小学校受験を乗り越えたのに不登校になってしまったという友人のお嬢さん。

 

 

不登校が膠着状態になってから過去を丹念に丹念に振り返って、
「娘は嫌だったけれど発信できなかったのかもしれない。
嫌だって言われたら私たちも無理強いするようなことはしなかったはずだけれど、
小さな子供が嫌だって言える雰囲気が私たちになかったのかもしれないね」

と気づいたと話す友人。

これを言われた時に、
出会ってから今までの彼女とご主人の姿に自然と思いを巡らせたサラマ。
夫妻と過ごした日々、夫妻に招かれた別荘、夫妻のレストランでの会話や振る舞い、
お供させてもらった旅行…友人夫妻と共有したたくさんの楽しい思い出が脳裏を駆け巡り、
同時に、
一心同体に結合した理想的な完璧夫婦がはらむ危険性のようなものに全く気付いていなかった自分にゾワッとしました。

それは例えるならば、
遠く地平線に見える太陽にむけてやみくもに走っている時に足元に深い穴があったと気づいた瞬間のゾッと感といいましょうか。


なんとなくの感じで、
完璧に分かり合えているカップルは完璧な家族を築くに違いないと信じ込んでいた自分の浅はかさを突き付けられた気がしたんですよね。

そうか。
確かに。

言えない。

言えないよね。


生まれて数年した経っていないヤワヤワの新人メンバーには、
タッグ汲んで特定方向にひっぱっている親に物申すだなんてできない。

子供にとって親っていう存在はただでさえ巨大だもん。
そんな父親と母親がほころびのない一枚岩のように立ちはだかると、なんていうんでしょうか、逃げ場がない。

あうんの呼吸の夫婦が協調して子供を特定の方向にひっぱっていったら、
4歳5歳の年の頃の幼女が太刀打ちできる余地は1ミリもない。


サラマ、
友人の話を小学校受験負担の副産物とは思っていなくて、
あくまで意見が割れない夫婦のリスクとして捉えました。

そして自分の家族と置き換えてみる。

親の都合で負荷をかけるというなら、うちだって相当ですからね。


我が家は夫の仕事の都合で数年ごとに容赦なく国境を越えて移動していく家族。
もちろんメリットはあるでしょう、ないとは絶対に言わないわ。
でも、我が子の視点からすると、

自分が望んだわけではないのに親の都合で数年ごとに人間関係をブッタ切られていく人生ですよ。
出会いも多いけれど、お別れも多い人生です。

数年ごとに環境をリセットされるような生活のなか、
私と夫が普段から完璧に補完し合う一心同体のような夫婦でいて、
「この転勤はあなたにとってプラスなのよ」なんて笑顔で言っていたとしたら、
我が子は正面から不満がこぼせるだろうか?と考える。

そういうふうに想像した瞬間に、
私は、ずっとどこかで肯定しきれなかった自分たち夫婦のあり方、
つまり「時に対立しては納得いくまで激論を交わす」あり方ですけれども、
を今までで一番積極肯定したのでした。

夫婦で意見が割れていて良かった。
いや、敢えてでも割っておかねばならないわ、うちの場合は。

出会いも、別れも、
親しんだ場所から去る寂しさも、
無理して新しい環境に馴染む苦労も、
きっと平均的な子供よりも多くなるだろう我が子たち。

我が子たちが両親の顔色をうかがうことなく不満や愚痴をこぼせる家庭を保ち続けるには、
風通しを悪くしてはいけない。
私と夫が一枚岩として団結してはいけない。

我が家のように地域との人間関係が切り離されがちな転勤族、
地域社会に根付けない転勤族においては、
夫や私が外に逃げ場が持ちにくいように、子供たちにとっても外の逃げ場は持ちにくいはずなんですよ。
人間関係というものがある程度時間に応じて熟成されるものだとした場合ね。
私と夫が強固に結びつきながら民の意を汲まずに暴走する単独政権のようになったら絶対にだめ。
時に与党、時に野党と、民の意見を反映させながら拮抗して運営していくのは隙間風が通るのかもしれない。

うち以外にもチャーミーグリーンからほど遠いとコメントをくださった皆さん。

足並みがそろわない夫婦には意外なメリットがあるかもしれませんよ。

私たちは、自分が子供だった時の気持ちを忘れている。

夫婦で方針が合わないことを嘆く妻側の話をよく耳にしますが、

一致していないことは妻にとってはしんどくても、

関係性において新参者である子供たちにとっては意外と逃げ場になるのかもしれません。

 

だって、よく考えたら、オバハンの年齢になった私たちでさえ、3人組は難しかったりするじゃないですか。

私も駐妻界で経験しましたけれども、

3人いるうちの自分以外の2人が利害一致でベッタリとくっついてしまった時のあの疎外感よ。

ひとりっ子でないならいいとか、そんなわけない。

ちびっこが何人いようともちびっこだもの、

そりゃ、

両親が寸分の狂いもなくピッタリ一致してしまうと恐怖だわな、と気づく。

 

我が子について言えば、
自我がしっかり固まるまでは、
お父さんのやり方が嫌ならお母さんにつき、
お母さんのやり方が嫌ならお父さんにつくっていうことをしたらいいと思いました。
転々としていく生活の、

外界にもヘルプが求められないなかで、

なにも言えないまま抱えこんでしまうよりもずっとずっといい。

ほころびだらけの夫婦ですが、

このままくだらないことで揉め続けていくのも悪くないと思ったサラマでした。