ファン友さんから、先月レターパックで届いた『国宝』の小説。

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上・下2巻で、それぞれかなりボリュームがあったのですが

 

私にしては珍しく、数日で読了しました。

 

 

 

 

この小説を読んだ後、あらためて映画館でもう一度観たい。上映期間に間に合わせたい。

 

という時間的な縛りがあったこともありますが

 

小説としてもやはり読み応えがあって面白く

 

久しぶりに時間を忘れて夢中で読みました。

 

 

 

けれど、今度はなかなか映画を観に行く時間が取れず

 

やっと昨日、2回目を観に行ってくることができました。

 

 

 

 

小説を読んでからもう一度映画を観たら

 

いったいどんな感想を持つんだろう?と自分でも楽しみでした。

 

 

 

↓前回観た時の記事

 

こちらの記事にも、

 

「とにかく凄かった」「本気度を感じた」

 

など、映画を観た方のコメントをいただきました。

 

 

 

 

 

映画封切りから2ヶ月。

 

観客動員数は留まるところを知らず、評判も上々!

 

 

注意今回は、映画も小説も 思いっきりネタバレありで書こうと思いますので、知りたくない方は ここで引き返して下さい。

 

 

 

が、小説を読み終わってから、1ヶ月近くが経過したので

 

最近もの忘れが加速した私の記憶はかなり曖昧です(;^ω^)

 

 

 

 

 

 

映画化される前に小説を読んだ人達の感想を聞くと

 

「あの場面を削ると思わなかった」

 

「ラストのカメラマンの娘役は必要なかったと思う」

 

「徳ちゃんの頑張りをちゃんと描いて欲しかった」

 

などの声があったので、かなり省略された部分もあったのだろうとは思っていました。

 

 

そもそも、上下巻トータル819ページにわたる超大作を、たった3時間にまとめただけでも凄いことなので

 

全部詰め込めないのは仕方がないけれど

 

原作のあらすじを知った上で観ると、また感じ方も変わってくるのかな、と。

 

 

 

 

私が観に行った少しあとに映画を観た同僚は

 

「話が飛びすぎて、説明が足りなくてよく分からなかった」

 

と言っていました。

 

 

まあ、分かる気もします。

 

 

 

個人的には、小説も映画も 説明が多すぎない方が

 

こちらの読み取る力を信頼してくれているようで私は好きです。

 

「余白部分は受け取り手の解釈に委ねます」と言われているようで。

 

 

 

ただ、もう少し説明して欲しいと思っていた箇所がひとつだけありました。

 

それは、父親を殺した相手に復讐しようと刃物を持った中学生の喜久雄(黒川想矢 のちに吉沢亮)が

 

次の場面では、いきなり大阪に行って丹波屋の部屋子になったくだり。

 

 

「復習しようとしたんだって?」

 

「でも、しくじった」

 

的な会話はあったもの、ここは、ちょっとよく分からなかったですね。

 

 

原作によると、

 

学校に行かなくなった喜久雄は、一人秘かに復習を企む。

 

ある日、喜久雄の中学校で、ある市会議員が生徒達に演説をする。

 

その人こそ、喜久雄の父親の組を襲った宮地組の元大親分。

 

その日だけ喜久雄は登校し、隠し持った刃物で元大親分に斬りかかる。

 

が、前から喜久雄に目を付けていた体育教師に取り押さえられ

 

少年院送りにされる代わりに、長崎から出て行くという条件で

 

丹波屋の花井半次郎(渡辺謙)に引き取られる。

 

 

なるほど。そういう経緯があったんですね。

 

 

 

 

 

 

それと、映画を観た同僚も 娘も 私も

 

今ひとつ釈然としない部分がありました。

 

 

それは、あんなに喜久雄に惚れ込んでいたのに

 

さっさと俊介(横浜流星)と逃亡して、その後おかみさんの座についた春江(高畑充希)の心境。

 

 

なんとなくは、分かるんですよ。

 

最愛の人が成功するには、きっと自分は足枷になる。

 

大抜擢の舞台が大成功し、スターの座が約束された喜久雄の晴れ舞台を観た時の、喜びに勝る孤独感。

 

同じ時、自身の敗北と力量のなさを突きつけられて打ちのめされた俊介の絶望感と共鳴した。

 

もうここには自分の居場所はないと察した者同士が手を取り合った。

 

 

でも、他の男とそんなにすぐ一緒になれるもんなの?

