法律事務所勤務時代に凡人サラマが実体験で学んだこと思い出したのでツラツラと書いてみます
毎度ですが大したオチはありません。感想文です。
フランスに行ったときにはふんわりと「今後ヨーロッパで生きる道を探そうかなあ」などと思い描き進学も想定に入れていたのですが、ガチのストライキに巻き込まれて人生観が変わり、芋づる式に自分自身に対する評価も変わりまして、「働くならば日本がいい。日本に真剣に腰を据えよう」と決心して帰国した私は、たまたま法律事務所に就職しました
言っておきますが五大法律事務所ではありませんよ。
頭のおかしい所長弁護士があえて荒波を選んで舵取りをして渡っていくようなベンチャー職の強い事務所です
あんまり書くとどこだかバレそうですが、当時職員を多い時で500人とか抱えていたので中くらいの規模感の事務所といったところでしょうかね。
とにかく毎日嘘みたいな珍事が起こり、フランス生活で「遠くに手を伸ばさず、毎日、目の前に起こることを拾っていこう」という覚悟が決まっていたからこそ私は船べりにつかまってなんとかやってこれたのですが、「ついていけない」と辞めていく人もいました。当然いておかしくない勢いでした
毎日ドラマが繰り広げられるその珍事務所、サラマなどは「いきなり所長弁護士の側近に登用されてあれやこれや新しい世界を見せてもらったものの、当時広報として雇われていたアル中EさんにEさんの不手際の責任を擦り付けられ左遷」というドラマティックな展開が身に降りかかりもしました
妻子あるアラフォーEさんが、保身のためにありもしない事実をでっちあげて真面目に働いているアラサーのサラマに罪を擦り付けるだなど当時の自分の持っている常識の範囲内になかったですし、もしもフランスでのストライキ経験にしごかれていなければ心折れていたでしょう
さて、私がなぜ法律事務所に入ることになったかというと、求人情報誌のなかに「スペイン語と英語の二か国語をしゃべる人で30歳以下、なおかつ企業勤務を3年以上経た人」という募集があったからです
マルチリンガルというのは今の若い方のなかには珍しくないでしょうけれども、いまのアラフォー世代では20代のうちに外国語が2ヶ国語ある程度運用できる人材となるとなるおそらくやや珍しかったのですよね。
しかも日本企業への勤務経験が3年以上というしばりがあり、かつ、タイミングよくその時点で東京で求職中となるとちょっと難しい条件かもしれません、面接に行ったら「本当に(条件に合う人が)いた」と驚かれました。
その時点で私はすでに語学というものにある程度冷めてしまってはいたものの、昔取った杵柄で、まあ、ネイティブチェックをパスでき、他に応募者もいなかったのでめでたくそのポジションを獲得することができました。
海外からのクライアントの接待含めたコーディネート、文献翻訳、契約書翻訳、会議での通訳チェックなどなど、事務所業務の海外に関するものすべてがいったん私を通って出たり入ったりする、というのを一人で責任負ってやるというのが私に求められた任です。
ただ、たった一人きりでどこの部署にも所属しないとなるといろいろと事務所の運営上こまるので(ミーティングや連絡網など)とりあえずは〔企業法務部〕に机を置いてそこの部長の仕切りに従ってよ、と言われ、名刺の肩書きは〔企業法務部〕なりました。
そして、その企業法務部というのが、私のような凡が在籍するのが許されるんかい、というような、所長がお金でなだたる企業から引き抜いてきた人材揃いだったのでした
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