こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。



 

29年サイクルの終わりと始まり

29年サイクルの終わりと始まり その2

29年サイクルの終わりと始まり その3

 

 


前回の記事の続きです。



救急車はK大学病院救命救急センターに到着し
慌ただしく処置室に運ばれました。


「お名前を教えてください」
「生年月日と年齢は?」
「住所はどちらですか?」
「事故に遭った時の状況はわかりますか?」



手と足の痛みは耐え難く
答える声もどんどん小さくなっていきました。

 



眼は見えませんでしたが
大きな部屋にいるらしく
まわりにいる人の数が多く、
何人もの大きな声が飛び交っていました。



身体は動かせなかったのですが
レントゲンや様々な検査が行われているようです。




検査の度に
医者が替わる度に、



「お名前を教えてください」
「生年月日は?」
「年齢はいくつですか?」

と、同じ質問が何度も繰り返されます。



声を出そうと口を動かす度に
身体中に痛みが走るので


「もう、同じ質問ばかり・・・
 いい加減にしてほしい!」
と、だんだん腹が立ってきました。



とうとう

「同じ質問ばかりされますが、
 紙に書いてないのですか?」


「話すと痛いから、紙を見てください!
 お願いします」

と、言い放ち
口をつぐんでしまいました。



かわるがわる繰り返された質問は
私が意識を失わないように尋ねていたそうです。




この時点で、たぶんお昼頃


両親は朝から外出すると話していたので
まだ連絡は取れなかったそうです。



後から知ったのですが
私の入院手続きをしたのは
高校時代からの親友です。


彼女は私の持っていたアドレス帳の中では
K大学病院の一番近くに住んでいました。

大学病院から知らせを受けると、
一目散に飛んで来て、
私の入院手続きを済ませて 
両親が到着するまで 待っていてくれたのです。



両親が大学病院から知らせを受けたのは
午後1時過ぎ

「娘さんが事故に遭って骨折した」と
聞いたそうです。

家から病院までは、電車を乗り継ぎ
2時間半かかります。

まさか、娘が生命の危険にさらされ
重篤な状態であるとは
病院へ到着するまでは知らなかったそうです。



手術室に入るまでのことは
すべて覚えています。

意識はありました。
痛みが酷く、
意識を失うことはできませんでした。



手術には8人の医師が入り
複数の科による手術が行われました。
9時間かかったそうです。



手術の途中に、眼科医が両親の所へ来て
「眼球摘出の同意書」を渡され
サインしたそうです。





しかし、
結果的には眼球の摘出せずに縫い合わされました。 

 





麻酔が切れて目を覚ました時
私は、薄暗い部屋の中にいました。


身体中に
いろいろなチューブがついているのがわかりました。



私、どこにいるのだろう?



術後、私は集中治療室(ICU)にいたのです。



 そして 今、思えば、
 私はそこで不思議な体験をしていたのです。









All my relations!





 

メリークリスマス!

ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。

ブログに立ち寄ってくださっている読者の皆さん、
いつもありがとうございます。



今日はクリスマスなので、
あまり痛々しい話は脇において、
静かに聖なるひと時をすごされますよう、
私からもお祈りいたします。


29年前のクリスマスは、病室から出られず、
病院の入り口には大きなクリスマスツリーがあると
お見舞いの人から聞いて、
見てみたい!と思っていました。


29年たった今、
クリスマスツリーはもちろんのこと、
日本各地や外国へも飛び回れるようになりました。


 
昨日は神戸に行き、
プロフィール写真のメイクしてくださった先生の家で
メイクの個人レッスンを受けて来ました。

 
先生のお家は、
なんと 私が十数年前に毎月通っていた 大学のご近所!
ビックリです (笑)


傷が癒えた後、私は、
この大学でコミュニケーション講座の講師として
教えていた時期があったのです。


神戸には、ご縁を感じます。



All my relations!

こんにちは

 

ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト

梅澤千恵子です。

 

 

29年サイクルの終わりと始まり

29年サイクルの終わりと始まり その2

 

前回の記事の続きです。

 

 

救急車で病院へ運ばれた私は

すぐに処置室のベッドへ移されました。

 

 

「お名前を教えてください」
「生年月日は?」

激痛に耐えかねている私が質問に
答えはじめた時

 



足元から着用していたスパッツが
ザーッとハサミで切り裂かれました。

え?

