結婚して10年が経ちました。

【増えたもの】
▪️家族
▪️住宅ローン
▪️体重
▪️料理のレパートリー
▪️ガジュマルの体積
▪️走れる距離
▪️電子ドラム
▪️自由な時間

【減ったもの】
▪️元気な毛根
▪️たばこの本数(というか辞めた)
▪️外に飲みに行く回数





10年前、、、
妻の実家に妻を迎えに行き、市役所に寄って婚姻届を出して、そのまま新居に引っ越した。

その時に実家から持ってきた卓上サイズだったガジュマルは、3度の植え替えを経て、今では机の上どころか、家の中にも置けないサイズにまで成長した。夏には青々と葉っぱを茂らすので、妻が「シゲルくん」と名付けた。

妊娠が分かってから、産婦人科へは毎回付き添った。
エコー写真を見るのが楽しみだった。
最後のほうにこっちを向いてくれてた写真があって今でも大事に持っている。

結婚式は厳島神社で挙げた。
夏は暑く、冬は寒いので、春と秋がちょうどよく人気だが、
そのため、9月とか10月の土日は仏滅でも予約が困難だった。
なので、水曜日に結婚式をした。
平日ど真ん中なので、友人は呼ばずに親族だけで挙げた。

その代わり、友人たちを招いてパーティーをした。
打ち合わせのときに俺が、
「芸能人呼んだらウケるんじゃね?」と冗談半分で言ったら、
妻が『いいねー!!エスパー伊藤とかちょうど良くない?
ボストンバッグから出てきてもらおうよ!』とトントン拍子で話が進み、結婚式当日には本当にボストンバッグからエスパー伊藤が登場して、逆立ちしながら鼻からお茶を飲んだり、ゴム手袋を頭から被ったり、それを鼻息だけで膨らませて割っていた。

エコー写真がこっちを向いていた娘は無事に生まれた。結婚するときに『笑いの絶えない家庭にしよう』と言ったから、名前には【笑】の文字をいれた。

それから4年後、
生まれ育った広島から、縁もゆかりもない埼玉に異動になったときには「あなただけ行ってもらえないか?私には仕事も友人も埼玉で見つけられるか不安だ。娘も抽選の結果、希望の保育園に入れて、ようやく友達もできたのに、行きたくない」と家庭崩壊の危機を迎えたこともあった。

逆にそれからは、仕事中心ではなく、家族に軸足を置いて、日々を過ごす事にした。

妻もなんとか埼玉で仕事が決まり、
娘も保育園の友達もたくさん出来た。

私は地域限定社員になることにした。
出世コースから外れ、裏方仕事に回る事になるけど、もう引越しすることは無い。

広島に戻ることは無い。
そして、埼玉県に家を買った。
家を選んでいるときに、広島で出会った人の事を思い出していた。


広島で築き上げた仕事関係の人たちには「必ず広島に帰ってきてください!」
と言われていたし、
行きつけの居酒屋の店長や飲み仲間からは「生まれ育った故郷を捨てるんかぁ?お前のボトルずっと取っとくけぇーの!はよ戻ってきんさい!」
のと言われて涙が出た。

大学時代の友人と徹夜で飲んで、騒いで、カラオケに行って、、、
もうそんな事も気軽に出来なくなるんだ。と悲しくなった。

両親も高齢だ。兄弟もみんな県外に住んでいる。
心配だ。
父親にそれを話したら、

「お前が生まれるずっと前から、ワシらは夫婦でやっている。それに今だってお前が同居してる訳じゃないんだから、広島だろうが埼玉だろうが変わらない。お前はお前と家族の人生を最優先に考えなさい」と言われた。

そして、吹っ切れた。

ふと、我に還って考えてみると、、、

広島の仕事関係の人たちは異動やら退職したりして、もうほとんどの人が変わってしまっているらしい。
今、広島に戻ったところで、埼玉でやっている仕事内容とほとんど変わらないだろう。

学生時代の友人たちも、みんな結婚をして、子育て真っ最中だ。昔のようにその日の気分で徹夜で飲みに行くなんて出来ないだろうし、なんなら計画をしっかり立てて、昼間に子ども達を連れてバーベキューや公園で遊んでいるほうが絶対楽しい!!

