
法華経を随喜賛嘆するのみでも
無量の功徳が得られるとあり、
「法華和讃」を読誦するのみで 功徳が得られます。
「帰命(きみょう)
妙法蓮華経(みょうほうれんげきょう)
一部八巻四七品(いちぶかちかんししちぼん)
序正(じょしょう)流通(るづう)の三分(さんぶん)に
本跡(ほんじゃく)二門(にもん)はそなわれり
大恩(だいおん)教主(きょうしゅ)の釈尊の
五十余年(ごじゅうよねん)に説きたまう
八万四千(はちまんしせん)の法門は
業(ごう)煩悩の重病を
救い助(たす)くる薬にて
いづれに疎(おろか)はなけれども
開権(かいごん)顕実(けんじう)一乗(いちじょう)の
妙法蓮(みょうほうれん)にくらぶれば
なお方便の教(きょう)にして
四十九年(しじゅうくねん)このかたは
総(そう)じて未顕(みけん)眞実(しんじつ)と
経(きょう)には説(とか)せたまうなり
如来(にょらい)出世(しゅっせ)の本懐(ほんかい)は
妙法蓮(みょうほうれん)を開示して
悟入(ごにゅう)せしむるのみぞかし
羊鹿(ようろく)牛車(ごしゃ)の三乗(さんじょう)も
火宅(かたく)の穉子(ちし)を誘(いざな)いて
界外(かいげ)に出(いだ)す方便ぞ
露地(ろぢ)にて賜(たま)う白牛車(びゃくごしゃ)は
等一無上(とういちむじょう)の一種なり
この大牛車(だいごしゃ)の妙乗(みょうじょう)は
十方仏土(じっぽうぶつど)も一(ひとつ)にて
二(に)もなく三(さん)もなかりける
化城(けじょう)にとどまる声聞(しょうもん)も
そのまま菩薩の行(ぎょう)なりと
作仏(さぶつ)の記別(きべつ)を与えたり
闡提(せんだい)無性(むしょう)の罪人(ざいにん)と
余教(よきょう)の中に捨てたるも
衣裏(えり)の宝は失わず
三界(さんがい)流浪(るろう)の孤児(みなしご)の
救いにたよりまれなるも
本(もと)より長者(ちょうじゃ)の一子(いっし)にて
限り知られぬ宝蔵(ほうぞう)の
主(あるじ)となるもほどちかし
多宝如来(たほうにょらい)も妙法(みょうほう)を
聞こしめさんと他方より
塔もろともに出(いで)たまう
釈尊(しゃくそん)十方分身(じっぽうぶんしん)の
諸仏も来たり証明(しょうみょう)す
従地涌出(じゅうぢゆじゅつ)の尚(なお)しらず
誰(たれ)の弟子かと問いし時
皆わが弟子とのたまうに
開跡(かいしゃく)顕本々門(けんほんほんもん)の
如来の実(じつ)はあらわれぬ
王宮(おうぐう)誕生(たんじょう)太子(たいし)より
六年(ろくねん)苦行の三十歳(さんじっさい)
成正覚(じょうしょうがく)とみるものは
ただ見るものの機見(きけん)なり
眞実如来(しんじつにょらい)の成道(じょうどう)は
甚大(じんだい)久遠(くおん)の昔にて
常に霊鷲(りょうじゅ)にましませり
霊鷲(りょうじゅ)の峯(みね)は七宝の
宮殿(きゅうでん)楼閣(ろうかく)荘厳(しょうごん)と
広大(こうだい)微妙(みみょう)の浄土なり
世界国土は壊(え)すれども
釈迦の浄土は巍々(ぎぎ)として
天人(てんにん)菩薩みちみちて
安穏(あんおん)快楽(けらく)いとふかし
この妙法(みょうほう)にあうことは
千万歳(せんまんさい)に稀(まれ)に咲く
烏曇鉢羅華(うどんばらけ)に殊(こと)ならず
一念(いちねん)信解(しんげ)の分斎(ぶんざい)も
元より己(おのれ)にそなわれる
慈悲の蓮(はちす)の開くれば
智恵の光もあらわれて 無明の闇(やみ)は消えはてぬ
実相(じっそう)般若の月きよく
万法(まんぼう)一如(いちにょ)に照らす時
煩悩ただちに菩提にて 生死(しょうじ)そのまま涅槃なり
迷える凡夫は亀毛(きもう)にて 悟れる仏もとかくなり
これ法々位(ほうほうい)に住(じゅう)すれば
心ことばの跡(あと)も絶え
六大諸法(ろくだいしょほう)をしなべて
法華(ほっけ)法界塔婆(ほうかいとうば)なり
三世(みよ)の仏もこれぞこの 塔婆(とうば)の中にましますを
唯仏(ゆいぶつ)与仏(よぶつ)の境界(きょうがい)と
経(きょう)の中には説きたまう
妙法(みょうほう)修行は不思議にて
提婆(だいば)が悪逆(あくぎゃく)重罪も
天王(てんおう)如来と仰(あう)がれぬ
龍女(りゅうにょ)が五障(ごしょう)の深きだも
須由(しゅゆ)に仏となるぞかし
一句(いっく)一偈(いいげ)の結縁(けちえん)も
成仏せぬはなかりけり
五十(ごじゅう)展転(ちんでん)随喜(ずいき)すら
羅漢(らかん)辟支(へきし)の極果(ごくか)には
はるかに勝ると聞くからは
一部(いちぶ)一巻(いっかん)一品(いちぼん)を
受持(じゅじ)読誦(どくじゅ)するその徳は
いかで言葉に陳(のぶ)べけむ
観音大士(かんのんだいし)もこの中に
普門(ふもん)示現(じげん)の誓いあり
菩薩(ぼさつ)天人(てんにん)羅刹女(らせつにょ)も
法華の行者(ぎょうしゃ)を守らんと
各々(おのおの)陀羅尼を説きたまう
しかれば読誦(どくじゅ)の輩(ともがら)は
仏の御手(みて)に撫(な)でられて
未来の未来際(みらいさい)までも 守らせたまうぞありがたき
この賛嘆(さんだん)の功徳をば
普(あまね)く衆生に施(ほどこ)して
妙法蓮(みょうほうれん)の上に坐(ざ)し
共に仏果(ぶっか)を成就せん。」