Pちゃんは、そんなクリエイターズハウスに時々に遊びに来ていた出版社勤務の同世代の女の子です指差し


海外の作品をフランス語に訳して国内発売するような部署で仕事をしていて、日本の漫画や現代作家にある程度精通しつつも日本作品に限定することなくフランス国外のトレンド出版物についてよく知ってた子でした。

 

そんなPちゃんの子育てが本当に素敵で目がハート

いま、上の子が11歳、下の子が8歳くらいになってる。

となるとサラマは、上のボクちゃんがちょこんとこども用の椅子に座って紙にクレヨンで線を描き散らしてた頃からSNSで彼のこと見ること10年近くになるのかな知らんぷり


Pちゃんは、こどもの成長とともに、空き箱を使ってなにかを作ったり、野山で拾ってきたものをペイントして人形を作ったり、とにかく、しょっちゅういろんなモノづくりをさせてあげてたあんぐり

させてあげていたというか、そういうことにこどもと一緒に取り組む時間を意識的に捻出してた。


しかーも、

お金をかけていろんなものを買い与えるのではなくて、身近なものからイマジネーションをふくらませるような、こどもが自走し始めるまで時間かけるやり方。

そう、まるで、日本の保育園や幼稚園のやり方よ目がハート


Pちゃんって、仕事柄いろんな印刷物を扱うからイラストだとかデザインだとかに詳しいんだと決めてかかっていた私。サラマ的に彼女は作り手というよりも見る側として創作物が好きなのだと勝手に思い込んでいたのですが、Pちゃん自身も描く人だったみたいなんですあんぐり

彼女も描くんだってことを知るようになったのは投稿に時々Pちゃんのデッサンが混じるようになってから。知らなかった、パリで時々顔を合わせてた頃はそんなことをひとつも言ってくれなかった。


ヨーロッパについて、特にフランスとイギリスについては、私の場合在住の友達からの伝聞でしかないので偏り気味なんでしょうけれど、幼い頃からわりとアカデミックに寄せる印象を持っています。

もしもPちゃんが自分で動くことをせずお子さんを園のやり方に任せっぱなしにしていたら、フランスの幼児教育のトレンドなんかを聞く限り、ぼっちゃんたちは感性を表現する手段を今みたいに磨けなかったと思うんですよね。


私は当時投稿を見ながら、Pちゃんクリエイティブだなー、やってるなー、なんて思っていたんですけれども、いざ自分が海外で子育てせねばならぬことになったときに、ハッとしたんです。

私も海外で子育てるのであれば、Pちゃんのように能動的に動かない限りわが子のなかにきっと私や私の日本の友達が創作に楽しみを見出すようなマインドセットを育めないなと唐突に理解した瞬間の危機感というか、ハッ!でした。


サラマ、日本で子育てしていたらどうだったんだろうということをたまに思うんですよねえ。

創作が好きな人間というのは基本的には自分1人で創作に没頭してる時間を楽しいと感じるわけで、サラマだって、ぶっちゃけ、限られる時間を、幼い子供の気を引きながら創作の芽を育てていくのと自分で没頭して描くのに時間割くのでは、後者の方が純粋に楽しいわけです。

私はもともと、我が子には、この世界の連続性みたいなものを感じてほしかったタイプなので、子育てしている期間中、子どもと一緒になにかしら創作ごとを楽しんだとは思いますよ。

が、ハッキリ言って、日本にいたら、今みたいなある種の責任感めいたものを持って我が子にきちんと創作の時間を確保したりはしていなかった。

もっとユルく、園に送り出して、園の先生にお任せして、帰ってきてから作品を見せてもらってはあーだこーだ言いつつも、キッズとは自分が好きなタイプの創作だけ好きなようにやってたと思うんですよね。


でも、Pちゃんの母親としての在り方に意識させられたわけです。

教養としてのアートではなくて、創作の本当の楽しみを教えてくれる先生との出逢いというのは、もしかしたら海外で育つ我が子の進む道の先には用意はされていないかもしれない。運次第。

ということは、もしも創作の楽しさをきちんと分かるようにしてあげたいと思うならば、母である私がしばらく伴走しなければならない。


時には面倒くさいこともあるわけです。

自宅でやるとなると、絵の具の類とか片付けが手間だし、切りくずは散らかるし、外から持ち帰った貝殻や石や木の実や木の枝は床にころがるしタラー


そんな時にはPちゃんの在り方をカンフル剤にして、「フランス人が頑張って日本の幼稚園みたいなアクティビティを取り入れて子育てしてるのになぜ日本人の私ができんのだ」と奮い立たせて、とりあえずはなんでもかんでもとりあえず作ってみる生活を送っている私たちinデンマークなのでした指差し飛び出すハート


 

 東京出張しにきたPちゃんと乾杯キメてるサラマのOL時代よ。