16世紀から18世紀にわたるロシアの領土拡張による影響力と支配力の拡大は、より洗練された料理と調理技術をロシアへもたらした。燻製の肉や魚、ペーストリー料理、サラダや緑色野菜、チョコレート、アイスクリーム、ワインそして蒸留酒が外国から輸入されたのはこの時代を通じてだった。少なくとも都市貴族や地方の紳士階級にとってこうした状況は、伝統的なロシア料理とこれら新しい食材との創造的な統合へ向けた扉を開いた。結果として、極めて多様な調理技術や料理とそれらの組み合わせが生み出された。

エカチェリーナ2世の時代から有力者のほとんどは、美味で珍奇かつ独創的な料理を食卓へ給するため、海外の食材やカレームらフランス、オーストリア、ドイツ出身の料理人を家庭へと招き入れた。こうした傾向がもっとも顕著なのは、フランス料理に影響を受けたロシアの料理人により開発された刺激的で優美、そして高度に繊細、且つデカダン的なレパートリーにおいてである。このように、伝統的なロシア料理とみなされているものの中には、18世紀から19世紀におけるフランス系ロシア料理に由来するものが多い。たとえばビーフストロガノフやキエフ風コトレータなどもそうした料理である。

なお、当時のフランス料理は多くの種類の料理を一度に供するスタイルだったのに比べ、ロシアでは寒冷地であったため、料理が冷めないよう順次に皿を供するスタイルが発達した。これがフランスに逆輸入され、現在のコース料理の形式が成立したとされる。

参照:ウィキペディア「ロシア料理

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ロシア古来の農民料理は、ロシアの気候風土や素朴な農民文化を反映し、全体としては保存食を多用した煮込み料理や炙り焼き料理、スープが多いが、今日のロシア料理は多面的な側面を持っている。ロシア料理が豊穣かつ多様な性格をもつのは、ロシアそのものが帝国として広範かつ多様な文化を包含してきたからである。

ロシア料理の基礎は、しばしば極めて厳しくなる気候風土に暮らす農村住民のあいだから生まれた、農民の料理である。それは豊富に手元にあった魚、家禽、野生の鳥獣の肉(ジビエ)、キノコ、ベリーや蜂蜜を組み合わせたものだった。またライ麦、小麦、大麦、キビ等の穀物は、パン、パンケーキ、粥、クワス、ビールそしてヴォトカの原材料を提供した。風味豊かなスープやシチューは、旬の、あるいは貯蔵可能な食材、魚、そして肉を中心としたものである。冬が長く厳しいため、様々な野菜のピクルスや果物のジャムなど多くの保存食料が作り出された。ロシアの伝統的なオーブンには焜炉が無かったため、調理法はロースト、パン、鍋にふたをしてオーブンで加熱した煮込み料理など、オーブンを使った焼き物が主であり、この全き土着料理は、20世紀に至ってさえなおロシア人の大多数にとり主食であり続けた。

参照:ウィキペディア「ロシア料理
・スヴョークラ - テーブルビート
・キャビア - 「黒いイクラ」
・イクラ - 魚卵。日本でいうイクラは「赤いイクラ」、キャビアは「黒いイクラ」
・スメタナ - サワークリームの一種
・クヴァシェンナヤ・カプースタ - 乳酸発酵させたキャベツ。ザワークラウトと同じ。

参照:ウィキペディア「ロシア料理