こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

前回の記事の続きです。
救急車はK大学病院救命救急センターに到着し
慌ただしく処置室に運ばれました。
「お名前を教えてください」
「生年月日と年齢は?」
「住所はどちらですか?」
「事故に遭った時の状況はわかりますか?」
手と足の痛みは耐え難く
答える声もどんどん小さくなっていきました。
眼は見えませんでしたが
大きな部屋にいるらしく
まわりにいる人の数が多く、
何人もの大きな声が飛び交っていました。
身体は動かせなかったのですが
レントゲンや様々な検査が行われているようです。
検査の度に
医者が替わる度に、
「お名前を教えてください」
「生年月日は?」
「年齢はいくつですか?」
と、同じ質問が何度も繰り返されます。
声を出そうと口を動かす度に
身体中に痛みが走るので
「もう、同じ質問ばかり・・・
いい加減にしてほしい!」
と、だんだん腹が立ってきました。
とうとう
「同じ質問ばかりされますが、
紙に書いてないのですか?」
「話すと痛いから、紙を見てください!
お願いします」
と、言い放ち
口をつぐんでしまいました。
かわるがわる繰り返された質問は
私が意識を失わないように尋ねていたそうです。
この時点で、たぶんお昼頃
両親は朝から外出すると話していたので
まだ連絡は取れなかったそうです。
後から知ったのですが
私の入院手続きをしたのは
高校時代からの親友です。
彼女は私の持っていたアドレス帳の中では
K大学病院の一番近くに住んでいました。
大学病院から知らせを受けると、
一目散に飛んで来て、
私の入院手続きを済ませて
両親が到着するまで 待っていてくれたのです。
両親が大学病院から知らせを受けたのは
午後1時過ぎ
「娘さんが事故に遭って骨折した」と
聞いたそうです。
家から病院までは、電車を乗り継ぎ
2時間半かかります。
まさか、娘が生命の危険にさらされ
重篤な状態であるとは
病院へ到着するまでは知らなかったそうです。
手術室に入るまでのことは
すべて覚えています。
意識はありました。
痛みが酷く、
意識を失うことはできませんでした。
手術には8人の医師が入り
複数の科による手術が行われました。
9時間かかったそうです。
手術の途中に、眼科医が両親の所へ来て
「眼球摘出の同意書」を渡され
サインしたそうです。
しかし、
結果的には眼球の摘出せずに縫い合わされました。
麻酔が切れて目を覚ました時
私は、薄暗い部屋の中にいました。
身体中に
いろいろなチューブがついているのがわかりました。
私、どこにいるのだろう?
術後、私は集中治療室(ICU)にいたのです。
そして 今、思えば、
私はそこで不思議な体験をしていたのです。
All my relations!

