合気道的健康法のすすめ | LOVE&PEACE(町医者のつぶやき)

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横浜で呼吸器科の開業医をしている打越暁です。2008年に開業し、現在楽しく診療中です。今までにない癒しのクリニックを作る、という夢に向かって邁進中です。世界が安心平和調和で満たされますように。

先日、合気道の三段に

昇段することができましたクラッカー


合気道は、僕の子供が生まれる

少し前から始めているので、

数えると12年くらいになります。

週1回程度の稽古ですが、

よくまあ、続いたものです。


運動はあまり好きじゃないし、

運動神経もよくないし、

中学校の剣道の時間は

退屈でしょうがなかった僕なのですが、

なぜか合気道とは相性があって、

いまだに続けているのです。


なぜ続いたのかを考えてみると、

合気道という武道がとても

フカイイ

からなのです。


何がフカイイか、ということは、

実はいまだにはっきり答えが

出ているわけではないのですが、

やればやるほど、

身体の微妙な使い方に気付けるようになり、

頭もすっきりする気がするし、

考え方が以前より自由になった気がするし、

何より楽しく、健康にいい気がするんです。


(僕の師匠の演武)


僕は医者ですからどうしても

健康ということをいつも考えます。

健康の定義はいろいろあると思いますが、

人という存在を、身体と心、

そしていのち(霊性、魂)

の3つからなるものと捉え、

そのそれぞれが健康である、

ということが重要な気がします。


身体の健康と言えば、

誰でもすぐにわかると思います。

病気をせずに、どこが痛い、どこがつらいといった

不快な症状がなければ、

まず健康と言えます。


心の健康といえば、これも何となくわかります。

あまり怒ったりイライラしたりせずに、

毎日にそれなりに充実して、

穏やかに日々を生活出来ていれば、

だいたい健康と言えます。


では、いのちの健康って何だろう。

実はここが、これからの時代とても重要な気がするのです。

スピリチュアルとか霊性の話って、

一見いかがわしいけれど、

これからはこの辺のところが

避けられない時代だと思えるのです。


では、どうしたらいのちや魂の健康って得られるのか。

そういった事をここ数年考え続けていますが、

正直まだはっきりしたものをつかめていません。

ただ、そのヒントが、

合気道の思想の中にあると

直感しています。


いのちの健康は、

目先の治療や、目先の健康法では、

おそらく得られないものです。

人の一生を俯瞰して、長いスパンでものをみる、

また、人の生死、

さらにその先のことまでも見据えた死生観が

必要です。

目に見えるものだけではなく、

目に見えないものを観る目が必要だと思います。



それにしても現代人は、健康や人生に対する見方を

いかにも視野狭くしてしまっているようです。

合気道は、そういった視野狭窄で

不自由になった心の状態から、

のびのびと解放してくれる可能性を秘めている、

と思うのです。



合気道が特に健康に良さそうだと気付いた

初めのきっかけはまず

「呼吸」です。

合気道のことを学んでいくと、

この武道は特に呼吸を重視する武道だ

ということが分かってきます。

たまたま呼吸器科医になったことも重なり、

呼吸と健康ということが僕にとって一つのテーマとなり、

これまで3冊ほど呼吸に関する本も出すことができました。

呼吸を変えれば元気で長生き (新書y)/洋泉社
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合気道の稽古や文献を通じて呼吸の重要性を認識し

また日々接している呼吸器の患者さんの経験を通じて、

あらためてその大切さを再認識した、というところです。

今でも呼吸法は、健康法の王道だと確信しています。


おのが呼吸の動きは、ことごとく天地万有と

連なっている。」(「合気神髄」より)


天や神様、サムシンググレート・・・

名前は何でもいいのですが、

何か大きなものとつながっているという感覚ほど、

人を安心させるものはありません。

呼吸は、単なるガス交換ではおさまらない、

何か大きな力を秘めているのです。



合気道の創始者は植芝盛平という方です。

合気道家の間では、翁先生とか大先生と呼ばれて、

とても尊敬されています。

合気道の稽古場の上座には、

必ず翁先生の写真が掲げられていて、

そこに皆で礼をしてから稽古が始まります。

知らない人が見ると一種の宗教かと

思われるかもしれません。

実際、植芝盛平は大本教という宗教に傾倒したり、

宗教家の五井昌久氏と親しかったり、

とても神がかった人だったようです。

当時の写真を拝見すると、

仙人のような、生き神様のような、

いずれにしろこの世の人とは思えない風貌です。

合気神髄―合気道開祖・植芝盛平語録/八幡書店
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翁先生の実際の言葉を集めた

「合気神髄」という本があります。

中身は、古事記に出てくる神様の名前や言霊の話など、

正直かなり難解あせるです。

ただ、はじめは何じゃこりゃ?という感じなのですが、

10年くらい付かず離れずこの本と接してくると、

何となくわかる部分も出てきます。

そして、最近やっと気が付いてきたことですが、

この「合気神髄」の中には、現代人の健康にとって、

とても含蓄のある言葉が溢れているのです。


盛平翁先生の言葉をはじめ、

著名な合気道家らの言葉を借りて、

なぜ、合気道が健康に良いのか、という点を、

いくつか挙げてみたいと思います。

特にこの点を考える上で、文筆家で合気道家の

内田樹さんの著書は、とても参考になりました。

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○「合気は、大いなるみそぎであり、

大いなる健康法であり、大いなる生成化育の道である

(「合気神髄」より)

