エルサレムの滅びが西暦前607年であるとエホバの証人は主張して来ました。

それは今日でも変わっていません。

彼らはそれが真理であると断言します。

しかし、かつて統治体の一員であったレイモンドフランズ氏は彼の著書「良心の危機」でこのように書いています。

37、38ぺージを要約してみます。

 

叔父のフランズ会長の要請により「聖書理解の助け」を書くにあたり、私に年代計算と言う項目が割り当てられた。

何ヶ月も調査を行い、西暦前607年を証明し歴史的に支持するような証拠を見つけようとしてかなりの時間と労力を費やした。

ところが西暦前607年を裏付けるものは何も見つからなかったのである。

歴史家達は口を揃えてその20年後の年代を示していた。

 

つまりエルサレムの滅びはエホバの証人が主張する西暦前607年ではなく、歴史的事実は西暦前587年だと言うのです。

そうなると西暦前607年のエルサレムの滅びからダニエル書4章の七つの時を経た1914年にイエスが天で王となり地への支配を開始されたと言うエホ証の言う絶対的真理も大嘘の偽りって事になってしまうんですよ。

そしてその事は、エホ証の出版している独自の聖書からも答えを見出す事ができます。

 

列王第二25-8、9

バビロンの王ネブカドネザル王の第19年であったがバビロンの王のしもべ、護衛の長ネブザラダンがエルサレムに来た。

そして彼はエホバの家と王の家とエルサレムのすべての家を焼いた。すべての大いなる者の家も火で焼いた。

 

この聖句はネブカドネザル王19年にエルサレムの滅びがあった事を示しています。

プトレマイオスの王名表に照らしてみると、この19年は西暦前586年又は587年になります。

※プトレマイオスの王名表とは古代の天文学者が日食等の天文現象の年代を記録するさいに参照した年代順の王の一覧。クラウディウス-プトレマイオスがこれを保有していたため、この名で呼ばれる(ウィキぺディアより)

 

ゼカリヤ7-1~7

この聖句は長いので要約します。

「王ダリウスの第4年、イスラエルの民は第5の月また第7の月にあなた方が断食を行なって泣き叫んだ時、しかもそれは70年に及んだ。」

第5の月とはネブカドネザルの護衛の長ネブザラダンがエルサレムと神殿を焼き払った事を意味します。(エルサレムの滅びを示す)

第7の月とはエルサレム崩壊後ユダヤ人の貧しい残りの者を世話するよう任命されたゲダリヤが殺された月の事です。

 

つまり、ダリウス王第4年は王名表によると西暦前518年であり、エルサレムの滅びはこの年から70年遡った年西暦前587年を示しているのです。

 

エルサレムの滅びは西暦前587年であり、エホバの証人だけが西暦前607年だと主張している。

絶対真理なんて言って、実際はどこから引っ張り出したかわからない年代から計算している。

それとも1914年から7つの時である2520年を逆算して割り出した年なのかもしれない。

結局は真っ赤な嘘を信じさせられて来たし、今も信じさせられてる。

私はね。

この絶対真理を鬼司会者から叩き込まれたので、エホバの組織に不信感を抱いたとしてもやめる事ができませんでした。

エホバの証人だけが真理を持っているんだと思わされて来ました。

こんなに簡単に絶対真理が覆されるなんてね。

なんだか虚しいです。

こんな聖句が思い浮かびました。

 

伝道の書2-11

そしてわたし自身、自分の手の行なったすべての業と、成し遂げようとして自ら骨折って働いたその骨折りを振り返ってみたが、見よ、すべてはむなしく、風を追うようなものであり、日の下には益となるものは何もなかった

 

こっちの方が真理