今回の投稿が最終回なのでこのシリーズ最初of 最初の話を貼っておきます
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さて最終回。
最初は「嫌な人だなぁ」と思っていたのに、気が付いた時には心配の対象となっていたSさん。
「いつもムカつくクラスメイトのあいつが気になって気になって、目で追っていたらいつの間にか恋に落ちていた」という、
『りぼん』『なかよし』に出てきそうな少女漫画鉄板の展開ですが、まぁ、そういう感じで
この頃のサラマのなかには自然なかたちで「私からSさんに話しかけてみよう」という気持ちがすでに芽生えていて、
Sさんと二人きりになるようなご縁に恵まれないかな、と期待しながら毎日を過ごしておりました。
整理しておくと、
私はSさんから〈無視された〉と思い込んでいた。
チャットグループにも意図的に〈誘われなかった〉と思い込んでいた。
でも、彼女から、積極的な悪意あるアクションを受けたことは一回もないわけです。
自分が翻訳を誤っていたなって思ったんですよね。
深いところに流れる水脈みたいなものを汲み切れないまま訳してしまった。
Sさんに直接確認したわけでもないのに、
自分の視座から得た情報を自己解釈で組み立てあげて勝手に「こうにちがいない」と決めつけていた。
サラマは基本的に、
世の大多数の人と同じく「他人は変えることができない、変えられるのは自分の行動だけ」と考える人間です。
振り返ると、Sさんの態度にしのごの言う前に自分の態度にも改めるべきところがあったことに気づいたんですね。
たとえば、私はSさんに保護者の取りまとめなどてお世話になっているくせに、心のなかで思うに留め、
はっきりとSさんに感謝を伝えたことがありませんでした。
自分の気持ちは伝わっていただろうか?
目が向いたのは、
大人として自分が通しておきたいスジを通せていない自分でした。
腰をかがめて子供目線で過ごしてきた数年間で、自分の社会性のアンテナ感度が下がっていたのかもしれません
相手に求めるよりもまず私自身ができることをしたいな。
自然とそういうふうに思えていたある日、
サラマがお迎えにいくと門の前にいるSさんたち親子に遭遇したのです。
いざ帰ろうかというタイミングで、
園内に忘れ物をしたことに気づいたメリッサが引き返していくところでした。
メリッサの背を見送るSさんのそばに立つ私。
声が届く距離に行きたいと、いつもよりも、距離を詰めて立ちました。
いつも必ず携帯画面に目を落としてなんらかしているSさんなのですが、この時の彼女は携帯を取り出しませんでした。
沈黙の5秒ww
いや、話しかけようと決心して近づいてはみたもののですよ、
いざとなると自分を嫌っているかもしれない相手に話しかけるのは勇気がいるんですよ
アラフォーになっても、いや、むしろ人間関係の揉めごとから遠いところで無難に過ごしているアラフォーだからこそ、
自分を拒否しているかもしれない相手に自分から話しかけた経験などもう風化するくらい昔のことで、
こんなJKみたいなシチュエーションは緊張してしまい少し躊躇したのです。
間があけばあくだけ気まずいことを知っていた私は、意を決して声をあげました。
カブッた!
なんと!!
想定外にSさんが私に話しかけてきた!!!
サラマ、確信してしまいました。
声の調子とか、表情とか、態度で。
沈黙の5秒間、Sさんも、私に声をかけようと迷っていたんだなってこと。
迷ったうえで声をかけてくれたこと。
思えば、私も、今まであからさまに彼女のよこを素通りしてきた。
自分も、彼女の前ではいつも携帯触りながら目線も上げないようにしていた。
今までにもSさんが私に話しかけようと機会をうかがってきてくれたことはあったかもしれないのに私は自分を閉じてしまっていた。
言えた!
意外としっかり言えた!
よし!!
JKから20年以上経ってるわりにはそこそこキメたじゃん私!!
メリッサはあなたのいないところでもきちんと良い子してるよってアピールしてみたのですが、
サラマが期待する反応は返ってきませんでした。
なんというかあまり興味ない感じ
あの健気なメリッサが一回でも多くお母さんからホメてもらえたらいいな、という期待を込めて言ってみたのですが、
そこは、まあ、他人に自分の好みの反応を期待する私がおこがましい話なのでね。
こうしてサラマは、
幼稚園に入ってから唯一会話のなかったボスママと、なんとなく会話を交わせる間柄になったのでした。
Sさんとのこの件から得た気づきはたくさんあったのですが、それはまたおいおい書いていくとして。
今後心に留め置きたいのは、
アラフォーになった自分のなかに経験に基づいてこしらえた既定路線みたいなものがあって、
自分がそれをもとに人間関係をさばいていることに気づいてしまったということです
若い頃には「こうだろう」と予想して動いて外れる経験もそれなりにあったはずですが、
歳を重ねて「こうだろう」の精度が上がってからは自分の「こうだろう」という予想が「こうにちがいない」という決めつけのようなものになっている、
と気づかざるをえなかった経験でした。
今回の①-⑩、前半は私視点からみえた表面的なSさんのことを、後半は立ち位置を変えて見たSさんを記録しました。
Sさんは変わっていません。
変わったのは私。
立ち位置が違うだけでここまで事実が違ってくるのに、己の翻訳を疑いもしなかった自分がいたのは事実。
オバサン化しているな、と思いました
容姿が歳相応に朽ちていくことに抵抗ありませんが、精神的に弾性を失っている自分に気づくとなかなかショック
そう考えると、
アラフォーになって『なかよし』『りぼん』が身に起こり、『少年ジャンプ』の勇気を以てJK的な立ち回りをしてみた今回の件はオバサン化への特効薬としてありがたい出来事だったのかもしれません。
①ー⑩に続く長い間読んでくださってありがとうございました
ダラダラ延びちゃってごめんなさい、長い話を区切りながら書いてみたかったけれどもキッズが離してくれないサラマには難しかったわ
うちのかわい子ちゃんたち