「うちの子、いま、学校に行けてないんだよね…」
晴天の霹靂的な告白を受けたのは、先の夏休みのこと。
私は、かつての同僚であって、信頼している友人に対して「え?」「え?」と2回繰り返しました。
サラマよりも4つか5つか歳上の彼女。
私たちが関西の夫の実家に身を寄せている一時帰国期間に、
ちょうど関西圏に用があって行くからお茶でもしようと誘ってくれたのでした。
東京で働いていた時の同僚なんですが、なんだかんだ忙しくしていて、会うのは10年ぶり近いのか?
いや違う、ケニ子を身ごもっていた時にも一度会っているからここ6年のうちに一回は会っているのか?
彼女には自慢の7歳の娘さんがいて、確か昨年は東京の有名私立小学校2年になってるはずでした。
いつも自信たっぷりで、なんでも手に入れていて、華やかな彼女。
妊娠中の私に「結局子供がしっかり育つかどうかは親にかかってるよ。親さえきちんと導けたらたらどういう環境でもまっすぐ育つから」なんていう母親としての先輩アドバイスもくれて、その気負いが彼女らしいと思ったサラマはうふふとだけ笑ったものです。
人間という生き物の捉え方が田舎者の私とは違って、その勇ましさを相変わらずだな、と、好ましく思ったから。
「え…なんで?」
待ち合わせでお互いを見つけた瞬間の「久しぶり!元気だったー?」で久しぶりに抱き合ってから続いた数往復後の会話。
「娘ちゃんどうしてるの?」と尋ねたのは、再会の挨拶の一部のつもりで、そこから話題は当然彼女の娘さんの話で盛り上がるだろうと思ってた。
私も無事に娘が生まれたわけだし、色々と彼女の子育て話を聞いてみたかった。
当初は、カフェでも見つけて入ろうと思ったのですが、あまりにも想定外の告白に、私達はカフェに入るのをやめて、日陰にあるベンチに座ることにしました。
日本は飲食店のいたるところに「孤食」を促すシールが貼ってあったり、時間制限もあったりで、ゆっくり話ができる状況ではなかったから。
彼女には若い頃に結婚したご主人がいるのですが、まだ柔らかいうちに一緒になって寄り添いながら成長してきたせいか、時間をかけて互いの欠けを補い合いながら二人だけの世界を築いたような調和感のある二人だったんです。
私が出逢った時にはすでに「こうも価値観ピッタリな二人がいるものなのね」と驚く夫婦でした。
なんか、とにかく、周りと一線を画していた二人でした。
美男美女、二人揃って大企業のスターポジション、仲の良さもうわべだけではなさそうで「ギリギリまで子供はつくらないつもりー」と宣言して華やかに遊び暮らしている彼女達夫婦に密かに憧れていた人は多かったように思う。
宣言通りの積極的高齢出産で1人娘をもうけたあと、夫婦ともに深い愛情を持ってそれはそれは手塩にかけてお嬢さんを育てていたのは知っていたのですが、
結局、小学校受験して難関小学校に受かったあと、お嬢さんが不登校になってしまったとのことでした。
小学校受験で難関校に受かったことを友人はあれだけ喜んでいたのに。
お嬢さんも喜んで学校行き始めたって言っていたのに。
なんで?という私の問いに、
彼女は、
「うーん、まあ、本当は行きたくなかったのかもしれないな。小受したくなかったのに頑張っちゃったのかもしれない。と、今となっては私も夫も思うんだけど。ただ、当時の娘も、自分が “嫌だった” というふうには認識していなかったのかもなって思う。ある時に身体症状が出始めて学校に行かなくて良くなって初めて “行かないでいい方が楽しいじゃん”と気づいちゃったのかもね」
と、考え考え答えてくれたのでした。
そこで、サラマは「ああ、そういえば」と、彼女たちを見て感じたことがあったのを思い出したのでした。
ちょっと区切りますね。
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あ、
ちなみにこれ、小受否定する意図の投稿ではありませんよ。交流してくださる方にも小受組いますし、私達夫婦は日本にいたら間違いなく我が子を公立に入れていると思いますが、じゃあ現状どうなってるかというと転勤族であるがゆえに我が子は私学に入れざるをえないし
デンマークで私学なんて、めっちゃ張り切った課金組やんけ!!
じっと手をみるわ、ほんま。
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