行ってきました。
2023年9月19日(火)19時開演
ミューザ川崎シンフォニーホール(神奈川)
この豪華な顔ぶれの夜ピアノリサイタルシリーズの、牛田くんはトップバッターです。
そして、奈良、滋賀、静岡に続き、今日は4日連続公演の最終日。
わたくし、奈良の良席をゲットしておりましたが
都合により行かれなくなり、代わりに関西在住のファン友さんに行っていただきました。(T_T)つつー
チケットは、こんな素敵なチケットホルダーと智に届きました。
ミューザ川崎は、牛田くんが何度か演奏会を行った場所。
ソロサイタルを行うのは、デビュー3周年記念の2015年3月以来になります。
JR川崎駅の改札を出ると、迎えてくれる「ザルツブルグの鐘」の時計台。
駅構内に牛田くんが!
ミューザ川崎は、駅直結です。
外壁には音符のデザイン。
地下1階にはストリートピアノ。
ライトアップされた床と階段でホールへと向かいます。まるで宝塚の舞台みたい。
ワクワク感が高まります。
サントリーホールやオペラシティとはまた違った華やぎがありますね。
手回しオルガン。
今日も演奏があったのでしょうか?ギリギリに到着したため不明(^^;)
今回もファンからのお花。
ミューザ川崎シンフォニーホール(1997席)
(画像お借りしました)
このホールの設計は独得です。
360度ぐるりと舞台を取り囲む客席は、交互に重なるようにスパイラル状に配置されています。
舞台正面にはパイプオルガン。
オレンジ色の木とオフホワイトの壁、赤い座面の椅子。
半円状の舞台もひな壇になっているため、平らなスペースは非常に狭く
客席に見守られるように、舞台中央にスタンウェイが置かれていました。
私はいつもここに来ると、母の胎内にいるような安心感をおぼえます。
開演時間になると、リンゴーンと鐘の音がなりました。
この鐘の音、川崎市と友好都市提携を結ぶ、ザルツブルグ大聖堂の鐘の音だそう。
プログラム
チラシと同じA4サイズ。
Program
♪ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第31番 変イ長調 Op.110
♪ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ 第23番「熱情」 ヘ短調 Op.57
~ ~ 休憩 ~ ~
♪ショパン: スケルツォ
第1番 ロ短調 Op.20
第2番 変ロ短調 Op.31
第3番 嬰ハ短調 Op.39
第4番 ホ長調 Op.54
(調律:佐々木修嗣氏)
さて、私がこのプログラムを聴くのは、ツアー初日の茅ヶ崎以来。
あの時は、なぜか極度の緊張とパンチの効いた演奏に圧倒されてヘロヘロになり
いつも以上にまともなレポ記事が書けませんでした
今日はちゃんとついていけるかな…。
注意事項を告げるアナウンスのあと、照明が静かにしぼられて
ギザギザしたオフホワイトのドアから、牛田くんが登場しました。
衣装は黒のタキシードと蝶ネクタイ。
茶色い髪。
手には黒っぽいタオル。
挨拶をして椅子に座ると
最初に右足をペダルに乗せて、距離を確認するかのように
座ったまま椅子を前の方に引きました。
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番。
まろやかな音色は、ゆっくりと砂に染み込んでいく水のようでした。
極上のトリル。
私の席は舞台から少し離れていて
しかも中央よりも右側だったため
ベートーヴェンを演奏する時、前屈みになる牛田くんの
表情も指も見ることは出来ませんでしたが
身体の動かし方やペダルの踏み方
なによりも呼吸をするように音楽を紡ぎ出す
全体の空気感のようなものを感じることが出来たため
とても心地よく、リラックスして聴くことが出来ました。
丸まった胎児になって
母のお腹の中で聴くような優しい音色は懐かしいセピア色。
あ、左手の低音は紫がかった紺色です。
右手と左手が穏やかに会話をして
混ざり合った音色は金色になりました。
第一楽章の終わりは、とても静かに
まるで、春に咲いた小さなスミレの花が
季節を終えて土に還り
「無」になるように。
緊張感から解放されるように
客席から、いくつかの小さな咳が聞こえました。
牛田くんがタオルで鍵盤を拭いたようで
ポロン、と微かな音がしました。
スケルツォ的と言われている第2楽章は
螺旋を描きながら折り重なる薔薇の花びらを連想しました。
ビロードのように厚くって
血潮のように赤黒く
人を巻き込むように渦を描く深紅の薔薇。
ああ、そういえば、このホールの構造も
ちょっと薔薇の花みたい。
第3楽章の嘆きの歌は
満月が白く光る暗い森。
情感たっぷりに歌い上げます。
切なく 鋭く
心に切り込んでくるピアニッシモ。
ピアノソナタ第31番は、苦悩と再生を何度か繰り返す
人生そのもののようだと感じます。
打ちひしがれ、全てを失って
暗闇以外何もないような真っ黒な「無」。
けれど、しばらく経つと
何もないと思っていた土の下で眠っていた種が
天から射す光を受けて、ゆっくりと芽吹き
うなだれていた頭をもたげるように上に向かって伸びていく。
嵐が去って、このまま順調に進むのかと思いきや
再び災難に見舞われて
絶望し のたうち回り
夢も希望も 生きる力さえ失って
倒れたところに遠くから聴こえてくる鐘の音。
ああ、とうとうお迎えが来てくれたのかもしれない。
早く光の中に連れて行って。
楽にして。
そう思って手を伸ばすと
あなたにはまだ命の一滴が残っている。
生きなさい。生きなさい!
