目に一番近いもの | 宮地神仙道

宮地神仙道

「邪しき道に惑うなく わが墾道を直登双手
または 水位先生の御膝にかけて祈り奉れ。つとめよや。」(清水宗徳)



日本でのチベット仏教関連の催しと言えば、約一年前には
東京の護国寺で「チベット砂曼荼羅ライブパフォーマンス
2006」
が行われ、また今年は幾つかの地域で「チベット・スピ
リチュアル・フェスティバル2007 」が催されました。


こうした状況を見ると、90年代の一時期に、一つの暴走した
教団に関する報道の中で与えられたチベット仏教に対する誤解や
偏見というものが徐々に取り除かれ、そしてチベットという国と、
チベット仏教の真の姿を見つめようとする人々が少しずつ増えて
いるように感じます。

その90年代に社会に大きな衝撃と打撃を与えた教団の信者の
一部の入信動機は、「チベット仏教の修行をしたいが、それには
グル(道師)の存在が不可欠であり、他に日本で見つける事が
出来ないから」というものであったそうです。

そうした切実な動機が、やがて「もしグルが弟子に他人を殺せと
命令したならば、弟子は他人を殺さなければならない。
なぜなら、殺される対象になった人間の死ぬ時期が到来した
から殺すのであり、ゆえにこの行為は正しい事になる」
http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1733/aum/lifton-1.html
という事を疑念なく信じてしまうように差し向けられていったのは、
本当に悲劇であると今も感じます。

こうした事件が起こるとは誰も予想さえしなかった80年代に
来日されたカーギュ派の高僧、アヤン トゥルク リンポチェは
こうした事を語っておられました。

「釈迦は色々な形で、ただ一つの真理を説いてこられました。
自分達の心の本質を認識するためです。

本質は今の心と別物ではありません。
不分離のものなのです。
目は外の世界を全て見る事が出来ますが、目に一番近いもの、
まつ毛が見えない。
まつ毛は鏡で見る事が出来る。
経験豊かな師に導かれるというのは、鏡でまつ毛を知るのと
同じ事なのです。」