おかげさまで5/5は、ともちゃんこと次男の初節句でした。
と言っても特にお祝い事を行う訳でもなく、五月飾りの兜も長男と共用です。
こんな時、2人目も男の子で良かったなぁ~なんて思っちゃいますよ。
2人目は女の子で、お雛様を飾るって言ったら部屋をさらに人形に支配されちゃいますもんね。
2人目は女の子で、お雛様を飾るって言ったら部屋をさらに人形に支配されちゃいますもんね。
でも、着る服も長男と同じで経済的ぃ~って思っていたけど、
夏生まれの長男に対し冬生まれで、ほとんど服は流用できなかったのは誤算。
夏生まれの長男に対し冬生まれで、ほとんど服は流用できなかったのは誤算。
ただ、3ヶ月次男はもうすでに7kg超え!
例え同じ季節に生まれていてもどんどん着られる服が無くなっていっているほど大きく育っていますよ。
例え同じ季節に生まれていてもどんどん着られる服が無くなっていっているほど大きく育っていますよ。

で、GWは生まれて3ヶ月しか経っていない次男もいるので、特に遠出する予定はたてていなかったのですが、
次男の初節句となる5/5にはちょっと行ってみたいところがありました。
それはボクの育った地「春日部」。
今我が家が住んでいる大宮から電車で20分。
この4/1から東武野田線から「アーバンパークライン」とちょっと無理あるハイカラな名称となった線ですが、
これまでJ1リーグの「柏vs大宮」の一戦は「野田線ダービー」と言われていたのに
今年から「UPLダービー」とかになるのでしょうか?
これまでJ1リーグの「柏vs大宮」の一戦は「野田線ダービー」と言われていたのに
今年から「UPLダービー」とかになるのでしょうか?
まあそれはさておき、この春日部に何しに来たかといいますと、
春日部は藤の花がキレいに咲く事で密かに有名なんですよ。
春日部は藤の花がキレいに咲く事で密かに有名なんですよ。

春日部駅のお隣には、「藤の牛島」という小さな駅があるのですが、
毎年4月下旬からGWまで観光客で大賑わいとなるんです。
なぜならそこには国の特別天然記念物に指定されている
樹齢1200年以上といわれる日本最大級の藤の古木がキレいな花を咲かせるからなんです。
樹齢1200年以上といわれる日本最大級の藤の古木がキレいな花を咲かせるからなんです。
たった一本の古木が咲かせる700㎡もの藤の花の絨毯は圧巻で、
普通のカメラのレンズでは納まりきれないほど。
普通のカメラのレンズでは納まりきれないほど。
ただし、その「藤花園」に入るには入園保存料、大人1,000円がかかるんですよねぇ。

「藤の花」は春日部市の花であり、実はわざわざそこまで由緒ある藤を見に行かなくても
街中に藤棚があって、この季節は鮮やかな藤色の屋根をどこでも見られたりするんですよ。
なので、ボクらが来たのは春日部駅の西口から、大沼グランド方面に藤棚が1kmほども続く「ふじ通り」。
ここでは毎年「藤まつり」というものが開催されていて賑わっています。
今年も4/28にお祭りが開催されていたのだから、
まだ5/5であればキレいな藤の花を見上げる事ができるだろう・・・
と、行きあたりばったりで期待したのが大間違いでしたぁ~
まだ5/5であればキレいな藤の花を見上げる事ができるだろう・・・
と、行きあたりばったりで期待したのが大間違いでしたぁ~

電車を降りて春日部駅前にある藤棚を見て嫌な予感がしたんですよねぇ。
いざ「ふじ通り」に行ってみると道路の左右に並ぶ藤棚は藤色どころか、青々とした緑色!
所々に花はまだささやかに残っていましたが、明らかに旬は過ぎていました・・・
ガビ~~~ン! 調べもせずに行って大失敗!
ガビ~~~ン! 調べもせずに行って大失敗!
きっとこれだけの藤棚に花が咲いたらさぞかしキレいなんだろうなぁ~と皆で想像力を膨らませ、
春日部駅前にあるイチョウと松の木が根元で一緒になっている珍しい神木「秋葉神社の夫婦松」を
ありがたく眺めましたとさ・・・
春日部駅前にあるイチョウと松の木が根元で一緒になっている珍しい神木「秋葉神社の夫婦松」を
ありがたく眺めましたとさ・・・

って、これだけじゃ次男の初節句は冴えないものになっちゃいますが、
実は春日部にはもう1つ目的があったんです。
実は春日部にはもう1つ目的があったんです。
それは毎年5月の3日と5日に開催される「春日部大凧あげ祭り」を見に来たんですよ。
自分の育った街の事を県外に出てから知るなんて不思議な縁ですね。
まあ昔は春日部市のお祭りでは無く、合併する前の庄和町のお祭りだったということもありますが。

