「マイ・プライベート・アイダホ」とその思い出。 | キネマの天地 ~映画雑食主義~

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(ほぼ)一日一本のペースで映画の感想を書いてます。

マイ・プライベート・アイダホ デジタルリマスター版2枚組【初回限定生産 メモリアル・フォト集付.../キアヌ・リーヴス,リヴァー・フェニックス,ジェームス・ルッソ
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内容:リヴァー・フェニックスとキアヌ・リーヴスが共演した青春ロードムービーのデジタルリマスター版。男に体を売って暮らす少年・マイクは、ある日男娼仲間のスコットと共に母親探しの旅に出発する。(Amazonより)


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はい!今週のリヴァー・フェニックス 枠は、1991年製作「マイ・プライベート・アイダホ」です!

監督はもちろんガス・ヴァン・サント ね♪(°∀°)b






マイク(リバー・フェニックス)は筋金入りのストリート・キッド。父親を知らず12歳のとき母親にも捨てられ、故郷のアイダホを離れポートランドに移り住んだ。街角に立ち、体を売って日銭をかせぐ。そして緊張すると睡眠発作を起こし、昏睡状態に陥るという、重症のナルコレプシー病でもあった。そして売春仲間のスコット(キアヌ・リーブス)は、彼と正反対の生い立ちの美少年。ポートランド市長の父を持ち何不自由なく育ったが、家庭の温かさを知らず、3年前に家を飛び出して男娼をして生きていた・・・(goo映画より)





