続きです。
3日目にして、やっと青空が見れました。
今日の会場は牛田くんの生まれ故郷、福島です!
さすが、持ってるね、牛田くん♪
(ときに、「持ってるね」ってもう死語ですか…?😅)
新幹線で仙台から郡山へ。
さあ、今日の郡山文化センターはどんなホールでしょう。
郡山駅の桜の階段が素敵。 一足早く春模様🌸
あれ?この子、会ったことがある。
この子も、見覚えが。
4年前にコンチェルトで来てるではないかっ!😅
私の記憶力、本当に大丈夫なんだろうか…![]()
2年前の3月14日、牛田くんのデビュー記念日にも、ここでリサイタルがあったんですよね。
電力ホールと同じく、チケットは買っていたものの、この日は姉の火葬で来ることが出来ませんでした。
つまり、4年ぶりの郡山。
「楽都(がくと)こおりやま」 を掲げている音楽の街。
桜に続き、駅の階段がピアノです♪
4色、四季の色になってるんですね!
会場まで結構距離がありますが、歩いても行けるようなので歩くことにしました。
迷う自信があったので(4年前も歩いて行ったくせに)、バスの通る分かりやすい直線ルートを行くことに。
途中で見つけたマンホール。
郡山市の鳥「カッコウ」と、市の木「ヤマザクラ」、市の花「ハナカツミ」がデザインされているそう。
小さめのこれも、市の花「ハナカツミ」?アヤメに似てますね。
いつかマンホールの記事書けそうですね(*^.^*)
八戸 → 仙台 → 郡山と南下してきたし
今朝のお天気ニュースでも今日の関東地方は4月並みと言っていたので
邪魔になるかなと手袋もマフラーもキャリーケースに入れて駅のコインロッカーに預けたのに
思ってたより寒くて強風でした。
そっか。郡山は東北だった(^^;)
20分ほどで着きました。
けんしん郡山文化センター。
4年前とシチュエーションが違いすぎて、初めて来たみたいに新鮮(///∇//)エヘヘ…
2026年2月28日(土)14時開演
けんしん郡山文化センター(福島)
隣の大ホール界隈が賑わってると思ったら、「新しい学校のリーダーズ」のイベントがあるらしい。
けんしん郡山文化センター 中ホール(806席)
(画像お借りしました)
赤い座席と赤いカーペット、白い壁と天井。
舞台の上のピアノは、今日は艶のあるスタンウェイ。
椅子は今日も背もたれのあるタイプです。
プログラム
オール・ブラームス・プログラム
♪7つの幻想曲 Op.116
第1曲「奇想曲」ニ短調
第2曲「間奏曲」イ短調
第3曲「奇想曲」ト短調
第4曲「間奏曲」ホ長調
第5曲「間奏曲」ホ短調
第6曲「間奏曲」ホ長調
第7曲「奇想曲」ニ短調
♪3つの間奏曲 Op.117
第1曲「間奏曲」変ホ長調
第2曲「間奏曲」変ロ短調
第3曲「間奏曲」嬰ハ短調
♪6つの小品 Op.118
第1曲「間奏曲」イ短調
第2曲「間奏曲」イ長調
第3曲「バラード」ト短調
第4曲「間奏曲」へ短調
第5曲「ロマンス」ヘ長調
第6曲「間奏曲」変ホ短調
♪4つの小品 OP.119
第1曲「間奏曲」ロ短調
第2曲「間奏曲」ホ短調
第3曲「間奏曲」ハ長調
第4曲「ラプソディ」変ホ長調
黒い袖幕の向こうから、牛田くんが姿を現しました。
ジャラン!とアルペジオのように始まった最初の奇想曲。
ひび割れた乾いた大地を連想しました。
今回も、覚えているところだけ書きますね。
2曲目のOp.116-2の始まりは
やはり、悲し気な「さくらさくら」っぽく聴こえます。
今各地で満開の河津桜の濃いピンクではなく
色づいているのかいないのか、分からないくらいの薄桃色のソメイヨシノ。
昔ながらの日本の童謡やわらべ歌は、どうして短調の寂しげなメロディが多いのでしょう。
「もののあはれ」や、「侘び寂び」の美意識が好まれてきた文化に関係あるのでしょうか。
だから私たち日本人は、晩年のブラームスの内省的で陰りのある音楽に
無意識に共鳴するのでしょうか。
ゆったりと 穏やかな嘆きのような中間部は
乾いた大地を濡らす慈雨を連想しました。
116-6は、やはりロマンティックで美しい。
甘く厚く愛を語っているように聴こえます。
ショパンが「恋」を歌うなら
ブラームスは「愛」を語るんですね。
うっとりと身をゆだねていたら
言いようのない孤独に胸がヒリヒリと痛くなる。
みんな死んでしまった。
みんな自分の周りから離れて行ってしまった。
この小品集はほとんどが三部形式だけど
聴いているうちに、最初と最後の「建前」の間に「本音」という中間部をサンドしているように感じます。
ふと垣間見せる心の内側。
けれどそれも、「いや、なんでもない。忘れてくれ」と、外側の皮で包んでしまう。
このプログラムを聴くのは今日で3回目だけど