そんな言葉が聞こえたようで
やがて、微かに感じる兆し。
少しずつ、でも今度は確実に、身体の奥から漲る力。
我が家のベランダに、いくつか鉢を置いているのですが
その一つが、もうほぼ枯れていて
今年こそ捨てようと思ったまま忘れていると
春になり、枯れていたはずの枝に
小さな小さな葉っぱの黄緑が見えてくるんです。
それを見るたびに、私は植物の生命力に目を見張ります。
正面のパイプオルガンから聴こえてくるみたいなフーガを聴きながら
久しぶりに手塚治虫の『火の鳥』を読みたくなりました。
ああ、そうだ。生きるんだ!
垂れ込めた厚い雲の向こうには眩しい光が待っている。
突き抜けた先で、空にかかったたくさんの虹。
目の当たりにする生命の底力。
フィニッシュと同時に、あちこちからブラボーの声があがりました。
全身全霊で演奏していた牛田くんは
疲労困憊という感じで、挨拶を終えると袖に姿を消しました。
無理もありません。
まるで、命を削るような演奏だったもの。
平日の夜だからでしょうかね。
今回も、1曲目のあとに急いで席に着く人の姿がちらほらありました。
『熱情』
第一楽章の印象は
「華やかな狂気」。
「熱情」の第二楽章は
安らかなメロディでありながら
手放しでくつろげる安心感とはどこか違って
苦しみの最中(さなか)の、一時的な逃げ場のような印象があります。
ちょうど冒頭でリブログした8年前の記事を書いた頃がそうだったのですが
頭の中で大音量で鳴り響く耳鳴りに苦しんでいた頃
じっとしていると気が狂ってしまいそうで、恐ろしくて仕方なく
恐怖から逃げ出すように、毎朝、まだ暗い川沿いを走っていた時期があります。
なんとか一日をやり過ごし
布団に入って眠りに就いてから
翌朝目覚めるまでの数時間だけが
そんな恐怖から一時的に解放される時間でした。
こんな私とベートーヴェンを重ねるのはあまりに図々しいけれど
もしかしたらベートーヴェンも
同じだったのではないのかな。
夜明けと共に苦しみが待っている。
でも、せめて今だけは
ほんの束の間でも…。
第三楽章
駅伝の中継所で、足踏みしながら待っていたランナーが
たすきを受け取った瞬間、全速力で走り出しました。
体内を駆け巡る血潮のように
熱い情熱を漲らせ
けれど、軽やかに。
温泉に浸かるように、束の間ゆったりと息をついたと思ったら
「来るなら来やがれ!」
と、大災難が襲いかかる自分の運命を
どこか楽しんでさえいるかのように。
牛田劇場だ…。
まるで自分の存在を一切消し去って
紙芝居や人形劇の黒子のように
次々に展開する鮮やかなドラマを見せてくれている。
ああ、すごい。
これが牛田くんのベートーヴェン!
