~レークプラシッドオリンピック編(1980年2月)~
1980年の冬季オリンピックは、アメリカ合衆国のレークプラシッドで1932年以来、2度目の開催を迎えた。
この大会では、日本の八木弘和が札幌オリンピック以来の銀メダルを獲得。
「氷上の奇跡」と言われた地元アメリカのアイスホッケーチームや、スピードスケート5冠のエリック・ハイデン、アルペンスキーのインゲマル・ステンマルクら、男子の活躍が特に目立った。 が、その陰にも女神はひっそりと佇んでいた。
★File.12 ハニー・ウェンツェル(リヒテンシュタイン)
前回インスブルックで、アルペンスキー回転銅メダリストのハニー・ウェンツェルは、23才の円熟期で迎えた今大会、回転と大回転で金、滑降で銀と生涯最高のパフォーマンスを見せる。
スイスとオーストリアに囲まれた小さな公国リヒテンシュタインは、アルペンスキーの名選手を数多く輩出している事でも有名だ。
西ドイツ生まれの彼女は、4才のとき一家でリヒテンシュタインに移住。生粋のリヒテンシュタイン国民ではないが、弟アンドレアスと共に、その活躍から同国の大スターの一人に挙げられる。
最近のアルペンスキーのTV放送では、スタート時に顔写真のテロップが出ることもあるが、当時はゴールしたあとにゴーグルを外すまでスキーヤーの素顔はわからなかった。
しかし彼女は、3度も表彰台に上がったおかげで、私の目に止まることになる。
ちょっとタレ目で丸顔、白い歯が印象的で、その笑顔はなんとも愛くるしい。
本人曰く、「私は美人ではない。 が、可愛い女であろうとは努めている。」 とはまさにズバリの発言だ。
控えめで飾らない、それでいて芯はしっかり通っている、彼女はそんな類い稀なスキーヤーであった。
なお選手登録では Hanni (ハンニ)、本名は Hannelore(ハンネローレ) というから、おそらく「ハニー」は愛称と思われるが、TV中継などでは、ハニー・ウェンツェルと呼ばれることが多かったので、ここでも「ハニー」で記述させていただいた。
★File.13 デニス・ビールマン (スイス)
ご存知「ビールマンスピン」の本家本元、デニス・ビールマンの登場である。
ここでお断りしておきたいのは、彼女をここに紹介するのは、「ビールマンスピン」という一つの芸術に対してのものであり、ビールマン本人を女神と崇拝するものでは無いということである。
些さかこじつけっぽい言い訳になってしまったが、私の中では彼女は単なるフィギュアスケーターの一人でしかない。
ダイナミックな滑りは確かに魅力的ではあるが、荒削りでエレガントさに欠け、女性的なエロティシズムに乏しい。
しかし「ビールマンスピン」は、そんな欠点を全て補って余りある超弩級の必殺技であった。
私はフィギュアスケートに精通している訳ではないので、いろんな資料を元にした情報であるが、「ビールマンスピン」の原型は1930年代まで遡るらしい。ただ、現在のように美しく早いスピンに昇華させたのは彼女にほかならない。
「ビールマンスピン」が、陸上走り高跳びにおける「背面跳び」、スキージャンプにおける「V字飛行」と並ぶエポックメイキングであることは言うまでもなく、彼女はそれだけで歴史に名を残したという訳だ。
さて、このレークプラシッドオリンピックでは、彼女はコンパルソリー(規定演技)で12位と出遅れるが、ショートプログラムで挽回、フリーではリンダ・フラチアニ(アメリカ)と並んで最高得点をマークして4位に食い込んだ。
それ程「ビールマンスピン」の威力は絶大だった。
優勝したアネット・ペッチ(東ドイツ)には気の毒だが、フリーで一番の拍手喝采を浴びたのは「ビールマンスピン」を繰り出したビールマンであったように思う。
この時17才の彼女は、翌年ハートフォード(アメリカ)での世界選手権において見事に優勝、あっさりとプロに転向してしまった。
近年女子スケーターの多くがこのスピンを持ち技としている。 が、彼女の「ビールマンスピン」は、ほかの誰が見せるそれよりも美しく魅惑的だ。
それは単に彼女が先駆者だったというだけではないはずだ。
挫折の末、改良に改良を重ね、汗と涙の結晶が行き着いた先の至高の芸術品だからこそ光り輝いているのだ。
世界選手権での優勝こそあるものの、たった一度のオリンピックでメダルに手が届かなかったビールマン。
しかし、「ビールマンスピン」という強烈な武器と共に永遠に語り継がれるであろう。