 

背中に入れ墨まで彫ったのに、「一番のご贔屓さんになる」って言ってたのに

 

春江の喜久雄への思いは、その程度だったの…?

 

 

 

小説では、春江のこのへんの心境については あまり深く触れていませんでしたが

 

映画ほど「喜久ちゃんがいないと生きていけへん」タイプとして描かれてはいませんでした。

 

入れ墨も、喜久雄に惚れていたからというよりは、何かに負けたくなかったから。

 

運命とか、自分自身とか、自分を馬鹿にする人達に。

 

 

元々気っぷが良くて、母のような包容力を持つ春江は

 

喜久雄にも、兄弟のように育った俊介にも

 

身内的な感情を抱いていたような印象を受けます。

 

 

そして、その後も幸子(寺島しのぶ)に徹底的に教育されて

 

丹波屋を仕切る立派な女将さんになります。

 

 

私のイメージでは、この役は高畑充希さんと言うよりも

 

年齢的に違うかもしれませんが、小池栄子さんあたりが似合いそう。

 

 

 

 

 

 

あと、その後が気になっていた喜久雄と彰子(森七菜)との関係。

 

 

映画では、ドサ回りで不遇な目に遭い

 

乱心したように踊り狂う喜久雄に彰子が愛想を尽かしたように見えたのですが

 

小説を読むと、その後も献身的に喜久雄を支え続け

 

二人を勘当していた彰子の父親も、やがて喜久雄達を赦します。

 

 

歌舞伎界の大御所の家に生まれ、大切に育てられたお嬢さんの役

 

森七菜さん、似合ってましたね。

 

 

今まで清純派のイメージが強かった彼女の大胆な濡れ場は意外だったし

 

「親子で観ていて気まずかった」という声多数。

 

でも、森さん自身、新境地を切り拓き

 

箱入り娘ながら実は芯が強く、覚悟を決めて夫を支える健気な若い妻役を見事に演じていたと思います。

 

 

 

 

 

 

小説を先に読んだ組に不評だった、カメラマンの娘のシーン

 

小説にはありません。

 

あのカメラマンの女性を演じたのが瀧内公美さんだったということに

 

2回目を観るまで気がつきませんでした。今までと印象が違いすぎて。

 

 

原作の綾乃は中学生くらいから非行に走り、悪い仲間とつるみ

 

しまいにはヤクザ連中と付き合って薬漬けになり

 

それを救ったのが、映画にはほとんど登場しない、喜久雄の幼なじみの徳ちゃん。

 

映画の冒頭で、喜久雄と一緒に歌舞伎を演じていた少年です。

 

 

徳ちゃんは、小説では かなりの重要人物で

 

少年時代も喜久雄と一緒に丹波屋に住み込んで喜久雄の付き人のようになり

 

ずっと喜久雄を支え続けますが

 

やがて中国に渡り、ラストでは大成功して日本に戻り

 

喜久雄との再会を匂わせたまま、そのシーンは描かれないまま終わります。

 

 

劇中で春江が喜久雄に言った

 

「喜久ちゃんの一番のご贔屓になって、楽屋にペルシャ絨毯買うたるし、専用の劇場も作ったる。」

 

この台詞も、原作では徳ちゃんが言っています。

 

 

こんな重要人物をほぼまるごとカットしてしまうとは

 

映画の脚本、かなり思い切ったなあと思いました。

 

 

 

 

 

ほかにも、

 

 

・喜久雄の父を殺したのは、実は敵の組員ではなく身内の男だったこと

 

・失踪してからの俊介の苦労

 

・客が舞台に上がり込んできた事件をきっかけに、喜久雄の精神が壊れてしまうこと

 

