Cueスポーツセンター広島を開いて10年が来る。ここをオープンする時、「こんな事、あんな事をしたい」と思いを馳せた事は一応すべてできた。前日のアマバンドの大会…全日本の大会が最後に残った夢だった。その夢も果たした。これで思い残す事もなくいつ止めても悔いはない!でも許せるものならオープンした頃、テレビ局の取材で言った事が果たせたら私にとってビリヤード人生ではこれ以上の幸せはない。それは…世界大会だ!ここの設備の中にTVカメラが置ける場所が作ってあり、TV中継されればなおさら幸せだ。

 以前、私がビリヤード場経営をするようになったきっかけを話した事がある。もう一度話すと…。

 私の亡くなった師匠が今から20年、いや25年ににはなるかな~、「ビリヤードは衰退していく」と話した。「のう水野、これから先 四ツ球やカードルを撞く人はいなくなる。残るのはスリークッションとポケットのナインボールくらいで、キャロムの技術の衰退とともに撞く人がいなくなっていく」。その時はそうかな、でもなぜ「その先」将来をそんな風に読めるのかは深く考えもしなかった。ただ四ツ球を撞く人、継承する人がいなくなるというような事を言ったのをしっかり覚えていた私がそこにいた。

 

でもその頃は映画「ハスラー」が上映され、ビリヤードブ―ムの真っ最中でもあり、どうかな?という思いもあったが、それからすぐに理解できる出来事がおこった。ポケットビリヤードが盛んになる裏でキャロムを撞く人が少なくなり、回転しないキャロム台はポケット台ようのレールに変えられビリヤード場からキャロム台は次々と消えていった。これが師匠の言った一つの要因だと思った。この頃、ポケットのプロ化が始まった。

 話からしてプロ化2年目の時、師匠の店で先月先立たれた小林伸明プロとの出会いが、又、私にビリヤードに熱くなる話しを色々して頂いた。その時の話の一つに「水野君はポケットのプロになるのかね?なるのならポケットのプロもこの位の腕はもたないと認められない。ポークライン150点、スリークッション25点、この程度は撞けないとね。」 私がキャロムを師匠に習ってまだ間もない頃でポケットプレーヤーがキャロムを勉強中と思われての事。

 

 何年か先に広島の牛田という所でビリヤード場ができて、そこでプロツアーがあり、奥村プが出場。それを見て私はすぐにこの人は巧いし強いと思った。師匠に話すと、奥村プロはビックボックスでよく撞いていて大学生の頃はボークラインも、スリークッションもかなり撞ける若手選手で巧かったとよく覚えておられた。師匠の話と小林先生の話を照らし合わせると奥村プロのレベルとでないと認めないという事とすぐに理解でき、私はキャロムにのめりこんで行った。

 それからは師匠の技術をとにかく盗んだ。「(教えてもらった)カードルをメインに四ツ球の取り組み方でも、カードルが150点くらいになったらスリークッションは撞けるようになっているから。とにかくカードルの持ち点をあげろ。」と教えられ練習に励んだ。師匠についてビリヤードを根本から教わった事が今につながっている。

 

話が少しそれたが、その当時のポケットプレーヤーたちは、大抵のプレーヤーがなにがしかキャロムを撞いて、育ったプレーヤーで技術のたけたプレーヤー達が多く、本当に巧くて強いプレーヤーがたくさんいた。その当時広島のプロにもカードル100点位、スリークッション30点は撞くプレーヤーがいた。勿論トッププレーヤーであった。

 

それから…今のビリヤードはその当時のビリヤードから大きく変わった。昔のポケットはビリヤードの技術を駆使して入れるビリヤードだった。今のビリヤードのようにセーフティを駆使した入れないビリヤードではなかった。昔と比べるわけではない、年月と共にラシャは走る、道具は進化しハイテク化され、ポケットのサイズは小さめになると、勝つ事を優先するプレーヤーになるからセーフティーが多くなる事は理解できるがそれだけではない気もする。

 

 エフレン・レイズというプロプレーヤーがいる。私はポケットのプロとして尊敬している一人である。ビリヤードで一代を成したのも理由のひとつだが、この人の本当に好きなビリヤードゲームはキャロムのカードル系なのだそうだ。ポケットは稼ぐ為に仕事にしていると、CUE'Sにも書いてあったように思います。レイズマジックというゲーム力はこの技術の裏付け。レイズが引退したらまた一人魅せるプレーヤーがいなくなる。

 キャロムをよく知っている世代のプレーヤーはもう60代を過ぎてしまい、ビリヤードの技術を持っているプレーヤーはいなくなる時代が来ている。これはビリヤード界の将来において大変な事なのです。私の師匠はこの事が解かっていたんだと思います。 ビリヤードの根本の、いや根源を失うのです。

 ビリヤードはクレオパトラの時代にはあった事がシェークスピアの本に書いてあるそうです。その当時は当てる事でゲームになっていたのかどうかはわかりません。ゲームとして成り立ったのはキャロムが最初だそうです。世界大会の初めてのゲームが四ツ球競技会でそれからカードル等に進化し、ポケットゲームもできて来たそうです。長崎には江戸時代に伝わってきたという文献が残っているそうで、それはキャロムだそうです。

 私は師匠の言葉を信じ、ビリヤードの根源づくりを知ってもらい、ビリヤードの技術をを皆さんに知ってもらう、いや、身に付けてもらい、他のスポーツと同様にボール競技の変化を楽しむ・競い合うビリヤードの本質を根本から身に付け、小さな子供から、上は100歳以上どんな人達にも楽しんでもらえるビリヤード場でありたいと思います。

 東京オリンピックの聖火ランナーに102歳の陸上選手(マスターズ60m走世界記録保持者)が走られる。この方も60歳を過ぎて陸上を始めたとTVで聞きました。水泳の世界にも中学生で高飛び込みのオリンピック出場の選手「回転力」の高い技術者が。ビリヤード界も年代を問わず取り組み楽しんでもらえるよう育む為、Cueスポーツセンター広島はビリヤードの忘れられた技術を皆様に伝え、皆様の力で現代に合ったビリヤードを育んで楽しんでもらい、将来に残るスポーツの一つにと願い、健全なスポーツにと学校の授業・教室といろいろ取り組んでいます。

 

 本当に真面目にビリヤードを楽しみたい方、ぜひ私達と一緒に、他では覚えられないあなた自身の技術力を身に付け、あなたの人生に活かしてみませんか?本当のビリヤードはあなたの思っているビリヤードとは大きく違います。

今すぐ、あなたのその眼でその手で確かめてみて下さい。

あなたの技術力でボールをコントロールする力はこれからのAI社会の中においてもあなた自身で生活をコントロールする力を育みます。

未来を変えるキュースポーツ!