過去にした旅を忘れないように、思い出しながら記し、
もう一度旅の気分を味わっちゃおう!という「過去旅ログ 第3弾」は、
2006年の9月23(土)~26(火)の3泊4日で行った国内旅行、「山陽地方の旅」のお話です。
もう一度旅の気分を味わっちゃおう!という「過去旅ログ 第3弾」は、
2006年の9月23(土)~26(火)の3泊4日で行った国内旅行、「山陽地方の旅」のお話です。
息子を授かってから大好きだった旅行もしばらくお休みなので、
今年もの~んびりと昔の思い出を振り返りながら再び旅気分に浸っていきながら書いてましたが、
昨年の暮れからちょっと足踏み状態でしたね・・・
今年もの~んびりと昔の思い出を振り返りながら再び旅気分に浸っていきながら書いてましたが、
昨年の暮れからちょっと足踏み状態でしたね・・・
もう日も暮れてきたので早く予約した宿に行って疲れを癒したい。
それなのに、しばらく筆は止まっていました。
一緒に過去ログ旅をされていた方、お疲れのところ大変申し訳ありません。
一緒に過去ログ旅をされていた方、お疲れのところ大変申し訳ありません。
再び旅のはじまりです。
「尾道駅」からJR山陽本線に乗って東へ。
「福山駅」で下車し、到着したのはもちろん「福山競馬場」・・・
「福山駅」で下車し、到着したのはもちろん「福山競馬場」・・・
ではなく、それを気にしながら横目に鞆鉄バス(トモテツバス)にゆられて約30分、
「鞆の浦」というバス停で降りました。
「鞆の浦」というバス停で降りました。
国内屈指の景勝地と言われる「鞆の浦」ですが、辺りは不安になるほどの真っ暗闇。
ここはとりあえず宿泊先の「景勝館漣亭」にチェックインです。

ロビーの囲炉裏でお茶をいただき、相方は女性だけの無料サービスの色浴衣を選び、
ちょこっと落ち着いたらもう時間も時間なので、すぐに夕食です。
ちょこっと落ち着いたらもう時間も時間なので、すぐに夕食です。
ここ「鞆の浦」は広島県の東から瀬戸内海にせり出す沼隈半島の南端にあるところ。
目の前が瀬戸内海だけに、海の幸を存分にいただきましたぁ。
目の前が瀬戸内海だけに、海の幸を存分にいただきましたぁ。
ク~~~ッ! サイクリングで疲れた身体にビールが染みるぅ~♪
そして、さらに楽しみなのは泉質が単純弱放射能冷鉱泉「鞆の浦温泉」です。

ラドンの含有量が基準より多い良質な鉱泉の「ラジウム温泉」は
まさに筋肉痛や関節痛、疲労回復に効果があるそうですよ。
まさに筋肉痛や関節痛、疲労回復に効果があるそうですよ。
これでボクの「HP」は完全回復です♪
目の前には真っ暗ですが波の音が聞こえ、露天の舟形のお風呂に浸かると
まるで波に揺られている気分になりましたよ。
まるで波に揺られている気分になりましたよ。
そして、普段は夜更かしするボクですが「尾道」の疲れと、
それを癒してくれた温泉とお酒で早い時間にとろけるように眠りました。
それを癒してくれた温泉とお酒で早い時間にとろけるように眠りました。
Z・Z・Z・Z・Z・Z・Z・Z・Z・Z・Z・Z・・・

旅行4日目のボクの朝はまだ瀬戸内海に太陽が顔を出す前に始まるのです。
昨夜はまったく見えなかった景色がだんだんと姿を現してきます。
でも、起きたらまずとりあえず温泉でしょ!
「鞆の浦」にある「鞆祇園神社」(沼名前神社)には、病気回復や健康促進の効果があるとされる
「幸水」という水不足の時も涸れる事のない水源があり、大切にされてきました。
「幸水」という水不足の時も涸れる事のない水源があり、大切にされてきました。
「鞆の浦温泉」はその水源と同じ泉質で飲泉としても効果が期待でき、
2002年に開湯とわりと新しい温泉ですが、1つの源泉から4軒のみの旅館に供給されているという
とっても貴重な温泉なんですよ。
2002年に開湯とわりと新しい温泉ですが、1つの源泉から4軒のみの旅館に供給されているという
とっても貴重な温泉なんですよ。
ん~、寝起き固まった身体がゆっくりほぐれていくぅ~♪

