTPの値は2ヶ月で60まで下がっていたのです。がんセンター最初の検査では肝臓に二つ影があり、PIVKA-Ⅱの値は371AU/ml、AFPの値は133.7/mlでした。ステージ2の診断を受けました。ところが肺ガンの手術を優先し、定期的に検査を続けていたところ肝臓の影のひとつが消えていたのです。そこでしばらく様子を見ようとなったのですが、その後の検査で残っていた影が大きくなりAFPの値は1,956/mlまで上がっていました。肺ガンの手術から半年後に肝臓ガンの最初の手術を受けました。

入院中もブログは書き続けていました。入院は7日間なのですが手術の時以外は退屈で仕方ないのです。手術後4日目になると「なるべく歩くように」と言われます。歩かせるくらいなら退院させてくれればよいのに7日間はだめなのです。相部屋だとやはりストレスは感じます。集中できることがあると気が紛れるのです。最初の手術から1年3か月後、肝臓ガンは再発し2度目の手術となりました。その6か月後の検査では肺も肝臓も全く問題はありませんでした。そして担当医から「ガンよりも生活習慣病の心配をした方が良い」と言われたのです。その時初めて血液検査表にH(ヘモグロビン)a1cの値が示されていました。それまで何度も血液検査を受けたのに、血糖値もH(ヘモグロビン)a1cも検査表に値は表示されていませんでした。担当医が言うには「ガンに関係のない数値は基本的に提示しない。次回の検査までしばらく空くので念のために取った」そうです。H(ヘモグロビン)a1cの値は9.9%でした。「糖尿病の治療をしないといけません」。医師は淡々とそう言いました。ガンと診断されるまでは、タバコと酒は別として自分なりに食生活を考えて体重を維持していました。その中でも夜は炭水化物を食べないようにしていたのです。夜は必ず晩酌をしていたので、夕食で食べるのは酒のつまみ代わりのオカズだけでした。酒を飲まなくなるとご飯を食べるようになります。タバコを止めると食欲が増進するというのは本当だと思います。また禁酒・禁煙のストレスもあったと思います。ブログを書くためという言い訳のもとにラーメンの食べ歩きが日課のようになりました。気が付いた時にはあっという間に体重は10㎏も増えていました。

以前通っていた地元の総合病院を訪ねました。通っていた頃のH(ヘモグロビン)a1c値は5.4%の正常値でした。それが9.9%まで上がってしまったのです。糖尿病の専門医からは「重度の糖尿病だ」と教育入院を勧められました。教育入院とは治療のためではなく食生活を根本的に見直すために強制的な食事指導をするものです。入院だけはしたくない私は必死に抵抗し「自分なりに頑張ってみる」と答えました。重度の糖尿病と言われたことは私にとってはガン宣告以上にショックでした。ラーメンのブログをやっていて重度の糖尿病になったというのは、ある意味バカの極みと宣告されたようなものです。ブログを続ける価値のない人間のように思いました。それでしばらくブログ投稿を休むことになってしまったのです。それが半年たってまた再開しようと思い始めたのには、この間自分を見直し考える時間を設けられたことと、考えるキッカケがいくつか起こったことでした。連絡の取れていなかった同世代の知り合いの何人かがすでに亡くなっていたと知ったこと。良心的な生き方をしていてもガンに侵され若くして亡くなった方が多いこと。いつ再発するかは分かりませんが、とりあえずガンが一段落と診断されたことは私にとってとてもラッキーであること。年齢を考えると勝手に落ち込んだりぼんやりしている時間的な余裕はあまりないこと。そうしたことにようやく気付いたのです。遺伝やその他の要因はありますが、不摂生な食生活が糖尿病を発症し悪化させることは明らかです。とりあえずできることはやることにします。ラーメンを食べるときは麺の大盛はしないこと、スープは飲み干さず残すことから始めたいと思います。ブログは続けます。今後ともよろしくお願いします。