聴くたびに好きな曲、一番いいと思う曲が変わる。
今日は116-6に深く引き込まれました。
続く116-7は自分でも制御できない感情の爆発。
何かをごまかすように、酒でもあおっているような
自暴自棄な感じもする。
火が付いたように激しくて
こんな彼を誰も止められない。
弾き終わると、牛田くんは見えない音の行方を見守るように
しばらく静かに上を向いたままでした。
悲しい余韻が、しんと胸に沁みてきました。
一転して、静かに包み込むようなOp.117-1。
清潔で 優しくて 白い花のよう。
クララ…。
20歳で初めてクララに会った時
ブラームスはこんなイメージを抱いたんじゃないだろうか。
ブラームスの肉声の話し声を聴いているようなOp117-3。
ブツブツつぶやいて
遠い記憶に身を沈め
さらに孤独が絶望的な重さを持って押し寄せる。
静かに終わる分、しんと寂しい。
しんと寂しいのに、妙にしっくりくる…。
休憩時間には、ピアノの調律が入っていました。
休憩が終わり、舞台が照明でクリーム色になりました。
登場した牛田くんがOp.118を弾き始め
弾いている途中で舞台の照明が絞られました。
「足し算の美」よりも「引き算の美」というけれど
晩年のブラームスは、まさに「引き算の美」。
タマネギの皮を1枚ずつ剥いていって
最後に残った芯の美しさ。
外側に光を放つ輝きも素敵だけれど
この内側の輝きは、牛田くんにとても合っていると思います。
一曲一曲の感想をちゃんと覚えていたいと思うけど
もいいいや。忘れたら忘れたでいいや。
自然に任せて 去りゆくものを手放して
今はただ、この音楽の流れに身を任せていたい。
Op.118-6は、薄墨で綴る一筆書きのような独り言。
燃え尽きたと思った焼け跡の中で
青く踊る小さな残り火の炎。
だんだん大きくなって燃え盛り
再び静かに消えていく。
勢いづいて大団円かと思ったら
やっぱり最後は孤独を抱えて終わる。
情熱と孤独のコントラストに
牛田くんのインタビューにあった
「死を目前にした諦めというよりは、むしろ晩年においてもなお失われていない情熱の表れのような感覚」
という言葉を思い出しました。
牛田くんは、楽しみながらこの作品と向き合ってきたのではないだろうか。
ふと、そんな風に思いました。
私自身、興味深くて面白くて仕方ない。
メランコリックで、悟りの境地にいるようなOp.119-1。
ここにも情熱の残り火を垣間見る119-2。
笑いながら通り過ぎるそよ風のような119-3。
時々くるるんと、いたずらに渦を巻く。
これまでの3曲とは別もののように
男性的で 情熱的で
おしゃれで 遊び心があって
いろんな要素が盛り込まれているから
まるで亡くなる前の走馬灯のようだと感じる119-3。
最後の方に、狂気の片鱗を感じます。
何度聴いても驚いちゃうな。
実際聴くまでは、これらの作品は「悟り」とか「孤独」とか「追憶」とか
「動」より「静」のイメージしかなかった。
だけど「動」とか「情熱」の部分をクローズアップして演奏している牛田くん。
牛田くん自身、今まで作品を大げさに表現することはなく、むしろ感情を抑え気味に演奏することが多かったから。
「痛み」とか「孤独」はもちろん深く根底にある。
だけどそれが弱々しい線の細さかというと
熱い炎だったりもするんだな。
情熱的に盛り上がった最後の最後が、どこか不穏な終わり方であるところに
本心を吐露しきれないブラームスの不器用さのようなものを感じます。
終わると今日も、「ブラボー」が飛びました。
このブラボーは、よくある演奏会で音楽が盛り上がり、熱狂と共に贈られるものでなく
「この深い世界観を、よくぞ見事に表現してくれた!」
そんな賞賛の声だと感じます。
アンコールの1曲目に弾いてくれたのはショパンのピアノ・ソナタ第3番第3楽章でした。
2曲目は昨日、一昨日と同じノクターンOp.17。
聴くたびに伸び伸びと自由度を増していく牛田くんのショパン!
そして、この透き通る音色の美しいことときたら!
牛田くんはもう、ある場所に到達したんだな。
そう実感しながら
つやつやの髪のキューティクルに見とれました。
情熱的でナチュラルなブラームス。
開放的で美しすぎるショパン。
今回のプログラムは、牛田くんのピアニズムの魅力が爆発してますね!
牛田くんの故郷福島県でのリサイタル。
牛田くんのご家族やご友人は聴きにきていたでしょうか。
こんな素晴らしい演奏家が地元から誕生したなんて
どんなに誇らしいことでしょう。
帰りの新幹線から見た景色は、来た時とはまるで違って見えました。
豊かで幸せな3日間の旅でした。






