そして、湯冷ましに朝食の時間まで散歩にGO!です。
宿を出ると目の前には静かな瀬戸内海に浮かぶ「仙酔島」「弁天島」「皇后島」など小さな島々があり、
まるで絵に描いたような景色が広がっていました。
まるで絵に描いたような景色が広がっていました。
小高い丘の上にある「福禅寺」の「対潮楼」(客殿)から臨むこの景色は有名で、
朝鮮通信使の李邦彦が1711年に訪れた時にそれを見て、
「日東第一形勝」(日本一の風景だ!)と賞賛したんだそうです。
朝鮮通信使の李邦彦が1711年に訪れた時にそれを見て、
「日東第一形勝」(日本一の風景だ!)と賞賛したんだそうです。
さらに素晴らしいのは風景だけではなく、辺りには幕末から昭和初期の街並みが残り、
ボクの行った翌年2007年には「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれたみたいですよ。
ボクの行った翌年2007年には「美しい日本の歴史的風土100選」にも選ばれたみたいですよ。

昔は瀬戸内海を渡るための重要な港だったこともあり、江戸時代の港湾施設である
現存するものでは日本一の高さを誇る「常夜燈」をはじめ、
「波止場」「焚場」「船番所」「雁木」などが残っていて、
現在もその全てがそろっているのは全国でもここ「鞆港」のみなんだそうです。
現存するものでは日本一の高さを誇る「常夜燈」をはじめ、
「波止場」「焚場」「船番所」「雁木」などが残っていて、
現在もその全てがそろっているのは全国でもここ「鞆港」のみなんだそうです。
それも景観の保存ということが特に行われていた訳でもなく、福山市の中心街から交通も不便な土地柄もあり、
奇跡的に近代建築が押し寄せてこなかった場所なのだそうですよ。
奇跡的に近代建築が押し寄せてこなかった場所なのだそうですよ。
まさに手付かずの自然な趣なのですねぇ。
残念ながら当時のボクはその風景の素晴らしさを写真よりも肉眼に納めようと思ったみたいで、
ほとんどデジタル画像に残ってませんでしたよ。
ほとんどデジタル画像に残ってませんでしたよ。
・・・無念。
プリントしたヤツを撮ってみたけどイマイチだね↓

また、趣のある街並みの「鞆七卿落遺跡」には重要文化財の「太田家住宅」があります。
そこは「鞆の浦」名物の薬用種「保命酒」(ほうめいしゅ)を製造する蔵元でもあり、
もともと「保命酒」を考案した蔵元「中村家」から「太田家」受け継いだものだそうですよ。
もともと「保命酒」を考案した蔵元「中村家」から「太田家」受け継いだものだそうですよ。
この「保命酒」の正式名は「十六味地黄保命酒」と呼ばれ、16種類の生薬が使用されている健康酒で、
味も見た目も有名な「養命酒」に近いって感じでした。
味も見た目も有名な「養命酒」に近いって感じでした。
現在「太田家住宅」はその内部が開放されていて、「保命酒」造りの様子を
見学する事が出来るそうなのですが、さすがにこの早朝では開いてませんでしたぁ。
見学する事が出来るそうなのですが、さすがにこの早朝では開いてませんでしたぁ。
ここでは現在も「太田家住宅」を含む4つの蔵元が協同してこの「保命酒」の伝統を受け継いでいるそうです。

