泣き叫ぶ2歳男児を抱え、自宅周辺を無表情でひたすらひたすらに歩き続けるSさんを目撃してしまったサラマ。
魂を抜いたような顔をしてただひたすら機械のように歩く彼女を見て、
「そうだ、この人も異国で子育てを頑張っているお母さんの1人なんだな」という当たり前の事実にハッとした私なのでした。
英語がしゃべれたからって関係ないよね
パン屋で思い通りにパンが注文できたところで、
迷った時に道行く人に尋ねることができたところで、
その街への帰属意識を持つのに1ミリも貢献しない。
<暮らしに必要なコミュニケーションがとれること>と<そこに自分の居場所があると感じられるかどうか>は別問題だったことを忘れていたな、私。
英語ができる外国妻っていうのは、
英語ができない日本人妻よりも軽いストレスで海外生活送っているような気がしていたけれど、
自分の都合ではなく家族の都合で異文化にやってきた私たち〈帯同者〉というのは、
自ら望んで転勤や留学を決めた張本人とはモチベーションが違います。
その土地に配偶者を持ち、その土地で老いていく選択をした女性たちとも覚悟の面でやっぱり違う。
〈家族で一緒に暮らす〉という目的のために母国にて自分の手で築いた人間関係や社会的ポジションを捨てて家族に帯同してきた私たちですが、その目的って実はゆらぎやすい。
その滞在に自分なりの意義が見い出せない場合、
「本当にここで皆が一緒にいた方が最善の選択か?」っていう疑問は、生活のそこここにしょっちゅう顔をのぞかせる。
うまくいっているうちは誰だって海外生活チョロいわけです。
でも、ひとたびなにがでつまずいた時。
景色は急に色あせて、八方塞りのような錯覚ループに陥る。
つまづくポイントは人それぞれとはいえ、
やはり幼い子の育児ってのは行き詰まりやすいと概していいと思うんですよね。
行き詰ってなくても息詰まる。
ちなみに、私の場合は、二児育児。
もともと要領のいい方ではないサラマは育児って得意じゃないんです
仕事する方がよっぽど得意な人っていうのは一定数いますが、なにを隠そう私もそのうちの1人です。
サラマ、子がひとりの時にはまだなんとかなってたんですよね。
でも、
上の子が学校行きだして生活リズムが固定され、
下の子がそれに従わないように全力で抗おうとするイヤイヤ期の今、
どうにもこうにも穏やかにうまく回せてるとは言い難いたまに詰む。
私の場合「誰かとつながりたい」という欲がないので孤育てがそこまで響かないのと、
もともと自分に対する期待値が低いのと、
ハナから我が子にベストを与えようと思っていないのと、
夫に対してめちゃくちゃ強気で物申していけることが相まってなんとかやってきておりますが、
これ、異文化にて自分裁量でやれと言われたら、得意じゃない人の中には病む人いてもおかしくない。
Sさんは、学校行事のさばき方や根回し見ても働き慣れた方のような印象ですし、
もしかしたら育児よりも働くほうが性に合ってる人なのかもしれません。
そういえば、前に日本人ママと話した時に、レナちゃんママがSさんについて、こんなこと言ってた。
もしかしたら通院して薬飲んでるかもな、と直感した私。
いろんな誘いに積極的に乗るSさん。
学校行事にも意欲的に参加するSさん。
もしかしたらクリニックに通っているかもしれないSさん。
ともすれば子を放置して出かけまくっているようにも見えるSさんですが、
彼女を、自分なりに健気に状況を改善しようと奮闘している一人の母親とみなしてみると切なく合点がいくサラマでした。
見るつもりなくてもSさんのマンションの出入り口は幼稚園の隣だから見えちゃう。そしてアメリカ人声がデカいから聞こえちゃう。
ニュースにもなりましたが、
2018年に東南アジア某国で日本人駐在員の奥さんがコンドミニアムの高層階から身を投げました。
ご主人がマンションから出勤して15分後のことだったらしいですね。
ドサッという音を聞いて警備員が外に出るとコトが起こってしまったあとで、高層階の彼女の自宅に行くと部屋のなかには4歳の子供と0歳の赤ちゃんが二人きりでいて、ベランダに通じるドアが開いていた、と。
当時インターネット上では色々な憶測が飛びました。
憶測があたかも真実のように語られるのを進行形で見ながら危ういなと静観していた私ですが、
事実だけに注目しても、
彼女が駐在の帯同者だったこと、身を投げたこと、手のかかる年齢の子供の二人育児中だったことが挙がります。
送り迎えをしていないからといって、活発にソーシャライズしているからといってSさんが育児放棄しているとまでは思いません。
だとしたらメリッサあんなにいい娘に育ってないでしょうよ。
Sさんがなにを抱えているのか事情を正確に察するにはあまりにも遠い距離感のにあるサラマではありますが、
海外での二児育児でしんどそうな方を見るとどうしても2018年の東南アジアでの出来事に重ねてしまい、
メリッサやその弟君のことを考えては、
「なんかもう、Sさんが生きることにしがみついてくれているだけでいい」と思えてしまうのでした。
続きます↓↓↓