行きつけの居酒屋も店長が変わったとSNSで知った。他の常連たちもそれぞれにお気に入りの店を見つけて飲み歩いていたり、釣りやゴルフや起業をしたりわ薬研堀周辺にはご無沙汰のようだ。

よく分からない意地を張って、
無理やり広島に帰ったとしても、
以前のような生活には戻れないのは、
IQが50しかない俺でも分かる。

楽しかった広島の思い出にしがみつくのを辞めた。

嫁と娘は内見に来た家の中を見て、
「ここにソファーを置いて」
「ここにシゲル君を置いて、、、」
「2階の奥の部屋は子供部屋にして、、、」

と未来の話をしていた。

この家を買うことに決めた。

この地域に永住するとなると、近くに何があるか興味が湧いてきた。

朝早く起きて、ランニングでいろんな所へ行った。
電車では絶対に行くことのない裏路地や、
駅から離れたスーパーにも行ってみた。
南は皇居、北は大宮。彩湖を一周してみたり、
横浜駅から江ノ島まで走ったこともある。

気がつけば20kmなら止まらずに走れるようになっていた。

20代の頃に
「タバコ1箱1000円になっても、俺は吸い続けるぜ」
とドヤ顔で語っていたが、

禁煙するとマラソンのタイムがメキメキと伸びた。
タバコを吸わずに2年経つが、喫煙欲求に支配されることは、今の所、無い。


ちょうどランニングを始めた頃はコロナ禍で居酒屋はどこも営業していない。
独身時代は毎日のように居酒屋へ行き、揚げたての唐揚げや焼き鳥に舌鼓を打っていた。
結婚してから回数は減ったが、それでも1ヶ月に一回ぐらいは唐揚げを食べないと禁断症状が起きる。

コロナ禍の真っ最中の時は
「スーパーに行く時は混み合う時間は避けて、買う物を決めて短時間で買い物をしましょう。」
なんて言われてる時だった。

事前に食べたい物を決めて、それに必要な食材を買うようにしていた。

どーせ家で作るなら、自分の好きな料理を作りたい。
となると、大好きな鶏の唐揚げ一択だった。

揚げたての唐揚げは下手くそが作ってもそれなりに美味い。
毎週末、キッチンでハイボールを飲みながら唐揚げを作り、食べていた。

そこから料理が楽しくなって、
圧力鍋で煮込み料理や天ぷら、パスタや餃子とか肉まんとかの点心、そして最近では魚を3枚に卸せるようになったので、刺身とか和食を作るのが楽しい。
盛り付けのセンスが欲しいので、いつかは生花を習いたいなぁ。とか思っている。

学生の頃は、
スピーカーに脚をかけて、ギターをキュインキュイン鳴らしてみたり、長い前髪を垂らしタバコを咥えながらクールにベースを弾いてみたり、
ムキムキな上半身を露出させて、汗を飛び散らせながら、情熱的にドラムでリズムを刻んでみたり、5オクターブの美声を操り、観客全員の心を鷲掴みにしたり、、、

そんなバンド活動に憧れていた。
でも、1ミリたりとも弾くことはできない。

もちろんギターやドラムに触ったことはあるが、
脳内のイメージと自分のスキルのギャップにやられて、10秒後にはやる気を無くしていた。

それでも、運転中や駅のホーム、、、
路地裏の窓、旅先の店、明け方の街、桜木町で

音楽を聴いている時はリズムを刻んでいた。
それは結婚をしても、娘が生まれても続けていた。

そんなある日、友人に誘われて
ドラムの叩けるBARに行った。
ダメ元で叩いてみると、ちょっとだけ叩けるようになっていた。

それから、ドラム用のバチを買って、気が向いたら時は楽器屋の練習室やゲームセンターで練習をした。

でも、住んでいるのはマンションだし、仕事や家事や育児が忙しくて、ドラムを練習する時間も無いし、お小遣い制の俺にはドラムを買うなんて、到底無理だと思っていた。

時はたち、10年後。
状況は変わった。

賃貸マンション→持ち家一軒家

小遣い制→ローンと光熱費、生活費を除いて、あとは使い道自由。
(ただし、1万円以上の買い物をする時は報告をする。)

そして、今年は結婚10年目である。
昭和の頃ではスイート10ダイヤモンドを贈る習わしがあったらしいが、

今は令和である。
男女平等なのである。
(少なくとも我が家では家事も育児もほとんど分担である)(嫁も働いているがいくら稼いでいるか、いくら貯金があるか知らないし、向こうも多分そうだ)

妻が、10万円欲しい、
と言ったので、
俺も10万欲しいと言ってみた。

そしたら、5万円で良い。と言ったので、
俺も5万円渡した。


妻は自分の貯金と、この5万円を足して欲しいモノができた時に買うそうだ。

俺は念願の電子ドラムを買った。




今のところ、披露する場所もスキルも無いが、ボチボチ練習し続けようと思う。