「羅漢和讃」 | 宮地神仙道

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「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)

 

 

「帰命頂礼大羅漢(きみょうちょうらいだいらかん)
十六(じゅうろく)五百(ごひゃく)の大羅漢(だいらかん)

仏(ほとけ)涅槃(ねはん)の床(ゆか)にふし
滅後(めつご)の正法(しょうぼう)附属(ふぞく)せり
最期(さいご)の告げに驚きて
小児(しょうに)のごとく伏(ふ)しまろぶ
仏(ほとけ)や菩薩は多けれど
皆(みな)これ涅槃(ねはん)に入(い)りたまう
ただし羅漢は世(よ)にいまし
拙(つたな)き我らを度(ど)したまう
度生(どしょう)の霊験 多ければ
法住記(ほうじゅうき)にぞ書きしるす
悪王(あくおう)経文(きょうもん)や聞ければ
天に上(のぼ)りて取りに来る
貧女(ひんにょ)が供養を設ければ
帝王(ていおう)迎えて后(きさき)とす
羅漢は無上の福田(ふくでん)よ
祈れば必ず福を得(う)る
羅漢を信仰する人は
悪事(あくじ)災難よけたまう
修羅(しゅら)帝釈(たいしゃく)と戦えば
衣(けさ)を捧げて防ぎつつ
何所(いづく)いかなる所でも
供養をすれば来たり受く
支那(しな)天竺(てんぢく)はいわずとも
わがこの日本に効(しるし)あり
聖武皇帝(しょうむこうてい)無遮会(むしゃえ)には
沙門(しゃもん)となりて供(く)を受けり
道元禅師の供養には
羅漢(らかん)松(まつ)にぞ現(げん)じたまう
その時 残しかおかれける
羽(はね)の団扇(うちわ)が今たから
東福寺(とうふくじ)にては兆殿司(ちょうでんす)
涅槃(ねはん)の絵像(えぞう)を授かれり
そのほか記伝(きでん)もおおけれど
一二(いちに)を挙げて世(よ)を諭(さと)す
羅漢は真如(しんにょ)の月とかや
感応道交(かんおうどうこう)難思議(なんしぎ)よ
衆生の心水(しんすい)清ければ
羅漢(らかん)面影(おもかげ)うつりける
小溝(こみぞ)や小川(おがわ)の中までも
月の浮(う)かわぬ水もなし
草木(くさき)も仏(ほとけ)となるからは
心ある身のたのもしや
たのしこの身のあるうちに
成仏(じょうぶつ)得悟(とくご)が肝要よ
この世はわづかの假(かり)の宿
一息(いっそく)絶(た)ゆれば未来ぞや
大地と等しき群類(ぐんるい)に
人間わすか爪(つめ)のつち
世にも稀(まれ)なる身を受けて
むなしく渡るはおろかぞや
貪欲(どんよく)瞋恚(しんい)が深きゆえ
無明の酔(すい)がさめがたし
慈愍(じみん)大悲(だいひ)の大羅漢(だいらかん)
漏(も)らすぞ済度(さいど)ましませり

帰命頂礼大羅漢(きみょうちょうらいだいらかん)
十六(じゅうろく)五百(ごひゃく)の大羅漢(だいらかん)。」