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1994年。

カート・コバーンが自殺し、わずか8か月前に国民の期待を一身に受けて就任したばかりの

細川護熙総理が突如辞任を表明したその年の4月、父が突然入院した。


 病名は「劇症B型肝炎」。のちに知ることになるのだが、それは発症者の約70%が死に至るという

かなり深刻な病気であり、しかも父は相当に病状が進行していて予断を許さない状況だったらしい。

しかしその時は病名を教えられただけで、当時高校3年生だった私にはそれがどんな病気かなど

知る由も無かった。

「とりあえず入院に必要なものはこちらですでに手配したから、君はすぐ病院に向かいなさい」

病院に連れ添ってくれた父の同僚からの報せを学校の休み時間に受けた私は、

担任にその旨を伝えると、荷物をまとめ足早に駅へと向かった。



 青天の霹靂とはこの事だった。中学三年生の頃から父と二人で暮らしていた私は、

父がそのような病に犯されているなど、電話を受けるその時まで全く気付いていなかったのだ。

・・・いや、「気付こうとしなかった」と言った方が正しいだろう。二人暮らしを始めた当初から

父と折り合いが悪かった私は、“彼”が仕事から帰宅すれば自室にこもり、朝は“彼”が

出勤してから起き出すという「家庭内別居」を続けていた。“彼”と同じ部屋にいるだけで

苦痛だったし、どこぞの非行少年のように衝突することすら煩わしかった。もちろんまだ学生だった

私には生活する上で保護者が必要だったし、毎日の昼食代や通学の交通費、毎月の小遣い等を

貰うためには“彼”と顔を合わせる必要があったのだが、それも極力最小限で済むよう

努めていた。顔を合わせれば最近の成績はどうだ、なんだかタバコ臭いぞ、たまには居間の

掃除ぐらいしろなどとあれこれ言われるのが常だったし、何よりそのコミュニケーションこそが

最大の苦痛だったからだ。当時の私にとって最大の願いは、一刻も早く高校を卒業し、

大学に進学するなりどこかで働くなり、理由は何でもいいからとにかくこの息苦しい家を出て

一人で自由に暮らす事だったのだ。




 教えられた病院に着き、既に入院準備を終え病室にいた“彼”の顔を見た時、私は思わず

息を呑んだ。

久方ぶりに真正面からまじまじと見た“彼”の顔は、肝炎の典型的な症状である黄疸により、

健康な人間のそれとは違うと一目でわかるほど明らかに真黄色だったのだ。

いくら極力顔を合わせないようにしていたとはいえ、所詮狭い家の中での事だ。トイレに行く時、

飲み物を取りに行く時、どうしても見たい番組があった時(テレビは居間にしか無かった)。

どう頑張っても一日数回は顔を合わせることを避けられない。にもかかわらず私は

これまでの数週間、それほどまでの“彼”の急激な変化に全く気付いていなかったのだ。



「おぅ、来たか。」



真黄色な顔で“彼”は言った。必要な物は全部会社の人が準備してくれた、こちらは

大丈夫だから家の方はちゃんとしろよ。これは一週間分の生活費だ、来週分はまた取りに来い。

“彼”はそう言って、一万円札を一枚差し出した。

「うん、わかった。」 短く答えて“彼”の顔もろくに見ずにそれを受け取ったが、この時ばかりは

“見たくなかった”のではない、“見られなかった”のだと思う。



 病室を出た私は、待合室にいた父の同僚に挨拶に向かった。入院の手配や私への連絡を

してくれたのもこの人であり、名前は知らないが何度かウチに来たこともあった為

顔だけは知っていたのだ。私は“家族代表”として礼を言った。明らかな黄疸にも気付かない

不肖の息子ではあったが、それぐらいの外面の良さは持ち合わせていたのだ。

 そしてその際に初めて、“彼”の詳しい病状を知った。当面入院して投薬治療を

続けることになるが、かなり長引く恐れがある事。それどころか「万が一の事態」もありえる事。

入院中の“彼”の身の回りの世話は看護婦さんと会社の方でやるから君は特に

何もしなくていいが、週に一回ぐらいはお見舞いに来る事・・・それら様々なことを

言い含められながら、しかし私の意識は既に別のところに飛んでいた。

・・・正直に言おう。私の頭の中は、これからしばらく続くであろう「“彼”のいない自由な生活」への

希望と歓びでいっぱいになっていたのだ。



「父親が死ぬかもしれないのに、なんて薄情な子供だ!」 そう思われて至極当然だが、

それが偽らざる本心だった。もちろん“彼”の死を望んでいたわけではない。まだ高校生の

私にとって、たとえどれほど煩わしくても、“彼”には生きていてもらわなければならなかったのだから。

 要するにこの当時の私には、まだ「“彼”の死」をリアルに想像することが出来なかったのだ。

父の同僚から病状を説明されても、「まぁしばらく入院してれば治るんだろう」という考えが

半ば確信的にあった。かつて共に暮らしていた家族の中でも、風邪やインフルエンザで

体調を崩すのは決まって兄や母であり、“彼”と私が寝込むことはついぞ無かった。

二人の兄は面立ちからして母似だったのに対し、三男である私の顔は明らかに“彼”に

似ており、不愉快な事ではあったが私が最も“彼”の血を多く受け継いでいるのは誰の目にも

明らかだった。だからこそ健康そのものだった私が自分の死を想像できなかったように、

“彼”の死も想像できなかったのだと思う。



 病院を出て帰宅した私は、その頃には既に学校も終わって帰宅しているはずの

友人S藤達に早速電話した。“彼”は当分帰ってこない、オレは自由だ!!

・・・それはまさしく私が夢見ていた日々だった。金は“彼”から毎週一万円貰えるし、3LDKの家には

私以外誰もいない。誰に気兼ねすることも無く、誰に咎められる事も無い。早速その夜から、

私はS藤ら悪友や“友達以上、恋人未満”のチアキちゃんをはじめとする女友達を毎夜のように

呼び集めては、ドンチャン騒ぎを繰り返すようになった。夜遅くまでギターを弾き、くだらない

冗談を言い合い、チアキちゃんを口説くのに全力を注いだ。更に「入院中の父の世話を

しなければならないから」と言えばいくらでも学校を休むことが出来ると気付いてからは

さらに拍車がかかった。学校ではなく近所のレンタルビデオ屋「Vレックス」へ向かうのが

日課となり、友人達が下校するまではひたすらビデオを見て過ごすようになったのだ。




 そしてその時に観たビデオの中で最も鮮明に覚えているのが、この「マイ・プライベート・

アイダホ」だった。ストレスを感じると昏睡してしまうという奇病に犯された青年マイクを

どこか危うさの漂うリヴァー・フェニックスが演じ、その親友であり市長の息子という
恵まれた立場にいながら率先して男娼に身をやつす美貌の青年スコットをキアヌ・リーヴスが

演じるこの映画は、ガス・ヴァン・サント監督によるどこか寓話性を感じさせる演出も

あいまって、私に強烈な印象を残したのだ。


 中でも特に気に入ったのがキアヌ・リーヴスだった。彼が演じるスコットは資産家である

父に対し強烈な反抗心を抱いており、あえて乱れた生活を送ることでそれを表現する傍ら、

父が死んだ時にはその財産を継ぎ「本来あるべき生活」に戻ろうというしたたかさと

強烈な自負も持ち合わせていたのだ。今はこんな生活をしているが今に見ていろ、

時が来たら俺の力を見せ付けてやる! 