この様な昔の趣がそのまま残された素晴らしい景観の「鞆の浦」は、
2008年の夏に公開されたアニメ映画「崖の上ポニョ」の舞台になったと言われています。
2008年の夏に公開されたアニメ映画「崖の上ポニョ」の舞台になったと言われています。
監督の宮崎駿や制作したスタジオジブリは
『映画のモデルとなった場所を特定すればファンが殺到してその土地の方に迷惑をかける』
ということではっきりと断言はしていないのですが、
2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で「鞆の浦」を訪れたり、
『映画のモデルとなった場所を特定すればファンが殺到してその土地の方に迷惑をかける』
ということではっきりと断言はしていないのですが、
2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で「鞆の浦」を訪れたり、
2005年の2月から2ヶ月ほど「鞆の浦」の古民家に滞在して、
その「崖の上ポニョ」の構想を練っていたそうなんですよ。
その「崖の上ポニョ」の構想を練っていたそうなんですよ。
さらにはボクがここに行った頃の2006年夏にもいたらしく、
もしかしたら監督とポニョっとすれ違っているかもしれませんね。
もしかしたら監督とポニョっとすれ違っているかもしれませんね。
今思うと、朝早くにランドセルを背負った子どもたちが、
元気よく渡船に乗りこんで登校するその素朴な勇ましさは、
海のある街に生まれた「崖の上ポニョ」に出てくる男の子、宗介の姿とダブります。
元気よく渡船に乗りこんで登校するその素朴な勇ましさは、
海のある街に生まれた「崖の上ポニョ」に出てくる男の子、宗介の姿とダブります。

2年後公開される映画の舞台だとは知らずに、「たまには早起きもいいもんだ」と、
のんきに朝の散歩からスタジオジブリの社員も泊まった「景勝館漣亭」に戻りました。
のんきに朝の散歩からスタジオジブリの社員も泊まった「景勝館漣亭」に戻りました。
朝食にはもちろん「鞆の浦」名物の魚の干物。
その場の網の上で焼いて熱々をほぐしていただきましたぁ。
ん~、し・あ・わ・せ♪

ちょっと旅行話からそれてしまいますが、ここからボクが考え方を改めたお話です。
・・・これから2年後に「崖の上ポニョ」公開され、
その舞台のモデルであると言われる「鞆の浦」の住民はそれをきっかけに
積極的に観光客誘致のためPRを行いたいと主張しているのですが、
福山市は『映画制作関係者が「鞆の浦」が舞台とは断言していない!』と二の足を踏んでいるそうなのです。
その舞台のモデルであると言われる「鞆の浦」の住民はそれをきっかけに
積極的に観光客誘致のためPRを行いたいと主張しているのですが、
福山市は『映画制作関係者が「鞆の浦」が舞台とは断言していない!』と二の足を踏んでいるそうなのです。
また、「鞆の浦」が自然に現代文化に取り残されるほど陸路の交通事情が不便なため、
広島県と福山市は鞆地区の一部を埋め立て架橋し交通の改善を行う計画を推進しているらしいのですが、
広島県と福山市は鞆地区の一部を埋め立て架橋し交通の改善を行う計画を推進しているらしいのですが、
一部の住民からは港町としての古い街並みなど趣のある風景が
安易な架橋によって破壊されると大反対があるらしいのです。
安易な架橋によって破壊されると大反対があるらしいのです。

ボクも当然「うんうん、そうだろう、そうだろう」と思ってしまったのですが、
その反対をしているのは直に「鞆の浦」に住んでいる人ではない少数派らしいのです。
その反対をしているのは直に「鞆の浦」に住んでいる人ではない少数派らしいのです。
実際ここに住む人にとっては、人の手が入ってもこの街が観光客で賑わい、
さらに便利になればいいなぁと思っている人が多いんですね。
さらに便利になればいいなぁと思っている人が多いんですね。
確かにそこは、歴史を重ねてきて奇跡的にありのままが残された街で、
それを保存していきたいという外からの人間の気持ちはボクもよくわかります。
それを保存していきたいという外からの人間の気持ちはボクもよくわかります。
でも、それは絵葉書の世界でも、標本でもなく、実際に今も生きている街。
そこで生活している人にとっては、大事に檻に入れられて保護される様なものに感じるかもしれません。
ボクも観光客目線の勝手な思いで、「鞆の浦」は日常社会を忘れさせてくれる素晴らしい場所だし、
「この景観を次世代にも・・・」なんて軽はずみに思ってしまいましたが、
「この景観を次世代にも・・・」なんて軽はずみに思ってしまいましたが、
この素晴らしいこの景観も色々な立場に立って見るとまた違ったものに見えてくるのですね。
でも、ちょっとお疲れ気味の旅行者のボクには「鞆の浦」の空気は染み渡り、
「ポニョポニョ」っと癒されたことは間違いありませんでした。
「ポニョポニョ」っと癒されたことは間違いありませんでした。
・・・つづく。