階段をのぼりきると、
すぐに御拝殿に到着です
たくさんの参拝客がいらっしゃり、
海外の方も多いなぁという印象でした
御拝殿と御本殿
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➵御祭神
・大吉備津彦大神(おおきびつひこおおかみ)
・御友別命(みともわけのみこと)
・仲彦命(なかつひこのみこと)
・千々速比売命(ちちはやひめのみこと)
・倭迹迹日百襲姫命(やまとととひももそひめのみこと)
・日子刺肩別命(ひこさすかたわけのみこと)
・倭迹迹日稚屋媛命(やまとととひわかやひめのみこと)
・彦寤間命(ひこさめまのみこと)
・若日子建吉備津日子命(わかひこたけきびつひこのみこと)
➵御利益
延命長寿、縁結びや夫婦円満、家内安全、厄除け、必勝祈願、商売繁盛など
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ものすごい数の神様がお祀りされています
桃太郎伝説の原型となったとされる『温羅(うら)退治』の舞台の地がこちらの吉備津神社
御由緒は…
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➵御由緒
昔、岡山県と広島県東部を含むエリアが吉備国と呼ばれていた頃、温羅(うら)と呼ばれる一族が略奪などの野蛮な行いをしていました。
崇神天皇によって、温羅討伐を命じられた大吉備津彦命が、温羅退治のために現在の「吉備津神社」の場所に本陣を構えて温羅を成敗。
その後、茅葺宮を建てて住んだと伝えられています。
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楽天トラベルガイドより
御拝殿と御本殿を一童社側から
国宝に指定されてる御拝殿と御本殿
なんと京都の八坂神社に次ぐ大きさで、
出雲大社の約2倍以上の広さがあるそうです
「比翼入母屋造」という全国で唯一の様式の屋根を持ち、「吉備津造」とも呼ばれるそうです。
立派な廻廊
白無垢姿のモデルさんが撮影されていました
こちらはなんと約400m続く廻廊
1573年から約20年間かけて造られたんだそうです
廻廊の先には御釜殿があります。
こちらでは、釜の鳴る音で吉凶を占う「鳴釜神事(なるかましんじ)」が執り行われます
鳴釜神事とは一体…
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➵鳴釜神事とは
温羅を捕らえた大吉備津彦命は、温羅の首をはねましたが、不思議なことに首は大声をあげ、唸りが止むことはありませんでした。
そのため、やむなく御竈殿の釜の下に埋めてしまいましたが、それでも唸り声は止むことなく近郊の村々に鳴り響きました。
大吉備津彦命が困り果てていた時、夢枕に温羅の霊が現れて、温羅の妻・阿曽媛(あぞひめ)に釜を炊くように言いました。
続けて「世の中に良いことがあれば良い音を鳴らし、凶があれば荒く鳴る」と、告げました。
お告げの通りにすると、唸り声も治まり平和が訪れたそうで、これが鳴釜神事の起源と言われています。
現在は阿曽媛の代わりに、阿曽女(あぞめ)を担う巫女が釜を炊いて占います。
炊き上げる釜の鳴る音で吉凶を占いますが、阿曽女は何も伝えないのが習わし。
参拝者自身が、音を感じ取り吉凶を判断します。
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真ん中だけ書き手さんが違いますね
この違いを見られるのが、
複数人でお参りしたときの楽しみです
備中国一ノ宮だと思っていたのに、
スタンプは「三備一ノ宮」となっています
調べてみると、
吉備津神社HP 「よくある質問」に答えが
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当社は本来吉備の国の総鎮守であったが、
吉備国の三国(備前・備中・備後)への分割により備中国の一宮となった。
また分霊が備前国・備後国の一宮(備前:吉備津彦神社、備後:吉備津神社)となったとされる。
この事から「吉備総鎮守」「三備一宮」と云われます。
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すぐ近くに吉備津彦神社、
福山市にも吉備津神社があることは知っていましたが、こうした事情だったんですね
今回はもう1つ御朱印をいただきました。
御釜殿の御朱印です
こちらは日付なし、オール印刷でした…
ちょっと悲しい
岡山県岡山市 御朱印めぐり② に続きます
※過去の吉備津神社お参りの記録はこちら
読んでいただけたらうれしいです