会場は春日部駅から2駅先の「南桜井駅」で下車。
最近「南桜井駅」は「イオンモール春日部」のオープンで少し賑わっている様ですが初めて降りました。
そこからお祭り用のシャトルバス(片道100円)に乗って10分ぐらいの江戸川河川敷に到着すると、
想像以上に広々とした河川敷広場に、のんびりと多くの見学者が集まっていましたよ。
想像以上に広々とした河川敷広場に、のんびりと多くの見学者が集まっていましたよ。
そして、凧を上げる方ものんびりと準備し、いい風が吹くまでのんびりと待機し、
さらに上手く凧が上がらなければもう一度のんびりとやり直す・・・
さらに上手く凧が上がらなければもう一度のんびりとやり直す・・・
なんだか春の陽気に合わせた様なホントのんびりとした雰囲気のお祭りです。
いや、きっと上げる人は力仕事ですし、何ヶ月もかけて作った凧も大きな想いが含まれているんでしょうけど。

ボクが以前見た新潟の「白根大凧合戦」はその名の通りそもそも合戦で、
昔、白根町の人が中ノ口川の堤防の改修工事の完成を祝って藩主から送られた凧を揚げたところ、
対岸の西白根に落ちて家や農作物を荒らしてしまい。
これに怒った西白根の人が対抗して凧を揚げて、
白根側にたたきつけたことから凧合戦が始まったと伝えられていて、
中ノ口川の両岸から畳24畳分の大凧を揚げ、空中で絡ませ川に落とし、相手の凧綱が切れるまで引き合う
まさにそのお祭りも勝ち負けのある白熱した戦い。
白根側にたたきつけたことから凧合戦が始まったと伝えられていて、
中ノ口川の両岸から畳24畳分の大凧を揚げ、空中で絡ませ川に落とし、相手の凧綱が切れるまで引き合う
まさにそのお祭りも勝ち負けのある白熱した戦い。
凧をあげる引き手も、『観光客なんか邪魔だ!』と言わんばかりの気迫で堤防を走りまわり、
何ヶ月もかけて作った凧は無残にも川へと次々に叩き落とされていく姿はケンカ祭り。
何ヶ月もかけて作った凧は無残にも川へと次々に叩き落とされていく姿はケンカ祭り。
この「春日部大凧あげ祭り」とはまったく別物言ってもいいでしょう。

そもそも起源からして「春日部大凧あげ祭り」は争い事とは無縁。
江戸時代の後期に、凧があがれば「繭の値段が上がる」と、
養蚕の豊作占いとして始まったのが最初。
養蚕の豊作占いとして始まったのが最初。
さらにその凧に周辺の男子出生のお祝いとして子どもの名前や家紋書いて
旧暦5月の端午の節句にあげるようにもなったそうです。
旧暦5月の端午の節句にあげるようにもなったそうです。
そう、実はその事を知っていて、次男の初節句にふさわしいと思って来てみたんですよ。
今でも初節句を迎える子どもの名を書いた凧をあげるという習慣はあるのですが、
申し込みは1月頃から行われていたそうです。
申し込みは1月頃から行われていたそうです。

また、のんびりしたお祭りではありますが、この凧がどんどん巨大化していったのには
一部で行われていた凧合戦が要因だそうですよ。
やっぱり大きい方が落とされにくいんでしょうかねぇ?
明治の初期には現在の大凧の半分くらいの大きさになり、今では縦15m、横11m、重さ800kg、
畳100畳分にも巨大化され日本一の大きさを誇るんだそうです。
明治の初期には現在の大凧の半分くらいの大きさになり、今では縦15m、横11m、重さ800kg、
畳100畳分にも巨大化され日本一の大きさを誇るんだそうです。
白根の大凧は縦7m、横5mの畳24畳ほどなので、その4倍ほど大きいってスゴいですね。
その大凧あげは各日の最後を飾るプログラムになっていて、
それまでは誰でもオリジナルの凧をあげて参加できる「全国凧あげ大会」や
地元の小学生が想いを書いた小凧を50人ほどであげる「小凧飛場」が空を賑わしています。
それまでは誰でもオリジナルの凧をあげて参加できる「全国凧あげ大会」や
地元の小学生が想いを書いた小凧を50人ほどであげる「小凧飛場」が空を賑わしています。
小凧って言っても縦6m、横4m、重さ150kgもあって、充分大凧ですが・・・

