エホバの証人だった時、巡回監督達は話が上手(口が上手い)だよね〜って感心してましたけど、巡回訪問終わるとほぼ覚えておりません。

食事招待が忙しかったなぁとか。巡回妻は口うるさかったなぁとか。そんな思い出ばっかり😩

大会中の経験談は、いかに上手にバプテスマに導いたかの立派な自慢話ばかりなので、誰一人バプテスマに導いた事のない私には、自己嫌悪の海に飲み込まれる意気消沈の時間となるのでした。

そして大会の帰路、「開拓者降りようかなぁ」と言う消極的な気持ちが逡巡するのでした。

そんな時には、私は気持ちを奮い起こすべく2005年エホバの証人の年鑑のアイスランドのランダル兄弟の経験を思い起こすのでした。

そのページの囲み記事にはこうあります。

『1942年9月6日:「この国で奉仕しているのはいまだに一人の開拓者だけで、報告することはあまりありません。アイスランドの人口は約12万人で、6000ほどの農場があります。それらの農場へ行くには乗用と荷物用のポニーを使う以外に方法はありません。すべての家を訪問するには1万5000キロ以上も旅しなければならず、多くの山や谷川があります。音信に関心を持つ人は今のところほんのわずかです。」

 ギオルク.F.リンダルによるこの言葉は、兄弟がアイスランドで13年も開拓奉仕を行なった後につづられたものです。リンダル兄弟はその後も5年間、アイスランドでただ一人の奉仕者でした』

リンダル兄弟がさぁ、ポニーちゃんを連れて雪原をトボトボとたった一人で歩いてる姿を想像するわけよ。家の人からはけして好意的に応待してくれるわけでもない。けんもほろろに追い返されてるかもしれない。それをたった一人で18年も続けたの。

そんな姿を想像したら胸が熱くなって来てね〜自分なんか過酷な環境でもなく、たった一人で歩いてるわけでもない。なに甘えとるんじゃ!って自分に喝を入れて頑張ろうと思い直すわけよ。

リンダル兄弟は1953年にカナダに戻り、その16年後に地上の歩みを終えたと記されています。地上の歩みを終えたと言う表現はエホ証的に、彼は天に行く者の一人認定をしていると言う事になります。

でもさ〜18年極寒の地でたった一人で奉仕させて、帰って来てからの日々ベテルに住まわせ亡くなるまでその労に報いるなんて事はしないわけだね。

年鑑にも載せたし天に行く人認定したからいいでしょてな感じ。

やっぱり誠意の無い所だね。

あの場所は😮‍💨