夢と力と欲が集まる金の山 | 馬の会長日記

馬の会長日記

「馬の会」の会長“のみ”の気まぐれ日記。
競馬はもちろん、前に住んでいた新潟のこと、
今住んでいる埼玉のこと、趣味の旅行に、
アルビレックス新潟、グルメなどなど
その時思ったことを気ままに更新してま~す。

先日の「海の日」を含む7/17(日)18(月)に家族3人1泊で、
いつも眺めているけどなかなか訪れる事のなかった島「佐渡」の旅に行ってきました。

お昼頃「両津港」にカーフェリーで到着。
相方の車で島南端、「小木」や「宿根木」を目指し、情緒ある港町と「小木そば」を堪能しちゃいましたぁ。

「小木」の名物としてもう一つ有名なのが「たらい舟」。
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小木海岸では岩礁と小さな入り江が多いため、小回りが利き、安定感のある洗濯桶を改良した
「たらい舟」で現在でもサザエやアワビ、ワカメなどを獲る「磯ねぎ漁」に使われているのですが、

この写真の様に漁船としてではない、女船頭さんも一緒に乗ってくれる
一回り大きい観光用の「たらい舟」もよく見られます。

ちなみにこの写真に写っている小木港「力屋観光汽船」の「たらい舟」の
乗船運賃は4才以上(300円)、中学生以上(450円)、乗船時間約7~8分です。


さすがに2時間以上フェリーに乗ってきて、
相方と息子を置いてまでまた舟に乗りたいとは思えず今回はスルー。

再び真野湾の海岸線、国道350号を北上しました。

この海岸線には様々な無数の奇岩、絶壁は連なっているのですが、
途中の「越の長浜」というところにこんな奇岩スポットがあります。

これ、何に見えますか・・・?
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そう、『人面岩』って書いてありますね。

この高さ10mほどの岩は別名『佐渡のモアイ』とも呼ばれているのですが、
特に昔から語り継がれる伝説などはなく、いつの間にか観光スポットとなっちゃったようで、
佐渡市観光協会も「そんなに人気があるのなら・・・」と後から看板を設置したそうなんです。

ボクが車から降りて写真を撮っている時も、走ってきた観光バスがここで
スピードを落とし、何やらガイドさんが説明していました。

降りるまでもない車窓から見る観光スポットというところなんでしょう。

バスの中からみんなカメラをこちらに向けてきたので、
ボクも岩の向きと同じ横顔になって立っててあげました。

え? ボクもしかして邪魔・・・?


最近では『この「人面岩」にキスをすると恋人が出来る』という噂があるらしいのですが、
いったい誰との間接キスになるのかわからないので、それはちょっとね・・・


さあ、寄り道もしつつも佐渡にきたからにはここに来ないと佐渡に来た気がしません。
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到着したのはこの日の最終目的地「相川」にある「佐渡金山」です。

って、相方は幼いときに来て以来なのですが、ボクもう3度目なんですけど・・・

でも、初めて来た時よりも2度目、そして以前来た時よりも今回の方が、
建物や通路、ガードレールまで木調になってたりしてどんどんキレイになっている様です。

これはやっぱり積極的に「世界遺産登録」を目指しているからなんでしょうね。

それに、昔は江戸時代の採掘の様子を約70体の電動人形で再現した
「宗太夫坑コース」(そうだゆうこう)しか無かった様な気がしますが、

もう一つ明治から昭和の佐渡鉱山の採掘の様子がわかる「道遊坑コース」(どうゆうこう)
というのが出来てましたよ。

それぞれ入場料は、高校生以上(800円)、 小中学生(400円)。
2ついっぺんに見学できる共通券は、高校生以上)(1,200円)、中学生(600円)です。

新しいコースもスゴい興味はあったのですが、
もう閉園間近で両方見ると所要時間約80分かかっちゃうそうなので、
今回も基本の「宗太夫坑コース」だけにしておきましたよ。
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うわぁ~、この人形、初めて見る訳じゃないけど暗いし結構リアルですねぇ。

こりゃ、息子泣くぞ・・・と思ったらありゃりゃ!?

Z・Z・Z・・・涼しくて暗い所に入ったら即行眠ってしまいました。

まあ、ボクらにとっては泣かれると困るので、ナイスタイミングなんですけどね。

もちろん坑道はベビーカーや車いすなどでは行けない上り下りの激しいところなので、
息子を抱っこしての見学もいいトレーニングです。


人形が怖いって言ってもボクはこれまで大きな誤解をしていました・・・2度も来ているのに。

「佐渡金山」は1601年に金脈が発見され、江戸時代には江戸幕府の「天領」となり、
最盛期には金が1年間に400kg、銀が40トン以上採掘される日本最大の金山とされ、
その豊富な産金量で300年にわたる幕府の存続を支えてきたのです。

そしてその景気にわく佐渡を目指して、全国各地から鉱山技術者や商人、労働者たちが集まり、
それまで百姓の村だった島に突如人口5万人とも言われる大都市が生れたのです。

それがここ「相川」。

まさに、当時の佐渡は「黄金に輝く夢の島」だったんですね。
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ボクはこれまで当時ここで働いていた人々は、罪人とかが強制労働させられていた
悲しくて苦しい思いをした人ばかりかと思っていましたが、