また、凧をあげるエリアには立ち入り禁止となっていますが、その側では露店や
「地元物産展」のテントが地上をにぎわせていましたよ。
そこにはこの「春日部大凧あげ祭り」の名物として作られテレビでも紹介されたB級グルメ
「大凧焼き」もありました。
「大凧焼き」もありました。
これは、本来なら丸く焼く「たこ焼き」を四角く焼いたもので
それにマヨネーズで大凧の文字が書かれている粉モンです。
四角い「お好み焼き」の蛸玉って感じかな。
それにマヨネーズで大凧の文字が書かれている粉モンです。
四角い「お好み焼き」の蛸玉って感じかな。
こういったその地ならではの試行錯誤したグルメっていうのもいいですね。

さて、いよいよ祭りのフィナーレ、大凧の登場です!
大凧は「下若組」と「上若組」があげる2つがあり、基本その時代に望む漢字など2文字が書かれているそうです。
まずは下若組の『景気』。
鐘を鳴らしながら堤防の上まで持って行き大凧を少し立ち上げ、その下にいい風が入り込むまで待機です。
鐘を鳴らしながら堤防の上まで持って行き大凧を少し立ち上げ、その下にいい風が入り込むまで待機です。
その間、観客は退屈になってしまいますが、そこは放送のちょっと微笑ましいトークを聞いて待ちます。
そして、いい風が吹いたら大将の合図で一斉に引き手100人が走り出します。
そして、いい風が吹いたら大将の合図で一斉に引き手100人が走り出します。
すると巨大な凧は立ち上がり、ゆっくりと空を覆うのです。
その姿はまさに怪鳥! 迫力がありますねぇ~
その姿はまさに怪鳥! 迫力がありますねぇ~

つづいて上若組の大凧『上昇』の番でしたが、こちらはその文字と異なり短時間しか上昇しませんでした・・・
でも凧が壊れない限り何度も挑戦するようで、時間をおいて2度目の飛場の時には
風も強くなってきて絶好の状態になってきたようです。
風も強くなってきて絶好の状態になってきたようです。
下若組の『景気』は2度目も長時間あげる事に成功し、また見事に壊さずに着陸もしましたが、
上若組の『上昇』は何とかあがったのですが空中で安定せず、
それを立て直そうとして風に逆らったのか? バリバリバリ~!!と音を立てて空中分解してしまいました。
上若組の『上昇』は何とかあがったのですが空中で安定せず、
それを立て直そうとして風に逆らったのか? バリバリバリ~!!と音を立てて空中分解してしまいました。

一生懸命作って大空にあげたかった上若組には申し訳ないですが、
これもこれで潔く祭りの最後として会場は盛り上がっちゃいましたよ。
まあ、『景気』はちゃんと空に上昇したので、OKでしょう♪
こんな己の風を読む力を信じ、流れに逆らわず、誰かが落とそうと邪魔する事もなく、
優雅に大空を舞う春日部の大凧の様に。
優雅に大空を舞う春日部の大凧の様に。
次男もそんな人生を昇っていって欲しいです。

そして「春日部」と言えば世界的にも有名な「クレヨンしんちゃん」の主人公家族
「野原一家」が住む街でもあります。
実際、春日部市の特別住民として登録され、特別住民票も発行されているんですよ。
「野原一家」が住む街でもあります。
実際、春日部市の特別住民として登録され、特別住民票も発行されているんですよ。
なので「ララガーデン春日部」の3階にある「クレヨンしんちゃん」のアミューズメント施設
「嵐を呼ぶブリブリシネマスタジオ」にも寄ってみました。
「嵐を呼ぶブリブリシネマスタジオ」にも寄ってみました。
ちなみに作品の中では「アララガーデン」として登場します。

ここは「クレヨンしんちゃん」の映画を撮影したスタジオという設定で、
場内のスクリーンでは過去の映画の上映やポスターの展示だけでなく、
その作品で実際に使われた小物や衣装なども飾ってあるんですよ。
って、何がスゴいのか?って、これアニメですから!
って、何がスゴいのか?って、これアニメですから!
「実際に使われた」って、ホントは無いのにこのこだわり、いいッスねぇ~♪

その他、様々なオブジェもあって一緒に写真撮影もでき、ファンにはたまらない施設でしょうね。
って、ボクも長男も「クレヨンしんちゃん」はよく知らないのですが
入場無料で、さらにちょっと無料で遊べるものもあるので、
相方が次男と買い物に行っている間に長男の退屈しのぎにも最適。
入場無料で、さらにちょっと無料で遊べるものもあるので、
相方が次男と買い物に行っている間に長男の退屈しのぎにも最適。

4回目の端午の節句を迎えたたっちゃんこと長男は、日々元気で毎日賑やかに走り回っています。
こちらはまるで春日部のしんちゃんの様に育っていますよ。