2020年、元原発作業員の案内で、福島第一原発事故によって避難指示区域に指定された福島県相双地区を訪れた。この方に案内してもらうのはこれで3回目だが、前回は2014年の冬だったので、かなり様子が異なってた。

当時と今の相双地区の変化を記録にまとめたいと思う。

 

案内してくださったUさんは、原発事故後、廃炉作業・除染作業を中心に様々な業務につかれた方で、並行して労働相談もされているので、道中現場の様々な話を聞ける。汚染水が作業員のミスで施設の地下に流入した時は、その回収に駆り出され、ホラー映画みたに怖かった話とか。長靴に穴が開いてて、汚染水がしみ込んで冷たかったとか。

Uさんとは広野町のイオンで落ち合った。広野町はすっかり垢ぬけて新興住宅街のようになっていた。

 

まずは、東京五輪の聖火リレー出発地ともなっているJヴィレッジに向かった。かつて、福島第一原発(以下イチエフ)へ向かう作業員の前線基地とされ、Uさんもここで防護服を着てイチエフ行きのバスを待っていたそうだ。

 

雨天練習場はかつてはイチエフ帰りのバスや自動車の車両スクリーニング車だった。

 

 

こんな感じだったのが、

 

今では練習場としてきちんと芝生も張られていた(ちょっと遠いが)。

 

 

Jビレッジの宿泊棟。このロータリーから、15分ごとにイチエフ行に東電借り上げバスが出ていたそうだ。作業員は宿泊棟の中の売店で軽食を買って乗り込む。出勤時間近くになると長蛇の列になった。今では、中はすっかり小奇麗なホテルのフロントになっていた。

 

Uさんがバスを待つ間に煙草を吸っていたというテラス。

 

 

常磐線「Jヴィレッジ駅」というのが完成していた。真新しい無人駅。

 

付近には「イノベーションコースト構想」によって建てられた様々な廃炉関連施設が並ぶ。2014年当時剥き出しだった廃炉作業のためのモックアップ施設(等身大の原発模型を使って廃炉作業のシミュレーションを行う施設)も完成していた。申し込めば見学できるらしい。

 

建設中のモックアップ施設。

 

楢葉町に入り、かつてご自宅にお邪魔したSさん宅を探した。更地になっていた。

というか、一帯は普通の住宅地で住宅がひしめき合っていたはずなのに、広大な広場のようになっていた。

 

かつてのSさん宅。

 

富岡町の最終処分場。10万ベクレル以下の廃棄物は、このゲートの向こうで最終処分される。すぐ脇には古いお寺があり、参拝者もいた。避難指示は解除されているので何も不思議はないが、何か幽霊でも見ている気分。それぐらい人がいない。ここも申し込めば見学できるとのこと。

 

福島第二原発のゲート前まで来てUターンする。今日はお休みで誰もいない。かつてここにスクリーニング場があり、一時帰宅された方などが利用していた。

 

かつての福島第二原発スクリーニング場。

 

様々な廃棄物減容化関連施設が雨後の筍のように至る所に見られた。除染などで出た大量の廃棄物を焼却するなどして体積を小さくする減容化は――粉塵化した放射性廃棄物が外に漏れる恐れがあるなど問題もある中――急ピッチで進められてきた。この施設は減容化後に残った高濃度廃棄物をセメント固化する施設。

 

施設の裏には海岸線に至るまでの広大な土地に無数のフレコンパックの山が連なり、その末端から福島第二原発が見えた。

 

富岡町・夜ノ森地区。桜並木で有名な場所だが、事故当初から空間線量が高かった。この道路の右側は帰還困難区域で今も入れないが、左側は解除され自由に立ち入れる。損害賠償の額も、この道路1本挟んで極端に違う。復興政策の理不尽で非科学的な面が分かりやすく表れた区域だった。

 

2014年当時の夜ノ森。当時は道路もガタガタだった。

今は空間線量は高いところでも0.4マイクロシーベルト程度。かつで5マイクロシーベルトほどあったので、10分の1以下になった。

 

理不尽で非科学的な復興政策は、今年特に極まった感がある。今年3月に常磐線全線開通したことに伴って、夜ノ森駅から桜並木に至るまでの主要道路が新たに避難指示解除された。道路だけが解除されていて、その周辺はまだ立ち入り禁止区域である。駅前は無人のゴーストタウンが広がっている。

駅自体も無人駅である。常磐線沿線駅の構内はほとんど同じ内装。ICカードリーダーと空間線量計のセット。

間違えて降りても気付かないかもしれない。

 

 

次の記事では、富岡町から大熊町・双葉町に至るまでを記録する。