 

など、かなり重要だと思う部分がカットされていましたが

 

それでも、原作の本筋を失わず、作品の魅力を損なうこともなく

 

原作とはまた違った映画ならではの輝きを放っていることに感動しました。

 

 

 

歌舞伎の世界に生きた二人の男の人生と共に、原作では

 

 

・任侠の世界

 

・男同士の友情(というかもっと深い絆や生き様)

 

・彼らを支える女たちの覚悟

 

 

などが複雑に絡み合って同時進行していました。

 

 

これを全部描くには、1年がかりの大河ドラマにでもしない限り無理だと思いますが

 

映画版では、特に

 

 

・二人の歌舞伎役者の数奇な運命

 

・歌舞伎の魅力

 

・芸に身を捧げる人間の覚悟

 

 

このあたりに焦点を当てて描かれていたように思います。

 

 

 

 

 

 

一回目の映画鑑賞では

 

ただただ圧倒され

 

「吉沢亮すごい!横浜流星すごい!いや、喜久雄も俊介もすごい!」

 

と、瞳孔開きっぱなしな感じでしたが

 

あらすじもわかった二回目は、初回よりは少し落ち着いて観ることが出来ました。

 

 

あと、歌舞伎の演目のあらすじや登場人物なども、なんとなく分かりました。

 

 

 

 

 

 

少年喜久雄が万菊の『鷺娘』を観て魅了され

 

ラストでは同じ衣裳を着て、今度は自分が観客を魅了する。

 

スタートとゴールの見事なリンク。

 

 

ヤクザの血を引き、どう頑張っても梨園の血を持つことの出来ない喜久雄の苦悩。

 

梨園に生まれ、芸よりも「血」に翻弄される俊介の苦悩。

 

血を分けた兄弟以上に近く濃く、複雑に絡み合った二人の人生。

 

 

 

 

役者さんの演技は、みんな素晴らしかったけれど

 

やはり主役の吉沢亮さん。

 

 

交通事故に遭った半次郎の代役で、病室で稽古を受けるシーンでの

 

叱責・罵倒され、自分の頬を引っぱたき

 

何かのスイッチが入ったかのように変化した目の色、声のトーン。

 

 

 

地方回りで客に絡まれて

 

剥げた化粧で衣裳を引き摺り屋上で踊る喜久雄に

 

「もうやめよう。…どこ見てるの?」と彰子に言われ

 

我に返ったように動きを止め、途端にボロボロと涙をこぼすシーン。

 

 

すごい役者になったなあ。

 

 

 

 

 

 

 

 

印象的な台詞がいくつかありましたが、特に心に残ったのは次の二つ。

 

 

一つは、万菊が稽古している俊介に言った

 

 

「あなた、歌舞伎が憎くて憎くて仕方ないんでしょう。」

 

 

この言葉は、同時に

 

「でも本当は、好きで好きで仕方ないんでしょう。」

 

とも聞こえます。

 

 

そして、俊介に言っているけれど

 

稽古の様子をうかがっている喜久雄に言ったのではないかと。

 

 

好きだからこそ翻弄される。

 

逃れられないからこそ苦悩する。

 

 

台詞は、こう続きます。

 

 

「でも、それでいいの。それでも舞台に立つのが、私たち役者なんでしょうよ。」

 

 

 

 

 

 

 

もう一つは、

 

俊介がテレビ出演した時に、失踪期間を振り返って言った言葉。

 

 

「どこのどんな舞台だろうと、目の前のお客さんの目の色を変えられたら合格やと思うて、その日その日を必死に勤めておりました。」

 

 

一見、綺麗ごとっぽくも聞こえますが

 

これは、目の前の客に対する誠実さであると同時に、

 

「決してその時の環境に甘んじることなく、常に最高のパフォーマンスを追究し続ける。」

 

という、芸に対する覚悟とリスペクトのようにも聞こえました。

 

 

実際、原作では 温泉街のストリップ小屋の余興で演じていた化け猫役の質の高さが評判となり

 