会場の温度が上がり
今度もブラボーの声があちこちから上がりました。
またしても、疲れた様子で挨拶する牛田くん。
袖に入ってからも拍手は続き
ドアの向こうから、右手を軽く胸に当てて登場しました。
2階席や、後ろのバルコニー席にも挨拶をすると
身体を2つに折って深々とお辞儀をし
胸の前で両手を合わせました。
ブラボー!牛田くん。
鍵盤に覆いかぶさるようにして演奏していたベートーヴェンの前半と
後半のショパンは、まるで身体の使い方が違いました。
リズムを取るように前後に身体が揺れて
その都度茶色い髪が跳ねます。
スケルツォ1番。
どこかジャズっぽくて斬新。
茅ヶ崎で聴いたときは、とてもこんなふうに感じる余裕はなかったけれど
他の人の演奏で同じ曲を聴いても、まるで参考にならないくらい牛田くんのスケルツォは独得。
ともすればバラバラに崩れてしまいそうな音楽を
絶妙なバランスで調和させているような。
手と足を、別の人物が操っているマリオネットのような。
「ゲシュタルト崩壊」の言葉が脳裏に浮かびました。
なるほど。だから「スケルツォ(冗談)」なのね。
きっとショパンは、こんなふうにサロンでお洒落なスケルツォを演奏して
聴く者をうっとりさせたんだろうなあ…。
弾き終わると思わず拍手が起こり
牛田くん、律儀に立ち上がってお辞儀をしました。
スケルツォ2番は、繊細でドラマチックで本当に素敵でした。
むかーし姉が冒頭ばかりを練習するのを聴いて
「陰気くさい曲」と
まんが「日本昔ばなし」で暗い話が始まった時のようなガッカリ感を感じていた私は
当時この曲がショパンだということさえ知らずに、とにかく好きではなかったけれど
何年か前、中学生の牛田くんのこの演奏を聴いて印象が変わり
さらに今日この演奏を聴いて、完全に私の中の「スケルツォ2番」のイメージが革命的に塗り替えられました。
それに、土の中で蠢く芋虫みたいだった姉のそれとは違い
牛田くんの弾くナポリの6度は軽やかでオシャレ!
あまりに素晴らしい演奏に、今度は「ブラボー」の声まで飛び
牛田くんはまた立ち上がってお辞儀をすると、一度袖の中に入りました。
拍手のない方が集中が途切れなかったのかもしれないけれど
茅ヶ崎の時は、全くつけいる隙がない感じに一気に4曲駆け抜けたので
置いてけぼり感が半端なかった私としては、ちょっぴりホッとしました。
重厚なブロックを積み重ねるようなユニゾンで始まる第3番は
キラキラと降り注ぐ音の粒子がとても美しく
冬の森のダイヤモンドダストみたい。
そして、どの曲もそうですが
牛田くんのスケルツォは、他の人の演奏では聴こえない内声がたくさん聴こえてきて
いつもはピアノの中に隠れている妖精のおしゃべりが聴こえてくるみたい。
フフン。見てろよ世界!
『まあ、みていろ。21世紀は「Tomoharu Ushida」の時代だから。』
2年前、ジャズ・ピアニストの保坂修平先生が書かれたブログの言葉を思い出しました。
(リブログさせていただきました)
小舟に乗って靄(もや)の中を滑り出すように始まる第4番。
4つのスケルツォの中で、唯一この曲だけが長調です。
高音で細かく踊る音色は
トゥシューズを履いた小さな妖精が、鍵盤の上でつま先で踊るダンス。
やがて、恵みの雨が降り注ぎ
おおらかに大地を湿らせる。
不思議。
茅ヶ崎の時と、まるで印象が違う。
茅ヶ崎の初披露から18日。
聴く側の私の状態ももちろんあるとは思いますが
あのときよりも、ずっとずっと、曲を自分のものにしている感じがします。
もうすっかり、牛田くんの身体にも心にも、馴染んできている感じ。
すごいなあ…。
今回は、4曲とも弾き終わると挨拶をしましたが
ものすごい集中力で、すっかり自分の世界に入り
自分とピアノだけの世界にいるような印象を受けました。
4曲すべてが終わると、当然、大きな拍手と共にブラボーの声が上がりました。
アンコール。
今日はきっと「トロイメライ」を弾く。そんな気がしてました。
でも、1曲目のこの音色は…
やった!大好きな大好きな、シューマンピアノソナタ第1番第2楽章
この曲を聴くと、なぜだか私は
無条件に牛田くんの幸せを祈りたくなります。
今日も幸せな時間をありがとう。
あなたは今、どれだけの人を幸せにしているのだろう。
今、この演奏を聴いている人達が、幸せを家に持ち帰り
きっと家族や職場の人達に優しくなれる。
そして、その職場の人達や友人が、自分の周りの人に優しくなれる。
そうやって、幸せの輪が広がっていく…。
あなたがこの先、さらに高名な音楽家になるのを私は知っている。
どんなに遠くに行ってしまっても
見守っているよ。
遠くから、エールと拍手を贈り続けるよ。
母のようなホールで聴いているせいか
母のような気持ちで、彼の幸せを願いました。
最後は、優しく 優しく
白い砂浜に足あとを残すように終わりました。
2曲目のアンコールは、パデレフスキのノクターン。
あれ?トロイメライじゃなかった。
…ということは、3曲目にきっと弾いてくれるのね。
夜のサロンにいるような、お洒落なノクターン。
並木道を車で通り過ぎるとき
木立の向こうから窓越しに入る光と影が
交互にまぶたに降りかかるような
なんとも言えない心地よさでした。
あ、当たった。
3曲目にトロイメライ。
弾く前と弾いたあと
両手を合わせて小さなガッツポーズの大人挨拶。
消えゆく命を両手ですくい上げるような
慈愛に満ちた弱音の美しさが半端なく
客席のあちこちから、すすり泣くのをこらえる鼻息が聞こえてきたような気がしました。
最後の音の命の行き先を静かに見守るような
優しい優しい終わり方でした。
シューマンアリア、ノクターン、トロイメライ…。
今回のプログラムは、3月の時よりちょっと硬くて重いから
アンコールには柔らかな曲を選んでくれてるのかな…。
ああ、やっと聴けた。牛田くんのピアノ(T^T)゚。
北九州から2週間。
いろいろあったし長かった~!
