「赤ちゃんは白紙の状態で生まれてくる」
誰もが人生で一度や二度聞いたことがあろうかと思います
赤ちゃん白紙説、これは遡るとジョン・ロック(John locke)という経験主義の学者さんの論に行き着くらしいのですが、私達が幼い頃などに比べて最近この白紙説をめっきり耳にしなくなったのは、おそらく私が日本にいないからではなくて、現代は赤ちゃんに対する認識がアップデートされ「赤ちゃんはすでにそれぞれの個性を備えている」というのが通説として入れ替わっているからではないかと想像しています
ただ、サラマの脳裏には昔聞いたことのある赤ちゃん白紙説がなんとなく残っておりましたから、いざ子育てをしてみて驚いたのでした
「子供は真っ白な状態で生まれてこない」という事実に。
めちゃくちゃ個性あるじゃん、っていう
これはデンちゃんが生まれてきてケニ子と比較してキャラが違うから気づいた、というわけではありません。
デンちゃんが登場するまでもなく、第一子ケニ子が私とまったくキャラが違っていたのです。
私から生まれてきたケニ子。
なのに、動くようになり、しゃべるようになり、一個体の生き物として個性を現すようになってくると、彼女はけっこうあからさまに夫似の特性を発揮していくのです。
ケニアで子育てしている時期には出張三昧だった夫。
片時も離れずに子育てして、ケニ子とともに過ごす時間は私のほうが圧倒的に長かった。
にも関わらず、ケニ子は、他人との関わり方や初めての場所における振る舞い方などなにもかもが夫に近いんです。そして、夫もケニ子も気質的に内向的(introvert)。
私は自他共に認める外交的な人間(extravert)です。
人と関わることが苦ではなく、面接は落ちたことないですし、プレゼンなんかもストレスがかかりません。
自分から立候補することはないにせよ、誰もかれもが嫌がっている人前に出るような役職も頼まれたら引き受けます。
前に出るのが好きなのではなく、出ても出なくてもどちらでもいいのです。正直言って人前に出ることのなにがストレスになるのかがあんまり理解できないという
まあ、そんなサラマなのですけれども、自分の友達を見回した時には伴侶である夫も含め、親友のような近さにいる人間は大半が内向的(introvert)気質だという事実があります。
外向性と内向性(Extraversion and introversion)というのはパキッと切り離して分かれるものではなく、連続していて、誰しもがどちらの性質も備えているということが前提のようですが、一般的に日本人にはintrovert傾向が強い人が多いと言われるので日本に暮らしながらランダムに人と出会っていくと自然とintrovertsと知り合う機会の方が多くなるものなのかもしれません。
が、自分の人間関係を見渡しながらひとつの可能性として密かに感じていたのが、こんなにintrovertsと気が合うということは私は本来の気質はintrovert寄りなのだろうということでした。
私は気質としてはintroverts寄りなのにも関わらず、後天的にextravert側にひっぱられたのかもしれない。
だからこそ付き合っていてしっくりくのがintrovertsなのではないか、という推測です。
しかしデンちゃんを産んでから気づいたんですよ。
サラマの長年のその推測は誤りだった。
なにもかも私によく似ていると言われるデンちゃんは、コミュニケーション取れるようになったら、トップギアで、
めちゃくちゃextravertだった
デンちゃんと私は性別が違うのである年齢からはすれ違っていくのだろうけれども、しかし、今のデンちゃんはというと思惑が手に取るように分かるんです。デンちゃんをみていると、「あ…私もたぶんこんなんだったんだろう」ということをまざまざと思います
一方で、本質的にタイプが違うケニ子。
娘の一番の理解者でいたい母なのにそうなれないかもしれないという予感は私を少し落ち込ませもしたのですけれども、だからこそ、私は、きちんと気をつけて娘をよく観察するようになったのだと思うんですね。
考えずに私のペースでひっぱったらストレスになる子なんだなということはけっこう早くに気づいた。
人生が長いことを思うと、ありのままの自分自身を認めてリラックスして生きていけるに越したことはありません。というわけで、自分の良し悪しの価値観に彼女を矯正することなく、むしろその内向性を守り育ててあげようと、あれこれ思索する母サラマなのでした
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