今日友達と話をして感じたことですが、日本人の夫婦って本当にあまり揉めないみたいですねあんぐり

 

我が家は夫と私がそれはもうよく揉める夫婦でして、この時書いたシリーズものも当時そりゃたくさんいろんなコメントをいただいたのですが、

 

 

このシリーズ後半に詳細を書いていますが、あることがきっかけで揉めない夫婦がはらむリスクがあることに気づいて以降「パートナーにも否が言える関係性を子供たちに見せていこう」と腹を据えたサラマなのでした。

もちろん口論オンリーですよ、手が出たり暴言がでたりはしませんよ。ただ、言い合う声は内容によっては勢いと熱を帯びます真顔


というわけでこのシリーズを書いて以降も一歩も引かぬ姿勢でことあるごとに揉めに揉め続けていた夫と私てすが、しかしながら世は諸行無常(この世には変わらないものなどはないという意味の仏教語)が真理なのか、夫も私もさすがにそこまで馬鹿じゃなかったのか、老化現象として細かいことに意識がいかなかったせいか、近年、もう揉めるネタがなくなってきてるのが事実です泣き笑い

 

いやはや、結婚した時にはこんなに安定した関係になるとは想像もしませんでした真顔

結婚して7年、がちんこでぶつかり続けて7年。

これほど穏やかに一緒に暮らせる日々が自分に訪れるとは夢にも思いませんでしたよね…

 

先の一時帰国で聞いたのですが、この7年間いつでもかつでもドンパチ反撃していたサラマと対照的に「子供の前で争う姿を見せないように」と自分が物言わず引くことで家庭内から表面上の争いを消していた何人かの友達の家庭が、あまりうまくいかなくなってしまっているようでした。

 

英語にAn elephant in the room(みんな分かってるのに誰も触れない問題)っていう言い回しがあります。これ、言い得て妙だな、と思う好きな英語表現のひとつなんですがね。

時間が経つと象も成長していくし、大きくなればなるほどに制御は難しくなるのですよね…

 

私の友人関係では、たいてい子を思う母心で妻側が「私が黙ることでこの場を収めよう」と黙るケースが多いですが、なかには、妻側が話し合おうとしても夫側が向き合わない場合もありますあんぐり

 

なぜ、向き合うのを避けるのだろう、と考えると、そこには一筋縄ではいかない、外野では計り知れない夫婦ごとのいろいろな事情があることは百も承知しているのですが、やはりひとつの大きな文化的特徴として、私たちの親世代が議論を好まなかった、子の前で「納得いくまで話し合う」姿を見せていなかったから、その子世代にあたる私たちが「慣れていない」のではないかという推測をする私なのでした。揉める手本がないというか真顔


そういう親の姿の影響を無意識に受けている私たち世代が「自分が我慢して場を収めて夫婦関係を継続させればいいんだな」というふうに倣ってしまうのは理解できます。

でも時代は確実に変わっている。

これから先の未来を生きていく我が子世代が私たちの世代から「我慢して場を収める」スキルを継承したからといって、今後、どういう場面でそのスキルが活用できるのか想像つかない私なのですよね真顔

 

私たち母親が「黙って流す」ことで対立を避ける場合、当然、そういった家庭で育つ女の子は、将来、そうでない家庭で育つ女の子に比べて、家庭内で対立を避ける傾向が強くなると思うのです。

私たち母親が「折れる」ことで対立を避ける場合、そういった家庭で育つ男の子は、そうでない家庭で育つ男の子に比べて、将来の伴侶(女性)に「お前が折れるべき」と求めやすいと思うのです。


というわけで、特に母親は、納得いかないことには声をあげていかねばならぬとサラマは思うのですよね。


それ言ったら友達にびっくりされたんたけれど、

え、なんか私おかしいこと言ってる?不安


大谷選手のご両親が子供の前で夫婦喧嘩しなかったということを最近よく耳にしますが(内容読んでませんし喧嘩の定義があんまよく分かってないまま言いますけれど)、もしもご両親が夫婦喧嘩していたら大谷選手はあんな大人物にならなかったんでしょうかねえ知らんぷり大谷選手の家庭が子供の前で夫婦喧嘩しなかったからといって、その逆の、子供の前で夫婦喧嘩しなかったら大谷選手みたいに育つというわけではない気がするんですよね〜。


まあうちは大谷選手の片鱗ないから、揉める姿を見せてきたことを後悔はしておりません泣き笑い