やっぱり私には、牛田くんのピアノは必要不可欠です。
神奈川芸術協会のポスト
【アンコール情報】
— 神奈川芸術協会 (@kanagawageikyo) September 19, 2023
9/19 ミューザ川崎シンフォニーホール
夜ピアノ 牛田智大 ピアノ・リサイタル
シューマン :ピアノ・ソナタ第1番 嬰ヘ短調 Op.11より 第2楽章
パデレフスキ :作品集(ミセラネア) Op.16より 第4曲 ノクターン
シューマン:トロイメライ#牛田智大#ミューザ川崎#夜ピアノ
そしてそして…
皆さま、もうお読みになりました?
せんくらの公式サイトに牛田くんが初めてのブログ(9.20)を書いてます
こちらにコピペ残しておきます。
2023.09.20
出演アーティスト 牛田智大さんからのメッセージ
暑い日が続きますが、皆さまいかがお過ごしでしょうか。
牛田智大です。「せんくら」には2012年の初参加から今回で5回目。
いつも温かく迎えてくださる仙台の皆さまと過ごせることをとても楽しみにしています。
そしてせんくら名物のこのブログ。ついに初登場となりました。
何を書いてもいいとのことなので、私の自宅でもっとも人気なアイテムを紹介したいと思います。
それは「アイロン台」。
横90×縦37、高さが25cmから78cmの間で13段階にわたって調節できるものなのですが、引っ張りだこのアイテムなのです。
通常の使用ではそれほど出番がないこのアイロン台。
しかし、ソファに座ったとき実にちょうど良い高さにパソコンを置いて作業することができることに気づきました。毎日のメールのやり取りやこのブログを書いたりする作業のとき、アイロン台の上にパソコンを置くと、ソファに座っていても無理のない姿勢を保つことができ作業が捗ります。表面がクッション材と明るい布カバーに覆われているので、腕や手首があたっても柔らかく非常に快適な作業をすることができます。
そしてもうひとつ。なんとピアノで譜読みをする際にも、鍵盤に直角になるようにアイロン台を横に置くと、よい感じに肘をついたり、参考書籍を置いたり、いくつかの異なる版の楽譜を並べて作業をすることができるのです。もはやアイロン台は私にとって譜読みをするときの必須アイテムになっています。
さらに、それほど面積は広くないにもかかわらず、猫にとってもお気に入りのくつろぎスペースにもなっています。
もちろん本来の用途も忘れてはいません。アイロン台ライフを満喫していると、どこからか「アイロン台返して!」という呪文が聴こえ、一瞬にして持ち去られてしまいます。
猫と私と一緒に1日の大半を過ごしているわが家のアイロン台は、今となってはシャーペンの芯やボールペンのインク跡、消しゴムの擦れ跡、そして猫の毛だの爪だのが絡まり引っかかり穴だらけ。たまにお茶やジュースなんかこぼしたり。なかなか年季の入った姿に変容し、白いYシャツにアイロンをかけるのはちょっと躊躇わざるをえないものに。
かくして我が家には、なんと本来の用途のためのアイロン台がさらにもう1台新設されることになったのでした。
結局のところ猫の写真を載せたかっただけのような気もしないではありませんが、私のブログはここまで。せんくらで皆様とお会いできるのを楽しみにしております。会場でお待ちしております!
牛田智大
きゃーきゃーきゃー
インタビューの時は難しいこといっぱい言ってるのに
牛田くんの文章、軽快でテンポよくてユーモアがあって素敵~!
1回限りと言わず、いっそのことブログ始めてくれないかなあ
コンサート情報です。
3月21日(木)18時45分開演
リサイタル
豊田市コンサートホール(愛知)
♪シューマン:クライスレリアーナ op.16
♪ショパン:即興曲 第1番op.29、第2番 op.36、第3番 op.51 ほか
次のシーズンのリサイタルですね!
新曲来ましたよ~っ!(≧▽≦)
(^-^)ノ~~