私は、幼稚園から大学まで渋谷にある学校に通学し、社会人になっても東横線で通勤していますが、今までで一番乗った電車であり、一番好きな車両である東急9000系が先日発表になった東急の2023年度の設備投資計画に9000系を置き換える車両の新造が盛り込まれ、9000系が東急を去る日が名実ともに来ることになりました。



私が幼稚園に通い出した頃は8090系が最も新しい車両でしたが、通学してからの初めての東急の新車のデビューは9000系なので、学生時代・青春時代をともに歩んだ車両で数々の思い出があります。


1986年3月9日、当時、初等部2年の私は9000系デビュー記念乗車券を買いに行きました。


9000系はデビューした当時は、ちょうど通学時間帯の51運行に入ることが多く、朝、51運行で9000系に乗ると、帰りはクラスメイト4人で51運行の16時44分渋谷発、急行元住吉行きのクロスシートの乗車位置に30分前ぐらいから並んでいました。



さて、高校1年の冬の土曜日、朝から雪が降っていましたが、どんどん雪が強くなってきて、下校の時間には渋谷を発着する路線のほとんどが運転見合わせになってしまいました。

当時の高等部の通学路である東急文化会館(現在のヒカリエ)の連絡通話から東横線の正面改札口に着くと、2番線に9000系の急行桜木町行きが発車時間を待っており、他社線の友人に誇らしかったことも懐かしい思い出です。



社会人になって、付き合っていた彼女は戸塚に住んでいましたが、私が東横線で帰るので、渋谷で遊んだ帰りは一緒に東横線に乗って帰りました。その彼女も私が9000系が好きなことを知っていて、横浜まで乗るにもかかわらず、「こっちの電車に乗るんでしょ」と言いながら、各停の9000系に付き合ってくれたり、発車間際の混んだ急行の9000系に乗ってくれたりと、9000系の思い出はもちろん、9000系に一緒に乗った彼女や友人との思い出がたくさん詰まった電車です。


「東横線のプリンス」の9000系は、副都心線直通対応車から外れてしまいました。

渋谷駅が地下化され不便になったり、始発駅でなくなり座れなくなったことも一因ではありますが、私が目黒線通勤にシフトした1番の原因は9000系の東横線からの撤退でしょう。



大井町線に転出してからの9000系は、5両編成に短縮され、大井町線ステッカーと前面のグラデーション帯と言う残念な姿になってしまいましたが、15編成すべて残っているうちにしっかりと撮影して記録しておきたいと思います。

検査切れ順ではあるとは思いますが、最後に9000系が東急を去る時には、赤帯に戻して営業運転してもらいたいものです。