金穿大工などは特に優遇され、採掘は4時間ごとの交代制で、
このような休憩所での休憩時間もとれ、しかもかなりの高給だったといいます。

さらに坑内から出ると「相川」の歓楽街で、
酒や賭博、流行の派手な身なりで贅沢な暮らしをしていたそうなんですよ。

『馴染みの女にも会いて~なぁ~』って名言を人形がしゃべっているのは
ここに訪れた事ある方なら耳に残ってると思いますが、そういう背景があってのセリフなんですね。

なんだよ、同情しちゃってソンしたよ。


ただ、石粉を吸うような過酷な労働条件であったのは確かなので、
短命の人が多かったのも事実だそうですが。
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しかし、江戸時代後期になるとより深いところを掘り進め、
海面よりも下になると湧水も多くなり、排水作業が難解になってきたそうなんですよ。

そのために人手不足になり水替人足として「無宿人」と呼ばれる者が江戸から約1,800人、
大坂、長崎からも送られてきて隔日交代の一昼夜勤務と重労働を強いられたそうなのです。

この「無宿人」と呼ばれる人がどの様な人なのか、実態は明らかにされていないのですが、
『10年の水替を勤め上げて郷里に戻った者や、そのまま佐渡に定住し、普通の生活に戻った者もいました。』
と、記されていることからも、逆にここで命を落とした人も多かったことを意味してますね。

この写真の水の中にはお賽銭みたにお金が入っていましたが、
このお金は不慮の事故により坑道内で亡くなった「無宿人」たちを供養する
毎年4月第3日曜に行われる「無宿人供養祭」などで使われるそうです。

人の手で掘った坑道の総延長は約400kmに及ぶのですが、観光ルートの「宗太夫坑コース」は約280m。

これで、地上の日の光の下に出てきましたぁ♪

たった30分ほど穴の中にいただけなのに、この安心感・・・やっぱりお日様の力は偉大です。

さて、坑道を出ると当時の仕事や生活の様子や、佐渡小判の出来るまでの工程がわかる資料室があり、
その後待っているのは、恒例のチャレンジコーナァ~!
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アクリルの箱の中に重さ12.5kgもある金塊が入っていて、
直径10cmぐらい穴から道具を使わずに素手だけで外に出せたら記念品がもらえるんです。

『記念品より、この金塊をもらって帰っちゃえばいいじゃん!』と思うのですが、しっかりと監視カメラつき。

いったいこの金塊、いくらになるんだろう?


さて、もちろんボクも、骨折していない右手でチャレンジ。

片手で12.5kg持つのもなかなか大変ですが、腕と金塊をいっぺんに引き出すには、
この直径10cmの穴は小さすぎてつっかかってしまいます。

かといって、指先だけの力では持ち上がりませんよ。

何度やっても無理でした・・・ふ~ギャラリーも多かったし、汗かいたぁ~

これは腕の力があって腕の細い人か、強靭な指先の力ないと無理ッスね。

過去には女性の方が成功したことがあるんだってさ。

ちなみに相方には持ち上げることすら出来ませんでした。

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汗かいてノド乾いて次に行ったら、最後はお待ちかね観光地恒例お土産ゾーン。

そこで、サービスでもらった冷たい金箔入りの柚子茶がとっても美味しくて、
みごと思惑通り金箔柚子茶を買ってしまいましたよ。

ん~うまくできてるねぇ。

ここでは当たり前の様に高価な金グッズも売っているので、ぜひお金持ちの方は
旅の思い出に18金の耳かきなどいかがでしょう?


そして、外に出るとお茶屋さんもありちょっとここで小休止。

階段を上り下りしてきたから丁度いいところにあるってもんですね。

で、やっぱりあった、ご当地ソフトクリーム。
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当然ここは「金箔ソフト」(300円)。

金箔振りかけりゃ、何でも「佐渡金山」名物になっちゃうんだからスゴいッスねぇ。

だけど、金箔の味なんてボクには感じられませ~ん。

気分ですよ、気分。

でも、アイスクリームとしての普通に美味しかったです。
金箔なくてもこれはオススメ!


観光坑道の目の前、第一駐車場から「大佐渡スカイライン」方面に
坂道をちょこっと上っていくとこんな魅力的なものがありました!
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「大立竪抗」(おおたてこうろ)、この要塞ちっくなたたずまい、かなり萌えます!

明治にドイツ人技術者を招いて開削した日本初の西洋式立坑なんだそうです。

この鉄製やぐらは昭和13年の日華事変に伴う金の大増産期に建設されたもので
平成元年の採掘中止まで大動脈として活躍していたそうですよ。

最終的に地表からは352mの深さまで掘ったらしく、東京タワーを逆さにしたほどの深さだと思うと
人の力だけで掘った「宗太夫坑」もスゴいと思いましたが、やっぱり文明の力って素晴らしいですねぇ。

さらに、それ以上にスゴいと思うのが人間の果てしない欲。

欲が人の力でここまで大きな穴を掘り進める事ができ、さらに人間の力をはるかに超える文明を造りあげた。

そしてその欲は、1つの山をここまで変えてしまいました。
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「道遊の割戸」(どうゆうのわれと)。

1601年から1989年まで、特に江戸時代は幕府の重要な財源になっていた時代、
金銀を求めてこの山の前や後からたくさんの坑穴を掘り、長い年月鉱脈を追ってきました。

そしてそのうち山の姿が二つに裂けてしまったかの様に変貌してしまったのです。

頂上部の裂け目の間隔は約30m、深さ74m。

この姿は、「佐渡金山」のシンボルになっていて、佐渡を訪れた時には欠かせない観光スポットとなりますが、
これを見るたびに、人間の力の偉大さと、人間の欲の限りなさを感じずにはいられません。
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さて、初日の観光はこれにておしまい! これから温泉宿にチェックインします。

もちろん、ご期待の入浴シーンもいっちゃいますよぉ! 

・・・つづくっちゃ。