驚いた時には
薄手のハイネックのセーターとシルクのキャミソールが
同時に裾から切り裂かれています!

 



えええええ~!!


お気に入りのセーターが裂かれた!

痛みを通り越して、ショックを受けました。



「お願い!!
 カーデガンとコートは切らないで~!!」
 と、力の限り叫びました。



入荷を待ち、前日に買ったばかりの
大人気のアニエス・ベーのカーディガンと
前の月に出張先の三宮で見つけた白いコートは
絶対に切られたくない!!


ショックで泣き始めた私に
看護婦さんは
「わかりました。切りませんよ~」と
声をかけてくれました。


どうやって脱がせてもらったのかは
記憶はないのですが・・・


後日、母から聞いた話によると
カーディガンもコートも
家で洗濯してもクリーニングへ出しても
血糊は落ちなかったそうです。




運ばれた病院には眼科がなかったことと
出血多量で重篤な状態に陥っていた私は
応急処置をされて
第3次救急のある大学病院の救命救急センターへ
救急車で移送されることになりました。


第3次救急とは
生命の危険に瀕している患者を受け入れる病院です。

 

 

再び救急車に乗せられた私に
応急処置をした病院の外科部長の医師が付添いで
同乗しました。


サイレンが鳴り響く中
救急隊員が「40分でK大学病院へ到着します」
と医師に話しています。

 



「40分もかかるの?」
と、想像を絶する手と足の痛みに翻弄されていた私は

もうこれ以上は耐えられない
もう無理

と、どんどん気が遠くなっていきました。




「気を失ったら、どれだけ楽になるのだろう?」
と思っていたら


救急車に同乗した医師が
私を励ますために
いろいろな話をしはじめました。


私は救急車が揺れる度に
振動が身体の痛みを増幅させることを
怖れて、話しかけられることもイヤで
「もう話かけないで欲しい!」と
心の中で叫んでいました。


医師はご自分が生死を彷徨う病気をして
そこから生還した話をしてくださいましたが


私は
「そんな話は聞きたくない!
 お願い!黙って!」と
ずっと思っていました。


激しい痛みに呑込まれ
救急車は永遠に着かないのかもしれないと
気持ちが絶望に向かいはじめた時

救急車はK大学病院、救命救急センターに
到着しました。
後部ドアが開けられ、ストレッチャーが降ろされる時


同乗の医師が
「私はここまでです。頑張ってください」
と言った途端に
それまでは、医師の話が鬱陶しくて
うるさいと心の中で拒んでいましたが

「先生!一緒についていってください」
と、ありったけの声を出して
同行をお願いする私がいました。


「大丈夫ですよ。
 ここの先生達はベテランですから
 心配ありません。」


「誰も知らないから~!」
と、一気に心細い気持ちが沸き上りました。


「ここは提携病院なので、また会いましょう!」


その言葉を空しく聞きながら
私が乗ったストレッチャーは
ものすごい勢いで押されながら
救命救急センターの中に入っていきました。





All my relations!

 

こんにちは



ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト

梅澤千恵子です。

 





前回の記事

29年サイクルの終わりと始まり

の続きです。





29年前の12月4日、運命の日





どうしても私でなければという

大手企業のクライアントから

急な仕事が入りました。





仕事先へ向かう途中

交差点の信号が赤なので、立ち止まり

青にかわるのを待っていました。







その時

けたたましい急ブレーキの音がして

目の前で2台の車が衝突し

衝突のはずみで飛ばされた1台の車が

私に向かってきました。







跳ね飛ばされた私は

後ろにあるブロック塀に顔から激突し

車に轢かれ

身体は車の下にありました。







その間、私は意識を失っていただけではなく

あちらの世界に一度行ってしまったようですが、

そのことについては

また、あとのブログに書くことにします。

 

 

 

 

 





これまでにない激痛で目が覚めたのは

救急隊員が車の下から私を出す時でした。







想像を絶する痛みは、

特に右手と左足から感じました。

 

 

 

 

 





目は見えない状態でしたが、

救急隊員の話す声はハッキリ聞こえました。







「わかりますか?」

「お名前を教えてください」



「梅澤千恵子です」



「住所は?」



「神奈川県・・・◯◯です」



「ご家族に連絡するので、

 

 

