私は、当時、働きながらたびたび "The road to hell is paved with good intentions"という諺を思い出しておりました真顔

「地獄への道は善意で敷き詰められている」というのが一般的な訳です。

 

いい大学へ行かせる。

そうなるとたぶんいい会社に入れる。

いい会社に入れたら(国家資格とれたら)安泰だからそこまで頑張ろうよ。

 

と、我々の親世代にはそういう価値観を持った方もいたようです。

そういう価値観を備えた親が、我が子可愛さだったりプライドだったりによって我が子の導線を引いたらしいんですけれども、話を聞いているといい会社に入るところがゴールになっていて、入ったあとのことにまで想像が及んでいる親ばかりではないような不安

 

ゴール…じゃないんですよね不安 

 

頭脳を切り売りしてアウトプットしていかなければならない業界では入ったあとにも競争が続いていく。


東大って近年だと「努力する」という才能に秀でていれば入れるところになってきていると聞きますが、依然、地頭組も多いですよね知らんぷり

法曹界なんかは東大京大のなかでも地頭組が多い感じがあり、ちなみに私が所属していた〔企業法務部〕のヘッドハントされてきた方々も皆東大卒でしたね。トップギアが入ったピンポンパンゲーム会議に滲むものがあったせいか、院からの東大組は「僕なんて東大といっても所詮院からですから」と謙遜せねばならぬような雰囲気がありました泣き笑い

 

また小室圭さんを例に出しますが、彼は確か日本の弁護士資格は持っておらず、ニューヨーク州司法試験は2回落ちています。

サラマは凡人なので3回目で受かったのだってすごいとじゃんと思うのですが、日本の法律事務所には、弁護士やらなんやらの国内難関資格に加えてアメリカの難関資格(もちろん弁護士資格含む)も備えている、なんて人がゴロゴロいるわけです。

ダブルライセンス目指してるので医学部出てから法律事務所入りましたーてへ、なんて人もいます。

 

もしも小室さんが自分が2回落ちた司法試験を自分以上の量の実務をこなしつつイッパツで受かった日本人に会ったらどう思うでしょうか。

たぶん「敵わないな」という敗北感めいた感情を抱くこともある思うんです。

頭脳を切り売りする業界ってそういうところで、超難関資格を取ったか否かに限らず、自分が努力してもできないことを隣の席の人がひょいとやり、自分が考えつかないことを前の席の人がアウトプットしていくような世界です。

コンサルなんかもそういう傾向なんじゃないかと想像しますが、地頭組が集う場っていうのは、努力だけではどうにもならない力学で能力の優劣があからさまになっていく感があり、他者との競争を意識する価値観を埋め込まれた方にはなかなかしんどいところがある気がします。

例の地獄のピンポンパンゲームなどのような機会になんとなく能力が測られ人によっては「この人はデキない人だな」と周囲から認定されることアリ、クライアントから「今の担当者は話が分からないからうちの担当から外してほしい」というクレームを受けることアリ不安

子を士業に仕立て上げたいと思った親は、我が子が周りから「使えない人だなァ」と評価されながらも毎日出勤していく、だなんて事態を望んでいたのだろうか、なんて、当時の私は子なしながら疑問に思ったものでした。

 

「子供の能力は無限大」とか言いたいところではありますが、以前読んだアルツハイマー系の本で私の印象に残っているのは「能力の100%を環境のせいとするのは、能力の100%を遺伝のせいにするのと同じくらい乱暴だ」という一文で、私は自分の能力を考えてみても遺伝要素というのは無視できないと考えるほうです。

我が子は可愛いですが、フツーに能力無限大ではないだろうと考えます泣き笑い

で、無限大じゃなかったからってどうやねん、ともひらめき


昨今の日本はというと、もっと中華寄りというか、努力と根性でなんでも補完していける人間を育てるのが是みたいなトレンド感じますよね。

ただ、人間って走り続けられないし、気を付けないと潰れますよね。

私は現実問題としてこういう↓↓ケースも知らないわけではないです不安

 

 


このシリーズの最初指差し飛び出すハート