②「被災地のリレー」の

                             視点から
 
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"災害は潜在的な社会変化を
    顕在化し加速する"
 
 
大矢根 淳・渥美 公秀
「災害社会学における研究実践」
浦野正樹ら(編)
『災害社会学入門』弘文堂より
 
 
この言葉を少しかみくだいてみると、
災害が起こると、
日々の生活があぶり出される
ということです。
 
 
 
例えば、災害が起こると
障害がある人は、逃げにくい
逃げ遅れてしまう可能性があります。
 
個人情報保護の為に、
その人が障害者であることは、
誰も知らなかった、
民生委員の人だけが知っていて、
支援をしていた…
 
 
こうして、日々の暮らしの中で
気づかないうちになされてきたことが、
あらわになることがあるのです。
 
 

もちろん、そうした悲しい出来事が
起きないようにと、
 
「では、要支援マップを作ろう!」
「障害者をまず最初にお助けしよう」
 
といった活動が生まれることがあります。
 
 
でもそうやって、
明らかなルールを作ると
「じゃあ、その人がやればいい」
となる。
 
「助け合い」から
遠ざかってしまうのです。
 
 
 
 
 
 
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このように、私たちは
過去の災害から学習し、
未来への備えや構えを作ってきました。
 
しかし、
阪神・淡路大震災の経験から紡いだ
「知恵」が
 
新潟県中越地震では
活かせなかった、
ということが起こりました。
 
 
 

ご縁をいただいて
通わせていただいている
新潟県小千谷市の
塩谷集落のお話をさせてください。
 
 
この集落には、もともと49世帯、
200人ほどが暮らしていましたが、
災害が起こり、
約半分の人たちが、この地に
戻ることを断念された
という地域です。
 
 
 
なぜ、
阪神・淡路大震災で得た「知恵」が
新潟県中越地震で活かせなかったのか…
 
 

 
その背景には、神戸の復興では、
「現地再建」を前提に
進められた為です。
 
 
「現地再建」とは、
被災した現地を、
もう一度、暮らせるように
作って行くということです。
 
 
例えば、
 
高速道路が倒れた→道路を作ろう
ビルが倒れた→ビルを建てよう
家が倒壊した→どうやって住むか考えよう
 
 
このようにもう一度
街を作って行こうとする動きが
「現地再建」です。
 
 
 
豪雪地帯である
新潟県…
 
そのような地で災害が起きたのは、
10月23日、
これから長い冬を
迎えるという時期でした。
 
災害は、発生時期、
発生時刻などが、
その後の復興、復旧の過程に
影響を与えます。
 
 
「もう一度、あの雪の暮らしに、
    果たして、戻りたいか?」
 
「豪雪地帯に戻って、住むよりは
   別の場所へ」
 
 
そうして悩み、迷う中で、
年度末という区切りが、
住民の方々の決断を
焦らせることにもなりました。
 
結果として、今は18世帯、
60名ほどが暮らす集落となりました。
 
ただ、集落を離れた方々も含め、
交流する拠点が整備され、
住民のみなさんが主役となる活動も
なされるようになりました。
 
 
 
つまり、
故郷への思いは決して消えない。
 
故郷への思いは
ずっと持ち続けているのです。
 
 
そこで、私と共に学生たちが、
その地へ赴き、
一緒に田植えをしたりして
地域の方々と、心の交流を続けています。
 
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これらの写真は、私も学生たちと共に
楽しませていただいた場面ですが、
SNSでつながっている方々からは、
私がお邪魔していないときの様子を
届けていただいています。
 
 
 
 
 
「恩返しではなく、恩送り」
 
「恩返し」は、リターン、
お世話になったことを
お返しするということですね。
 
 
「恩送り」は、
お世話になったことを、
次の被災地に送って行く、
ということです。
 
西宮から、小千谷へ
小千谷から、刈羽、野田
そして、南相馬へ。
 
そして、まだ災害が起こっていない
未災の地へ…
 
こうした動きを、
大阪大学の渥美公秀先生は
「被災地のリレー」と呼んでいます。
 
災害を経験するたびに、
リレー走者、伴走者が
増えてきているのです。
 
 
だからもし今後、関西で
災害が起こったら、
支援の矢印が
関西に向くということです。
 
 
その支援を、どう受けるか…
支援を受ける構えを作って行くことが
防災をする上で重要なのです。
 
 
 
……
 
③につづく。