   電話番号を教えてください」







そんな状態の中でも、気丈な私は





「連絡はまず仕事先にかけてください

 両親は外出中なので、電話には出ません!」

と訴えていたのです。







仕事先に今の状況を知らせて欲しい

バッグの中に手帳がある

連絡先は今日のスケジュールに書いてある

 

 

 

 

 

休日なので

事務所とマネージャに連絡するのは

難しいかもしれないけれど



この状態では仕事に向かえないことを

何よりも先にクライアントに伝えて欲しい



とテキパキと

 

 

救急隊員に指示を出していました。













「身体が・・・手と足が痛いです」





「何が起きたかわかりますか?」





「交差点に立っていて、

 車の急ブレーキの音が聞こえて・・

 怖くて目をつぶりました」







私は、救急車で救急病院へ向かう途中

手と足の痛みに圧倒されていました。







意識を保つために、

救急隊員が話しかけてくるのですが





その時、ふと口から出た言葉が

 

 





「私の顔は大丈夫ですか?」

という質問でした。







大手企業から指名がかかるのは

技術的なことだけでなく

容貌も大きな位置を占めていたので

私のプロ意識が、

 

 

そんな質問をさせたのです。









「大丈夫ですよ〜」と救急隊員。









激しい 手と足の痛みに翻弄されていた私は

その言葉を聞くと、一瞬安心したのですが

 

 











嘘でした。











本当は

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の顔は割れていて

血が噴き出して

右目が破れ

顔は半分陥没していたのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私の意識がしっかりしていたので

救急隊員は嘘をつくしかなかったのです。









病院へ救急車が到着すると

 

 



処置室へと運ばれていきました。









忘れることができない

29年前の12月4日の出来事は、

ほんの数行で書いてしまえることですが





その数行で書ける出来事は







私の人生をすっかり変えてしまったのです。





今、このことを

自分の意思で書けるようになったのは

29年たった今年の12月4日に起きた

ある出来事がきっかけでした。







長い長い、

 

 

いつ終わるともわからない時間が

この日、晴れていったのは、

この写真を撮影したからだ!

と、言っても

間違いはないと思います。









それが、この写真です。



   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

All my relations!





























 

 


こんにちは
ラコタのパイプを持つヒプノセラピスト
梅澤千恵子です。



12月1日は価値観がひっくり返る日になりました。


海に沈んでいた私が
波間に顔を出して太陽を浴びてしまった
そんな日です。



驚き
ひたひたと嬉しさがこみ上げてきて
身体中にひろがっていきました。
ジワジワと



信じられない
本当?
こんなにきれいになってしまって・・・
これが本当の私なの?



帰途についたとき
電車の窓に映る自分の姿を恥ずかしく思うほど
嬉しい日になりました。


でも
この魔法が溶けてしまったら?


と、半信半疑でうろたえてしまう私が
そこにいて


これが、本当に私なの?


と、自分の姿が鏡や窓に映るたびに、
見たことのない存在を初めて見たかのような

驚きに包まれました。



この日
プロにメイクをしていただき
カメラマンに撮影をしてもらいました。


これまで
写真を撮られることが苦手で
いえ、
苦手というより嫌いで
避けてきました。


何で申し込んでしまったのだろう
どうせ変わらない
またがっかりするよ


息苦しい思いがのしかかり
朝はやっと起き上がりました。


重い心と身体を引きずりながら
「予約したから」と
手持ちの勇気を掻き集めて
撮影の会場へ向かいました。


メイクも撮影も
ネガティブな気持ちを感じる隙もなく
むしろ
何故かわからないけれど
温かな気持ちに包まれて
心がほぐれていきました。




12月4日に、
撮影された私の写真が
撮影したサロンによって

FBにアップされました。


それを受けて
私も自分のプロフィール写真を変えたら

素敵〜
美しい
最高!

沢山のコメントをいただき
みなさん、一様に驚いていました。




私も驚きました。




ただただ、自分に対する愛を感じて
愛おしさを感じて





大丈夫だよ




大丈夫だよ




もう大丈夫なんだよと
自分を抱きしめながら




泣きました。




29年間、自分につけていた重しが
はずれた時は12月4日
奇しくも、あの事故が起きた日だったのです。
 

 

 

ここから、私に起きたことを
ブログに書いていきますね。



ああ〜!
とうとう書いていく日がきちゃった(笑)



All my relations!