・・・それは私自身の鬱屈した自意識に見事に重なった。父に反発し、しかし自分に

都合のいい部分は利用できるだけ利用し、優秀な親戚と比較して嘲笑う輩に対しては

「今に見ていろ」と敵愾心を燃やす。これはまさしく私自身じゃないか!

そんな風にして当時の私は暗い自尊心を満たした。映画の中でスコットは、最後に

華麗な変貌を遂げてみせる。ならば私にも出来るはずだ、それまでは精一杯好き放題させて

貰おうじゃないか。・・・こうして私は、連夜の狂騒を繰り返していった・・・



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 ・・・しかしそれから一ヵ月後、私の「夢に見た狂騒の日々」は突如として終わりを告げました。





 学校をサボり、前夜のドンチャン騒ぎでボーっとした頭を抱えたままなんとなく「笑っていいとも」を

見ていたその日の正午過ぎに、「ガチャガチャ」という鍵を廻す音と共に突如として

玄関の扉が開いたのです!!


ヤ、ヤバイッ!!!!Σ(~∀~||;)


・・・焦ったところでもはや間に合うはずもありません。連夜のドンチャン騒ぎで乱れに乱れた

リビングには無数の空き缶・空き瓶・ゴミの山が転がっており、いまさらどうあがいても

取り繕えるはずが無かったのです。

私は観念して、病状が回復し無事一時帰宅を許された父を出迎えることにしました。




「・・・お、おまえ・・・・!!(=◇=;)」



学校に行っていてそこにいるはずの無い息子の顔と、一ヶ月ぶりに帰宅した我が家の見るも無残な

惨状を目の当たりにした時の父の顔を、私は今でも忘れられません。

ついこの間までまで真黄色だった顔が、憤怒でみるみる真っ赤に染まっていきました。

今となっては「血色良くなったじゃん!(・∀・)」などと冗談のひとつでも飛ばしてやれば

良かったかと思わないでもありませんが、当時の私にはもちろんそんな余裕はありませんでした。

だって赤くなった父の顔が今度はみるみるうちに失望で蒼ざめていくんですもの。




「・・・ゴメン・・・すぐに片付けるから・・・(_ _。)」



それまでの生涯で最大級の謝罪の言葉を搾り出した私は、申し訳なさと惨めさに

打ちひしがれながら、無数に散らばったゴミを拾い集め始めたのでした・・・



*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..




・・・はい、以上題して『マイ・プライベート・アイダホ』とその思い出」

(副題:“My own private Idaho”and“My own private AHO”)でした。

皆さん引きましたか?・・・遠慮しなくていいですよ、私自身思い出しただけで自分で自分に

ドン引きしてますから~!ヽ(;´ω`)ノ  

いくら若気の至りとはいえほんっと申し訳ないし恥ずかしい! 父が治ったから

良かったものの、もし治ってなかったらゼッタイ私ロクでもない人生を送ったことでしょう、

その意味でもホント快復してくれた父には感謝感謝ですわ。。。(-"-;A

ちなみに父はその後再発する事もなく今でも元気にピンピンしており、私はチアキちゃんを

結局ものに出来なかったばかりか一緒にドンチャン騒ぎをしていた友人の一人にかっさらわれ、

自分がキアヌ・リーヴスではないことを思い知らされたのでした。

天罰ですね、ハイ。(・∀・)




ってワケで以上になりますが、「マイ・プライベート・アイダホ」は私とは関係なく

いい映画ですので念のため!Y(>_<、)Y (←)

ちなみにリヴァー特集は今回で最後になります、「恋のドッグファイト」「愛と呼ばれるもの」

「アメリカン・レガシー」も何でDVD化されてないねん!!(゙ `-´)/

・・・ったく、悔しいから来週からはキアヌ・リーヴス特集をお届けいたしますよっ、

これで引き続き女性読者の皆様のハートをガッチリキャッチだっ!!ヽ(゜▽、゜)ノ (←)


・・・以上、お粗末さまでした。。。<(_ _)>