釣り三昧の日々、
私に釣りを教え、
連れ回してくれた先輩たちには
感謝しかない。
いつも連れ回してくれた人が、
今では教授だし、
もう1人は
当時、赤プリのコックだった。
伊勢海老は、
このコックが
きれいな尾頭付きの刺身にしてくれた。
教授にせよ、コックにせよ
若いうちから進路を決めてないと
できないこと。
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いっぽうの私は、
TVドラマに影響されてばかりだった。
ドラマの影響で外交官になりたくなり
法科で有名な大学の附属高校に入った
高校では
外交官になるため必死になるかと思いきや、
当時のドラマの影響で
大学では教育学を専攻した
大学では
先生になるため必死になるかと思いきや、
サークル活動に没頭し、
自転車で日本中を野宿し走りまわった。
北海道を40日ほど走り回り
東京から九州まで走ったりしたけれど、
丹沢、奥多摩、奥武蔵、秩父、上州、
そして特に、信州の
透き通った晩秋が好きだった。
登山道から先は自転車を担いで山に登り
乗って下った
南斜面で見つけた
落ち葉の積もる日向
暖かくて透き通った光を浴びて
ポカポカしながら
気持ちよく昼寝できた
至福のひとときだった
北風が梢を鳴らす音は寂しいけれど
真っ青な空に輝く太陽は
温もりを与えてくれた。
自然に溶け込んで
一緒に生きていることを楽しんでいた。
雲のように流れること、
家、家族、財を持たず
何にも囚われない自由な生き方がしたいと
学生時代には思っていた。
でも、同級生たちのように
明確な職業は見えてなかった。
とは言え、
物作りの職人にひかれた。
職人との接点で思い出すのは、
完全オーダーで
自転車のフレームを手作りしている先輩の家に
足しげく通い、
泊まり込みで作業を手伝ったりしたこと。
そのように稀有なご縁をいただきながらも
将来これをしたいという
明確な職業を持ってなかった。
1年間停学し
自転車で世界一周する夢は、
親の頑とした反対で実現せず
就職することになった。
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入社したのはいいけれど、
たった10ヶ月で辞職してしまい、
バイトしながら遊び呆けた半年間、
「再就職前にとことん遊ぼう!楽しもう!」
それをやり尽くした日々だった。
そんなある日、
忘れもしない24才の8月
内房で釣りをしていた夕暮れ、
心を大きくゆさぶる光景を見つめていた。
それが人生を考える転機となり、
異次元の世界へ導くことになろうとは
予想もしなかった、、、
つづく