これが、歌舞伎界復帰のきっかけとなったのです。

 

(映画ではほんの一瞬、それっぽい場面が映りました)

 

 

 

 

 

 

最初、二人を馬鹿にしていた竹野(三浦貴大)が

 

命を賭けた渾身の二人の舞台を目の当たりにして

 

 

「こんなふうには生きられねえよなあ…」

 

 

と、舞台袖でつぶやいた場面もよかったです。

 

 

お父さんの三浦友和さんのような二枚目俳優ではないけれど

 

三浦貴大さん、人間としての深みを感じさせる、いい役者さんになりましたね。

 

 

 

 

 

 

万菊を演じた田中泯さんの

 

手招きする手の表情 声の調子 顔の皺

 

晩年の床で半身を起こし、喜久雄に扇子を手渡す瞬間の瞳の光

 

やっぱりすごい存在感でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

劇中で喜久雄が何度か言っていた

 

「ずっと探してる景色」

 

って、なんだろう と考えました。

 

 

 

 

一回目を観たときは、中学生の喜久雄と俊介が自転車に二人乗りして桜並木を駆け抜けるシーンがとても美しく印象的で

 

あんな景色のことを言ってるのではないかな、と思ったりしたのですが

 

この時、幸せの象徴のように舞っていた桜の花びらは

 

 

父親が殺された時に降っていた、長崎にしては珍しい雪

 

舞台の上に降り注ぐ紙吹雪

 

目を瞑ると舞台の天井から降りてくるような幾つもの光

 

これらと重なっているようにも感じられました。

 

 

 

 

 

 

身を削るほど 血を吐くほどに努力を重ね

 

憎しみと愛情とで翻弄されながらも

 

自分の人生を捧げてその道を究めた人しか

 

辿り着けない境地。

 

見ることの出来ない景色。

 

 

 

ラストのクライマックスで爆発するように音楽が盛り上がり

 

舞台の美しさがこれでもかというようにスクリーンいっぱいに映し出されたとき

 

体の奥から熱いものがこみ上げてきて

 

目尻から涙がこぼれていました。

 

 

ああ、きっと 探していた景色を見たのだろうな。

 

 

なぜかふと、昔見た「シャイン」という映画を思い出しました。

 

 

 

 

 

 

カメラマンになっった綾乃が、こんな感じのことを言ってましたね。

 

「自分が拍手を浴びるためにたくさんの人を傷つけてきたあなたを許せない。だけど、お父ちゃんの舞台を見ると、なんやお正月が来た時みたいな気持ちになる。いいことが起こるような気がする。」

 

 

うんうん、分かります。

 

安直に関連づけてしまうと安っぽくなりそうですが

 

私が牛田くんの演奏を聴くとき、いつもそういう気持ちになるもの。

 

 

あ、もちろん「許せない」の部分じゃないですよ。

 

 

自分の人生すべてを捧げるほどに、ある道を追究して表現する人の本気の芸術に触れると

 

やっぱり人は心の奥で何かが大きく動くし、幸せな気持ちになる。

 

 

それは、目や耳で目の当たりにする華やかさや美しさ、迫力や繊細さのその奥に

 

人知れず身を削っている その人の 痛いほどの覚悟を感じるからではないかと思います。

 

 

だから、多少無理をしてでも、もう一度その感動を味わいたいと思う。

 

そして、その感動の経験が、自分の日常の糧となる。

 

 

 

 

 

舞台を照らす照明。

 

暗い客席に並ぶ、たくさんの顔と万雷の拍手。

 

 

そこには、演者から受け取った感動とエネルギーが溢れています。

 

 

 

ああ、こんな景色を見てるんだなあ…。

 

 

 

 

…って、結局また私は、ここに辿り着いてしまった(///∇//)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

映画   映画   映画   映画   映画

 

 

 

コンサート情報です。

 

 

 

 

 

2026年3月8日(日)

リサイタル

磐田市文化会館 かたりあ(静岡)

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詳細分かりましたら、こちらで更新します。