高校の卒業式の後は、クラスメイトみんなで近所の焼肉屋に行った。

その後、半分ぐらいカラオケに行った。
ここで人生を1/4くらい変える出来事を起こしてしまう。

深夜まで営業しているカラオケ店は、
隣町に1店舗しかなかった。
そのカラオケ店には市内の色んな高校から卒業式を終えた打ち上げ高校生が集まっていた。

顔の広い植田と一緒に遊んでいた俺は、
いつの間にか顔が広くなっていて、
市内外関わらず同級生の知り合いが多かった。

そいつらのほぼ全員が、そのカラオケ店に居た。
嬉しくなった俺は、彼らの居る部屋へ突撃訪問を繰り返した。

挨拶がわりに持ち歌をダンスを交えて一曲歌った。
拍手を浴びながら、また別の部屋に突撃訪問して、一曲歌う。と言った具合である。

卒業という解放感と夜遊びの高揚感でテンションはマックスだった。

気分が最高潮に達して、その場に居た友達とデュエットしようかと言っていたら。。。

『ごこにおったんがぁぁああぁあ!!💢』
(訳)ここにいたのか。

植田が見たことの無い鬼の形相で部屋に乗り込んできた。
俺は首根っこを掴まれて、店の外まで引きづり出された。

開口一番
「お前空気読めや!!!知らんヤツの歌なんて聞きたくないって、こっちにクレーム入っとんじゃ!!お前オンチなんじゃ、ボケが!!!」

、、、確かに、別れを惜しんで楽しく集まってるに、ハイテンションの知らん汗臭いヤツの
下手くそな歌を聴かされるなんて、そりゃ嫌だわ。

俺は反省をして、
その後は自分のクラスの部屋で大人しくしていた。

ってか、
【空気を読む、、、】って何だ?
と思った。
そんな言葉を今まで聞いたことが無かったし、
空気なんて吸って吐くだけで、
【読む】なんて気にしたことも無かった。

自分の言動で突然、空気が凍りついたり、
誰かが怒っていたり、
仲の良かったヤツが急に離れていった事があるけど、それは空気が読めていなかった為だなあ、、、
と、子供の頃からの疑問が、この時に
点と点が繋がって線になった。

※ちなみにKY(空気読めない)が流行語大賞になったのは、それから5年後ぐらい後の事である。

この出来事のお陰で大学4年間と、その後の人生は
『空気を読むとは何か?』を考える期間となった。

大学の話は、また別の機会にしようと思う。

あれから大体20年が経った。

はたして、今の俺は空気が読めているのだろうか?

結論から言えば、
空気を読む事をしなくなった。

その分だけ、
困っている人がいないか気を配ったり、
輪に入れていない人が居たら、話を振ったり、
他人が嫌な思いをしないように言動には気をつけている。

大学生の間に【空気を読む】を言い換えれば
【自分の衝動は我慢して、言動を周りに合わせる。】
に近いことだと悟った。

友達は多い方がいい。
でも、自分を偽って無理矢理作る友達はいなくても良い、と思う。

ありのままの自分を好きになってくれる人が1人か2人居れば、人生は充分すぎるほどに豊かだ、ということ。

そして、そんな友人が居ても居なくても、
自分が自分を好きだと思える生き方こそが、何よりも幸せだと思う。

誰かの人生にとっては脇役だとしても、
この小説や私の人生では
私は主人公である。

これからも、私らしく生きていきたいと思ったところで、
この話は、一旦これで結びになります。

素人が書いた長文、駄文を読んでくださり、誠に有難うございます。