この馬を語るに一般メディアは必ず、「中央競馬はエリート、地方競馬育ちは雑草」という捕らえ方をするが、これは未来永劫変わらないのだろう。
自分もこの馬のおかげで、地方競馬にも興味を持ち始め、新潟にも地方競馬があり、当地からオグリキャップのような馬が出てほしいという気持ちで新潟県競馬を応援していた。
記憶は薄れているが、91年、92年あたりのJRA機関誌「優駿」の読者の投稿欄で「競馬の未来」を募るものがあって、「中央競馬、地方競馬関係なくもっと自由に出走できるようにしてほしい」と書いたら採用されたことを思い出した。
それが意外に早く95年には実現した。
あの年、オグリキャップを生んだ笠松から移籍することなくJRAに登場したライデンリーダーが報知杯4歳牝馬特別でごぼう抜きの圧勝に帝王賞の出走がなく「本当に強いの?」って感じだった岩手のトウケイニセイがライブリマウント等のJRA、南関東の強豪との対戦が実現して、わくわくしたものだった。
また、ライデンリーダーの騎乗等で安藤勝己騎手の存在感が全国的に増し、地方からJRAへ移籍できる道を確立するきっかけになったのもこの年だった。
95年をきっかけにダート競走の体系化が整備されたわけだが、オグリキャップは帝王賞に出ていても勝っていたと思われます。
芝で実力を発揮した地方調教馬にコスモバルクがいたが、世間を巻き込むほどの人気馬にはならなかった。
大衆を巻き込む程の人気馬がこれから現れるのかどうか?
そうゆう意味では地方競馬が減りすぎて、そうゆう土壌がなくなっている気がしている。
写真は、89年のジャパンカップのパドック。生写真ですよ。
現地、人ごみの中見てましたが、2着だったけど2400mを2分22秒2で走ったのは驚きでしたね。
