有る無し | LOVE&PEACE(町医者のつぶやき)

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横浜で呼吸器科の開業医をしている打越暁です。2008年に開業し、現在楽しく診療中です。今までにない癒しのクリニックを作る、という夢に向かって邁進中です。世界が安心平和調和で満たされますように。

週1回土曜日の夜は、


合気道の稽古をしています。


今は稽古場が車で1時間以上かかるところですが、


開業してからもほとんど欠かさず出席しています。



稽古をすると、何だかいい気が回るのか、


血の巡りが良くなるからか、


1週間の調子がずいぶん違います。


最初はかなりいい加減な気持ちで始めましたが、


やればやるほど面白く、その奥深さにのめり込んでいます。


もはや、ライフスタイルに欠かせない存在です。




さて徐々に、昇段審査が近づいてきました。


今は初段なので、今度は二段です。


初段までの道のりも長かったですが、


初段から1段上がるのは、さらに大変です。


審査は、決められた型を、居並ぶ先生方の前で披露するのですが、


正確さ、安定さ、美しさ・・・いろいろなことが求められます。


披露する技(体術、剣、杖)の数も多く、


覚えるだけでも大変です。


審査前は、毎回学生時代の試験前に感じた


あの嫌な感覚叫びにおちいります。



昨日は、主に今回の審査に入っている、


剣(木刀)や杖(長い棒)の型稽古をしました。




剣や杖は、普段使い慣れていないために、


なかなか手に馴染みません。


以前に、先生から、剣は毎日振りなさい、と指導されました。


普段振っている人とそうでない人では、


見る人が見ると、明らかに違うそうです。


振りなれている人は、


あたかもそれがないかのように手にぴったりとはまり、


腰もしっかり安定して、振った後がブレません。


僕は、高段者の方のような振りが出来ません。


まだまだ修行が足りません。




先日読んだ、


内田樹(たつる)さんの「疲れすぎて眠れぬ夜の為に」(角川文庫)のなかに、


合気道で、なぜこのような剣、杖などの稽古を重視するか、


についての考察が書かれていました。


ちなみに、この方は、神戸女学院大学の教授で、


身体論などの評論を多く著し、


ご自身も合気道を、多田師範という、伝説の合気道家のもとで、


稽古を積まれている方です。



「ぼくは今杖や剣をつかう身体運用の稽古もしているのですが、


その形をやっていてぼんやりと思うのは、杖や剣を、


あたかもそんなものを自分も相手も持っていないかのように


身体をつかわせるために形があるのではないか、ということです。」


そして、


「人間の体の動きをわざと不自由にさせるような


ネガティブな条件付けをするのは、


そのような条件付けを「ぜんぜん気にしない」ような


心身の状態を作り出すため の教育的な布石ではないか」


と述べています。



これを読んで、なるほど、と腑に落ちました。



あらゆる芸道や職人技において、


達人といわれる人は、どんな道具を持っても、


それを持っているということを忘れさせます。


相当の鍛錬によって、


そのネガティブな条件づけを、


逆に利用して、


鍛錬と創意工夫によって、


「ぜんぜん気にしない」境地まで高めているのです



道具(条件)を忘れ、


身体(我)を忘れる。


武道に限らず、あらゆることに通じること





これからも合気道から学ぶことは多そうです。