こういう言葉をそのまま受け取ってみるといいと思う。

特に世の中に忽然と現れる名人、天才の言葉は、

さかしらな頭で理解しようとせずに、

そのまま受け止めてみる方がいい。

合気道の稽古をすると、何ともすがすがしい気分になる。

悪い気を追い出し、良い気を取り入れ、それを高めていく。

健康法の王道である。


○「真の武道に敵はない、

真の武道とは愛のはたらきである」(「合気神髄」より)

多くのスポーツ、武道、格闘技は皆、

相手を倒すこと、相手に勝つことを目的とする。

合気道は、戦わない。というよりも敵を想定しない。

だから無敵。この点は内田樹氏の著作に詳しい。

他人という敵、病という敵、敵、敵、敵…

自我の肥大した現代人にとって、

何と敵が多いことだろう。


○「真の合気道は、相手を倒すだけではなく、

その相対するところの精神を、

相手自らなくすようになさなければならない。」

(「合気神髄」より)

上に同じ。相手を攻撃し、エネルギーを奪い合うのではなく、

お互いの気がつながり、そのエネルギーを

より大きな動きに転換する。

そのことが、稽古をするとはっきり実感する。

人間同士が、汚い言葉や意地悪な行動で、

エネルギーの奪い合いをするのではなく、

いい言葉と笑顔で、いいつながりを作る時、

そこには必ず良いエネルギーが生まれ、

人は元気になるはず。


○「この時はこうじゃ、この時はこうじゃ

(「響きと結び」より)

植芝盛平が稽古の時いつも発していたという言葉。

合気道では型稽古をする。

しかし、けして一つの形にとらわれない。

いつも相手によって技は変化する。

固い頭、固い身体、固い心では、

ことの変化に対応できない。

柔らかく、こだわらず、ぶつからず、

川の流れのように人生を歩んでいきたい。

人生では様々な失敗やつまづきがある。

その時々に、こう来たらこうしよう

ああ来たらああしよう、

と自然体で臨めたらいい。なるがまま、あるがまま。


○「至りたる人の心は卒度も物にとどまらぬ事なり

(「響きと結び」より)

武道では居着く(心が対象にとらわれている)状態が

最も弱い状態である。

悩んだり心配したりしているとき、

人の心は、過去や未来のある事象に居着いている。

人はいつも、過去を後悔したり

未来を予測して不安になってばかり。

健康にとって、取り越し苦労と持ち越し苦労ほど、

悪性度の高いものはない。


○「私は稽古の中で、捨てろ、捨てろ、とよく言います。

何を捨てるか-自分を捨てるのです。」

(「響きと結び」より)

初心者ほど、力を入れようとする。

強く投げようとか、効かしてやろうとするほど、

意外なほど技は効かない。

おのれの我が、エネルギーの流れを阻害する。

放てば充てり。

病気になるまい、病気にかかるまいと

必死に健康にしがみつくその心は、

時に人を病気にしていく。

これは代替療法の帯津良一氏も言っている。

がん治療には、絶対に負けないぞ、という精神と、

いつ負けたとしても悔いはないぞ、

という精神のバランスが必要だ、と。


○「稽古は常に愉快に実施することを要す

(「修行論」より)

相手を威圧したり痛い目に合わせようとする

気持ちがあると、愉快にはできない。

多くの格闘技などは、相手の力を弱め、

相手に打ち勝つことを目的とする。

合気道は優劣や強弱を争うものではない。

だから愉快に、楽しく行うべきもの。

そして稽古は、いつも現実の場に生かされる。

人生の、生の現場は、常に愉快であるべき。


○「人の技を批判してもうまくならない」(「修行論)より)

内田樹氏が師匠の多田師範に教わった言葉。

人の技をいくら批判しても、

自分の技の向上にはつながらない。

相手の減点するという発想は、

その人が架空の100点満点があると想定しているから。

つまり自分の度量系に居着いている。

そういう人は武道の向上は望めない。

今世の中はとても他罰的で、

人への批判や攻撃で溢れている。

自らを向上させず、相手を下げて行く発想。

でも人の批判をしても自分の人生は向上しない、

ということを気付くべき。


○「万人と稽古すれば、名人になれる

(「響きと結び」より)

クリニックを開業後、来院患者さんが9000人近くになる。

診療は合気道だと思う。毎日が修行。

人は本当に個性的だ。

たくさん接し、たくさん学ぶ。

万人の稽古で、きっと見えてくるものがあるだろう。

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○「これからは世界が一つに

和合していかなければなりません。」(「合気神髄」より)





誰もが合気道をはじめるのは難しいでしょう。

相性もあります。縁もあります。

でも、合気道的に生きることは

誰もが可能だと思います。

武道というとその技術の上達、向上ばかりに

目が行きがちですが、

合気道の精神的な面やスピリチュアルな面を

あまり怖がらずに素直に受け止めてみてはどうでしょう。


合気道的な健康法や人生観が

現代人の閉塞した気分の解放に、

きっとつながると思います。


今回少しふれたところは、

まだまだ未熟な合気道人の僕には

確信には至っていません。

これからも探求し続けて、

あと何年かして、

何かしっかりしたものが掴めたら、

1冊、本でも書いてみたいと思っています。




あぁ~それにしても

合気道のことをコトバにするのは

難しいなぁ。

恐れ入ります。