みなさん、あけましておめでとうございます。
梅干し卸ろさして頂いてる銘酒の裕多加さん宅での年越しは、おせちも美味しい、日本酒美味すぎ、家族賑やかで超楽しかったです。
今日は、大学生後半の研究生活を振り返りたいと思います。
前回書いたように、研究室に入る以前の僕は目標も何も持たず、何にもやる気を出さないパンダ生活を送っていました。🐼
3年生後期の研究室への配属の日、
まずは研究テーマ決めから始まりました。
じゃんけんで順番を決めることになり、決まった僕の順番は7人中6番目。
特に選択権はなくテーマは
「新規がん治療薬の開発」
血管特有の遺伝子発現を抑制しがん部位の微小環境を改善して、その後に投与する薬を届けやすくする。って感じのテーマです。
「へぇー、そんなことできるんだ」
くらいの感想でした笑
研究室に入ったころの僕の印象は先輩からすると、
「やる気もなさそうだし、すぐ帰りたそうにするし、やばいやつ来たな」って印象だったらしいです。
実際そのとおりで
入って早々遅刻はするし、研究に対して熱意も持ってはいませんでした。
でも、入って一か月くらい経ち、次第に研究に惹かれていきました。
それまでやっていた勉強や学生実験とは異なり
「正解がない最先端の実験をしてるんだ」
って実感が持てたからだと思います。
それからは、自分が扱っているテーマの世界での研究成果のことが気になり、ひたすら研究論文を読み漁りました。
そして、どんどん研究にのめりこんでいきました。
家に帰っても四六時中、研究テーマのことを頭で考え、休みの日も毎週のように研究をしていました。
自分が建てた仮説を検証するのが楽しくて気が狂ったように研究してました。
翌日に重要な実験があるときは、実験結果が気になってワクワクして眠れない、なんて日もよくありました。
100nmサイズのナノ粒子を無限に作っていました。これがその溶液。
摘出したがん組織の画像。緑が血管。青ががん細胞の核。
ただ、実験結果の9割くらいは、自分が想定している結果とは異なり、失敗ばかりでした。
やるせなさが残り、ふてく寝して、また次の日から実験するっていうサイクルを永遠と繰り返してました。
それは結果としても現れて、
ファースト論文2報とその他3報、学会でも賞を頂き、
大学内でも他にいないんじゃないかなーくらいの結果を残すことが出来ました。(助教の先生のおかげはめちゃくちゃありますが)
この時、自分が没頭できたのは
・研究は一人でもできるから仲間がいなくても1人で突き進めたこと。
・ライバルが同じ研究室ではなく同じテーマをしている人を設定していたこと。
(ハーバード大学の教授でJainという人がライバルでした。)
・助教の先生が自分と同じ熱量を持っていて、ディスカッションが楽しかったこと。
という要因が揃っていたからだと思います。
ただ、自分なりに成果が出てきて、真剣に次のステップを考え始めたときにふと思いました。
「新薬ができる気配がない。」
大学は原因の解明のところに重きを置いてるからしょうがないのかな?もうすぐ卒業だしという風に納得していました。
でも、製薬会社に就職した先輩方にお話を聞いても、
会社は仕事が縦割りだから「新薬開発に携わっている実感はあまりない」とのことでした。
「え、じゃあ何のために仕事すればいいんだろう」というのが僕の本音でした。
自分の成長が感じ取れてる頃はいいと思います。ただ、ある程度成長できた時に大きな目標に自分の今してることが繋がってる感覚がないと僕はやる気は出ませんでした。
研究は確かに楽しかったんですが、それ以上に辛いことも沢山あったからです。
そして、研究を仕事として生きていく事に興味が無くなってしまいました。
(製薬会社の仕事を貶してるわけではなく、僕の性格に合わないって意味です)
でも、その時の僕は
薬学部生だし製薬会社に就職するという固定観念に捉われていて
製薬会社に入る事しか考えられていませんでした。
そんな時、他学部の友達が
「ニュージーランドへワーキングホリデー行く!」
という話を聞きました。
僕は、働き出したら楽しくないだろうからその前に遊びたい!という気持ちでその話に飛びつき、自分もニュージーランドへ行くことにしました。
「ワーホリじゃなく、海外の研究室に留学すれば?」教授や助教には言われましたが
「勉強はしたくない、遊びたい。」という気持ちが固くなで結局ワーホリビザを取得しました。
ということで次は海外生活を振り返ります。
研究のお陰で、
論理的な思考
仮説を立てる力
失敗してもめげない心
を手に入れました。


