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先日、ネットを見ていたら…

 

「人生イージーモードな子どもが発見される」

という見出しの後にある男の子の写真が貼られていました。

 

 

萩尾望都の漫画から飛び出したかのような美少年。

 

「人生イージーモード」というのは

 

容姿が良ければ良いほど、

周りからもチヤホヤされて、

優遇されて、辛い経験や疎外されることも少なく、

楽に生きられるということ。

 

 

この少年もこのまま順調に

美少年から美青年、美中年へ

成長し、

まさに

「人生イージーモード」な階段を上がっていきそう…

なんて、この子を見た殆どの人はそう思うに違いありませんが、

 

人間の美の成長段階には思わぬ落とし穴が潜んでいるんですよね

 

それが二次性徴

 

この二次性徴について、とても印象に残った

エピソードがありまして、

 

私が20代前半にバイトしていた蕎麦屋の店長の話です。

 

店長は面白い人でしたが、

容姿は食い倒れ太郎にクリソツでギャグみたいな顏でした。

 

 

 

それなのに、昔モテたエピソードなどをちょいちょい会話に挟んでくるので、

私は完全に虚言だと疑っていました。

 

 

そんな私の疑いの視線を察したのか

 

「俺は昔は可愛かったんだよ…」

「でも二次性徴に失敗したの!!」

とぼやいていました。

 

これ凄い分かります、

周りにそういう人よく見るから。

 

大人に向かって、身体が大きく変化するから、

容姿も変わるんですよね、

 

だから、子どもの時、すごい可愛かった子が

なんか微妙になったり、

 

逆に、子どもの時、イマイチだった子が

美人になったり。

 

お人形のような愛くるしい顔立ちの子役達も

大人になると普通のお嬢さんになったりします。

 

だから冒頭の美少年も

「イージーモード」と

取り上げられていましたが、

 

店長の話を聞いて以来、

私は「どうだろう…二次性徴がね…」

すぐに思ってしまうようになりました。

 

 

うちの実家の教室にも過去に

Nちゃんという絶世の美幼女がいました、

 

 

両親は日本人なのに、

西洋人形のような華やかな顔立ち、

 

私も

道行く子どもを含めて沢山の子ども達を見てきましたが、

「かわいいな」という子はいっぱいいるものの、

「うわっ」とたじろぐような美幼児には、

このNちゃん以降出会ったことがありません。

 

 

当然、Nちゃんは外に出ると注目の的です、

電車に乗れば、

前にいた男子学生が

「おい、見てあの子めっちゃ可愛い」

色めき立つくらいです。

 

Nちゃんにとって「可愛い」と容姿を褒められるのは

日常であり、当たり前のこととなっていたのでしょう…

 

なので、容姿を褒められない日は

暗い顔で

「今日は可愛いと言われなかった…」

と言っていたそうです。

 

普通の子ではあり得ないセリフですよね、

 

普通の感覚では「可愛い」と言われるのはたまにあるかないか

のことであり、

そんなことを言われたら、3日は「ラララ~♪な余韻に浸れるのに、

 

Nちゃんにとって「可愛い」が無い日は

むしろ不安や不満を感じていたということですね。

 

Nちゃんが卒業しても、ご両親から長きに渡り写真付き年賀状を

頂いていたので、Nちゃんの成長を見れました。

成長しても相変わらず美人さんでしたが、

 

やはり、あのドヒャ!!となるような衝撃は

もうありませんでした。

 

母の恩師の話では、

昔とても綺麗な子がいたけれど、

 

大人になるにつれて、

あんまり容姿を褒められなくなって、

気を病んで自殺してしまったこがいるそうです。

 

だから恩師は

「あんまり無責任に綺麗、綺麗なんて言ったら駄目よ」

と言っていたそうです。

 

確かに体力の衰えがあるように、

見た目もピークを過ぎれば徐々に下がっていく傾向にあります。

 

心が成熟する前に

「かわいい、綺麗」と言われることが当たり前だった人は、

容姿の衰えと共に

徐々に減りゆく当たり前に「なんで!?」と困惑するでしょうね、

 

それで病んでしまったり、

痛い人になったり。

 

美人は絶対に得ですが、

幸せなのかといったらそれはまた別。

 

美人には美人の苦労があるんですね、

 

そう思うとほどほどの顏が一番いいのかもしれません。

 


 

 

次回の更新予定は6/26(土)です