最近のテレビ、かなり薄型になってきましたね。
薄さがクリアされ、今後は『曲がる』がキーワードになってくるようです。
さてさて、そんな感じで、今後、テレビが壁に掛かっているお宅も珍しくなくなってくる事が予想されますが、
今日、香取慎吾が指で四角を作っているアクオスのCMを観ていて、『テレビはインテリアになる』と言っていたが、
真っ黒の画面で『インテリアって言われてもな~』
って思った時、
『きっと将来、赤富士の静止画チャンネルとか、熱帯魚水槽のチャンネルとかが出来るか、待ち受け画像を保存出来る機能が付いて、壁紙配信サービスとかが始まるんだろうな~』
と考えていました。
最近、自分もそうなんですけど、
『支払っている金額に見合うだけの価値がないものに金を使っているな~』
と、つくづく感じるわけです。
単純に、『そこにあると便利だから』という理由だけで金を払っているケースが大半ですが。
日中に行くコンビニ。
通販や調べものをするため、たまにブログの解析情報を見る程度のインターネット。
『家も買ったんだし』と設置し、月1回程度しか鳴らない家電の基本料。
昔はそんなのが無かったから何ともなかったことが、今は『我慢すること』になっていたり
昔は必需品だったものが、今は『必要か?』と疑問に思うようになっていたり…
多分ウチの場合
[1]コンビニにタバコ・切手・公共料金の支払い以外で寄らない
[2]インターネットをネカフェでする。
[3]家電を辞める
これだけでも家計の圧迫を緩和出来ると思う。
世の中が便利になり『楽』になるにつれ、家計の圧迫が強くなるんじゃ、本当の意味で『楽』とは呼べないんじゃないかな…と。
もう一つ思うのは、昔、自分がパチンコで喰っていた時分、疑問に思ってその生活を辞め、就職したが、今その疑問を抱かない人達が続出していること。
それは、『あまりにも非生産的活動だ』と言うこと。
パチンコして手取り年収600万円なら、金銭的には申し分なかった。
けど、一番疑問だったのが、『それによって何も生まれない』って事実だった。
その頃はまだ携帯にカメラも付いてない時代だった。
今、IT業界の中心がどこなのかは知らないし、実際それを利用して生産的活動をしている人も沢山いるのも分かる。
けどね、自分がパチンコ辞めた時のような事を思う人がもっといても不思議じゃないと思うが、それは意外なほど少なく感じる。
それらから自分が危機的だと感じるのは、
『楽をするために苦しんだ世代が自分達ならば、次の世代は、楽をしたが故に苦しむ世代で、その次は、楽もしてないのに苦しむ世代になるんじゃないか?』
という事。
ならばせめて、『苦しみを楽しみ、楽は極力しないように』してみるのが良いと思うわけで
そうなると、やっぱり、誰かの言っていた
『(世間の常識的な)正しいではなく、(自分と周りが)楽しいを選んだほうが、結局的には正しい選択といえる』
が、ムチャクチャ正論だわ~
と感じながら、外の雪を眺め、『明日は暖気運転長めにするから、早起きする為にも早く寝よう』
と、床に横たわる、自分こと、うまぞうがお届けしました~
(^-^)v
お(+o+)や(-O-)し(-曲-)み(_ _)
でわでわ~ヽ('ー`)ノ~