吉田修一は、実に魅力的な作家である。
文学界新人賞受賞作「最後の息子」や、芥川賞受賞作「パーク・ライフ」など、スタイリッシュでハイセンスな作品から、「パレード」、「悪人」、「さよなら渓谷」といったミステリー、そして自伝とも思わせるような瑞々しい若者の日常を綴った本作「横道世之介」まで、驚くほど多彩な作風を披露してきた。
小生は、全ての作品を読了している訳ではないので、偉そうな事を言える立場でも無いのだが、中には「さよなら渓谷」のように、多少疑問符を付けたくなるような作品も無い訳ではない。
にも拘らず、作家吉田修一が小生の読書心を捉えて離さないのは、ひとえに「横道世之介」という一編があるからに他ならない。
それ程、本作「横道世之介」には心を揺さぶるパワーがある。
そのパワーとは、本作の舞台となる時代と場所を小生がほぼリアルタイムに生きたという自負から来るものに他ならない。
物語の時代設定は、正確には記されていないが、1987年あたりではなかろうか?
冒頭のスタジオアルタ、待ち合わせ場所はパルコ裏の「ルノアール」という喫茶店、丸井の十回払い。。。
まさに我が青春時代がフラッシュバックしたかのようだ。
拙者のノスタルジアはさておき、本作「横道世之介」は文庫本で467ページ。読書には丁度良い尺の中に、主人公世之介の上京1年目が描かれる。
第1章「四月 桜」の幕開けは、新宿駅東口アルタ前だ。なんとお誂え向きのシチュエーションだろう。
80年代当時の地方出身者の憧れは、新宿アルタ前だ。上京して初めての休日は、とりあえず新宿アルタを目指すのが定番ではなかったか?
思わずニヤッとし、そしてワクワクするすべりだしである。
その後、世之介が目指すのは初めての都会暮らしの城。
なんと、西武新宿線・花小金井駅だ。
リアリティー溢れる設定に、ワクワクが止まらない。
さらに、アパートのお隣さんや友との出会い、大学生活、サークル活動などを経て、物語は唐突に数十年後にタイムスリップする。
読者は突然の画面転換に一瞬面食らう。……が、徐々にそれが数十年後、つまり現代であることに気づかされる。
あぁ、これは世之介と仲間たちが過去を振り返る物語なのだと。。。
過去の物語の中に、幾度か挿入される現在。そして、いつしか明らかになる一つの重大な事実。
実に憎らしい演出である。
ここから先は、ネタバレになるので内容については控えさせて頂くが、是非読んでみて欲しい。きっと爽やかな読後感と暖かい幸福感に包まれるはずだ。
作中、ゲイの友人が登場するが、本作に限らず吉田修一氏の作品にはホモセクシュアルの登場人物が多い。
作者本人がそうであるかは別として、同性愛者に理解があることは十分窺われる。
作中の彼等は、けっして暗くなく、ドロドロ感も皆無。いたって爽やかに物語に溶け込んでいる。
こういった一見敬遠されがちな差別世界を、サラッと描き出すのも吉田修一作品の魅力の一つであろう。
2001年、JR山手線・新大久保駅で、ホーム下に転落した男性を助けようとした、韓国人留学生と日本人カメラマンが帰らぬ人となる事故が起こった。
本作はこの事故をモチーフにしているのは勿論だが、韓国人留学生キムくんと世之介が、その新大久保駅のホームで風に舞った女性の帽子を追いかけるくだりは、犠牲者二人へのオマージュとも言える心打つエピソードである。
吉田修一氏のこの事故への関心の高さが窺われると共に、こういう悲惨な出来事が二度と起こらないようにと願う、慈しみの心が満ち溢れている。
さて、本作は2009年に上梓されたのだが、一方で2013年には沖田修一監督(なんと、吉と沖の一字違い❗️)によって、映画化もされている。
これがなかなか良い。
3時間近い映画と聞いて、正直辛いなぁと思ったのだが、実に心地よい気分で観終える事ができた。
主演は高良健吾と吉高由里子。この二人が原作にピタリとハマっている。
80年代の描写も申し分ない。
しかし、原作にはかなり忠実だが、ラストシーンが大きく違っている。
原作では、ある意味キーパーソンの一人である韓国人留学生キムくんを、映画には一切登場させていない。
ゆえに原作のラストシーンである、(前出の)ホームで風に舞った帽子のシークエンスが映画には無い。
代わりに映し出されるのは、世之介が写真を撮り歩く場面に、世之介の母が手紙を読む声を被せたシーン。
小説では絶対にできない、絵と音の合体。出色の出来栄えである。
また、祥子ちゃんの写真を撮るシーンや、雪のクリスマスシーンなど、初々しい恋愛模様が色濃く描かれているのも映画ならではと言えよう。
殺伐とした現代、ほんわかしたい向きにはうってつけの『横道世之介』。
小説、映画。どちらもお薦めである。

