能登北陸地震の被害状況をニュースで見る度に、涙が出ます。
家族全員被害に遭われ一人残されたご主人。
大火傷を負っても入院できず、身を寄せた親戚の家で亡くなった5歳の坊や。
胸が締め付けられる。
毎日、悲しい悲しい悲しい。
気持ちが沈んでしょうがない。
せめてもと思い、町役場に出向いて寄付をして来ました。
ふと思ったのは、排斥された息子や娘が被災地に住んでいた場合、エホ証親は安否の気遣いをするのかと言う事でした。
普通の親なら、すぐに電話やメールを送って安否を気遣う所ですが、排斥された人には親子であっても声をかけてはならないと言う非情なルールがエホバの証人にはありますからね。
だから、被災地に住んでいる事がわかっていても知らんぷりなのかなと背筋が寒くなる思いがしました。
今から遡って、阪神淡路大地震が起きた時、うちの会衆からも援助に長老が1名現地に駆けつけました。
そこで知り合った一人の姉妹。
姉妹はバプテスマを受けていない娘さんを震災で亡くしていました。
長老兄弟が戻って来て言うことには、
「その姉妹は娘さんを失っても涙ひとつこぼさず、うちの娘は熱心じゃなかったからハルマゲドン前に亡くなって寧ろ良かったかもしれないって言ったんだよ〜」
って感心したように言っていたのを今でも思い出します。
私はこの時、現役で洗脳真っ盛りの時でしたが、何とも言えない違和感を感じていました。
だから長老の言葉をよく覚えているのです。
可愛い娘を失って動揺し悲しみに暮れるのが自然の姿だと思うのです。
そう言えば、エホバの証人の告別式も嘆き悲しむ事がないように言われていました。
なぜなら、亡くなった人は楽園で復活するんだから嘆き悲しむべき事では無いと。
それでもね、悲しいもんは悲しいんだよっ!
エホバの証人になると自然の情愛がどんどん失って行くように思える。
非常事態にあって、非情になるのはエホバの証人だけ。